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杂谈 |
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一年間、身体の中に眠っていた様々な素質を目覚めさせた。40代の自分は、まだ30代の前半のように見えて、 10代の心を持つ。好奇心と新鮮な感覚がたっぷりだ。
日本に来てから、よく言われたことは、本当に中国人か?もう日本式中国人なんじゃない?でも、今の自分は、この世の中でただ一人の独特な「胡蓉」だ!生まれついた独特な感知力、独特な成長歴、独特な存在だ!
15歳の時に、全国建国画展で三等賞だったのに、故郷の地方画展では、逆に賞が貰えなかった。理由は、15歳の若さで賞を与えたら、省レベルの画展でしか賞を貰えない地方の画家達のメンツの置き場がなくなるから。若い私はもちろんその理由は不公平だと思った。お母さんはすぐさまに私の軽率な生意気を阻止した。お母さんはやっぱり偉いな!もしかしたら、最初から分かっていたかもしれない。阻止しても、その生意気な気持ちはまだ心の底で生きていて、抑えても抑えられないもんだ!お母さんへ感謝したい!お母さんの全ての阻止と非難は、私という存在を作ってくれた。
故郷には一つ習慣がある、蒸しパンを一枚一枚切って、太陽の光の下で干す。(多分食品飢荒の時から、残ってあるの保存食の作り方。)子供の頃、障害がある私は余計学校へ行けなくなってるから、お母さんからその干しパンを鳥に食べられないようにと任された。でも逆に私は雀などの鳥たちがくるのを待ち望んでいた。干しパンを手でちぎって鳥に餌を与えた。
隣の子が、子供の頃の私のセーターを羨ましがって、セーターの毛糸を取って袖がなくなってしまったこともあった。新しいプラスチックのサンダルを他の女の子にあげて、自分は裸足で歩いて家へ戻ったこともあった。
童年の色々な経歴は、きっと私の独特な感覚の元となってくれたと思う。今思い出しても心の底が温かくなる。
絵描きは誰から習うものではないと思う。技術を習っても画家にはならない。絵心はきっとその当時に干しパンを食べにくる鳥たち、隣の子、お母さんの非難などが与えてくれたと思う。
人間って自己中心だもの、私も昔は自分の為に自らで芸術表現していた。表現するのに最優先なのは「自己」。私の親友Mの才能はその「自己」をびっくりするほどに、ありのままで表現できること。私は、一度すごく羨ましがった。
でも最近「自己」表現することより大切なものがある気がして、すごく当時の鳥たちに会いたくなった。当時の自分はお母さんに責め罵しられても、やっぱり鳥たちに餌を与えた。他人に福を与えて自分も幸せを感じた。「自己」を忘れて餌を与えた鳥たちの存在で、私は命の意義が分かったんだ!
鳥たちが好き!命が好き!
2015年,是我对自己革新的一年。一年的时间,我唤醒很多原本沉睡在自己身体里多年的素质。革新让四十代的我仍然能够拥有似乎三十代左右的容颜,也能够让我回到10代时的心灵的好奇和新鲜。
来日本后,遭遇最多的话题就是你究竟是中国人还是被同化了的“日本式中国人”,如今,我却更明确地肯定;自己是这个世界上唯一的,独特的“胡蓉”。我生来就有着独一无二的感知力、审美以及创造力。独一无二的存在,独一无二的成长历程。
十五岁时,参加全国建国美展,获三等奖。但是地方文化馆在评年度奖时却并没有让我获奖,理由是十五岁太年轻的年龄,获得了全国范围的奖,地方上的画家最高只获得省级别奖,让他们颜面过不去。我当然觉得这理由荒谬,但我妈妈会极尽全力阻止我张狂的言行举止。我妈妈是多么伟大啊!她一定知道表面去阻止压抑怎么可能会有用,只会让我那份张狂在内心忍不住滋长。我感谢我的妈妈!她所有的斥骂和非难都是对我的塑造。
小时候因为腿残没能上学。我们老家年末有一个风俗习惯,就是把白馒头切片晾到太阳光下晒干。(这大概是中国曾一度闹饥荒时留下的备粮方式)。妈妈让不上学的我看管,不让麻雀等鸟儿飞来喙食。我却每天特欢喜鸟儿们的到来,甚至把馒头片扳碎了喂食鸟儿。邻居的同龄的女孩子羡慕我的毛线衫,我竟然让她拉下线头,拆掉毛线衫的两只䄂子。还有把自己的凉鞋送给了别家女孩,自己光着双脚走回了家。童年的种种经历,一定是造就我独特感知的源泉,至今想起仍然温暖内心。
我一直以为画画真的不需要向某个个人学习,真正的艺术不是技术性的问题。我想应该是来自当年那些前来吃我扳碎馒头片的鸟儿,还有邻居的女孩子们以及妈妈的“斥难”。
总听说人都是自私的,关注的是个体的所谓“本我”。就连我的最好的老友M她也在极度夸张地表现“本我”。她所有才华横溢都在表现“本我”上了。曾一度我如此地羡慕她,忽然的一天,我却突然觉得所谓“本我”没有意义了。我非常非常追忆当年那些前来吃食的鸟儿,是“它们”让我曾经即使每天顶着妈妈的斥骂也要“忘我”地喂它们。因为,当时是它们让我体会到自己生命的意义。
我爱它们!我爱生命!