《芥川龙之介与上海》后记
(2015-05-18 22:09:45)『芥川龍之介と上海』あとがき
施 小煒
1 この共同研究チームに名を列ねながら、プロジェクトの完遂に全く貢献しなったことを恥ずかしく思う。にもかかわらずあとがきの執筆という、身に余るこの大任を躊躇わずに引き受けたのは、言いたいことがあるからである。
2 日本語には、「蓼食う虫も好き好き」ということわざがある。つまるところ、フランス語の「Chacun son goût」、中国語の「萝卜青菜各人所爱」というところだろうか。読者たちは十人十色、それぞれ好き嫌いがあるので、小説家としての芥川龍之介に対して、さまざまな異なる認識なり評価なりを持つのも当たり前だろうが、彼が当代きっての頭脳であり、その時代を代表する知識人であることは、誰もが認めるところではあるまいか。
3 時代を代表する知識人として、その時代、その社会の問題?矛盾をそのまま、自分自身の問題?矛盾として抱え込まざるを得ぬことは、言わば避けられない運命であろう。事実、《支那游記》を繙くと、その時代の日本社会全体が最も関心を寄せていた種々様々な国際問題に関する言及が目につく。
4 1920年代、日本という国が抱えるすべての課題が、対中国関係に凝縮されているといえよう。今回の共同研究で明らかにされたものの一つは、当時のマスメディアの対中関心度の高さ及び言及の頻繁さであり、そして体制内と体制外の区別なく、官民を問わず、マイナスな中国像を作り上げるに足並みをそろえていたことである。
5 もう一つ明らかにされたのは、古今東西の書物から材を取り入れ、自己の文学世界を織り成す芥川龍之介の、例えば《上海游記》などで披露した中国認識?中国言及も例に漏れず、実は来歴無きものではない、ということである。そのような時代を代表する知識人の中国認識の形成過程を究明することで、われわれは、最終的に日中戦争という泥沼に猪突猛進していく国家というものを支えるコンセンサスの形成プロセスを垣間見ることができるのではないかと思う。
6 そして、本当に「L’histoire se répète(歴史は繰り返す)」のかと思われる、昨今のマスメディアにおける中国関係の報道?言説の好ましくない傾斜を考え合わせると、この度の「芥川龍之介と上海」という研究の必要性と重要性は、改めて言うまでも無かろうと、胸を張りたいものである。

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