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『日本語』_井上ひさし_Jp-Cn_《综合日语教程》第五册_L9_読み物

(2018-06-06 10:13:01)
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井上ひさし

日语

分类: ③日汉-文学翻译

日本語』

井上ひさし_

《日语》

Anlan_

ヒトをヒトたらしめたのは疑いもなく言語である。さらにヒトはその言葉を発展させて文化を作り出した。こうしてヒトは「言葉にのせて文化を伝える」という遺伝外の情報伝達に成功した。これに加えてヒトは文字を発明することで、それまでの聴覚に頼った伝達(=話し言葉)の致命的な弱点であった伝達の瞬間性を永続性のあるものに変えた。当然、文字による遺伝外情報は重視され、尊敬された。言ってみれば活字が崇拝されていた。これが敗戦当時の日本語の状況だった。

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毋庸置疑人因语言而区别于动物。而人类又运用语言创造出了文明。这样一来人类“以语言为载体传承文明”,成功地将生物遗传之外的信息(即人类的文明)传递给了后代。此外人类通过发明文字,使文明信息传递具备了永恒性,弥补了此前依靠听觉的信息传递(口头传播)难以避免的瞬间性这一致命缺陷。自然而然地,以文字为载体的文明传承备受重视与尊崇回想起来,印刷字就曾经备受推崇——那是战败之后的一段时间人们对日语的看法了。

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もとより敗戦の衝撃や戦前戦中の日本精神の過度の押し付けへの反感から、「非合理な日本語を捨ててフランス語を国語に採用せよ。」と唱える人たちも少なくなかった。占領軍の一部には、「日本語はそのままでよいが、文字が非能率すぎる。仮名や漢字を廃してローマ字を使わせてはどうか。」という意見もあり、これに賛意を表す人たちもまだ少なくなかった。しかしこれらの考えは日本語や日本語の表記法への不信や不満であっても、言葉そのものに向けられたものではない。日本語よりもっと優れた言葉があるはずだという信仰がその底に潜んでいた。つまり文字による遺伝外情報を重視し、尊敬すればこその、日本語への不信であり不満であったのである。もっとも異国語の国語採用案や日本語表記のローマ字化はやがて沙汰止みとなり、昭和二十一年の四月ごろまでには収まったが、直ぐに国語改革が始まった。そして四十年近い歳月がたった。

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因战败的冲击,以及战争前期、中期对日本精神的透支引起了民众的反感,由此提议“废止不合理的日语,采用法语为国语。”的民众不在少数。在占领军中也有人提出“沿用日语未尝不可,但日语假名与汉字的书写过于低效,因此以罗马字取代之亦不失为良策。”赞成这种观点的也大有人在。但是,这类看法体现出民众对日语以及日语记录方式缺乏信任,感到不满,而非对语言文字这一事物的批判。这种思潮背后潜藏着的是人们对优越于日语的语言的向往。不过,采用外国语为国语的方案以及日语罗马字标记的方案最终都不了了之,在昭和二十一年的四月左右这一切归于平静,而接踵而至的是日语国语改革。此后国语改革前后经历了近四十个年头。

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いま、日本語は簡略化し、単一化し、単純化しつつある。ひと言で言えば、均質の、平べったいものになりつつある。

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现今的日语变得愈发地简略、单一、单纯。一言以蔽之,现今的日语逐渐趋同、愈发通俗了。

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方言の使用量は激減している。その地方にしかない事物や習慣や生活感情を表現しようとすれば、その地方にしかない言葉が必要となる。そこに方言が成立していたわけだが、大量生産大量消費という物流の巨大な網が全国を覆ってしまい、いまや「その地方にしかないもの」は少なくなった。方言が存在しにくくなったのである。まだ、平等意識の表面的な普及と中流意識の幻想とが待遇表現(敬語)を衰退させている。同じことが差別語についても言えるだろう。もちろん差別そのものが消滅したわけではないが、それは見にくくなり、社会の低層をこっそりと陰気に流れるようになった。

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当今的日语中方言表现急剧减少。为了表现当地的事物、风俗、人情,当地所独有的表现必不可少。这是方言存在的土壤。生产发展——消费扩大这一庞大的物流关系覆盖全国,如今“某地特产”已经少之又少。因此,方言存在的土壤已不复存在。另外,浮于表面的平等意识以及停留于空想的中产意识使得待遇表现(敬语)日渐式微。另外在鄙夷歧视他人的表现(差别语)中间同样可见其影响。当然,社会的阶层分化依旧存在,只是语言中差别对待不再明显。差别语只流通于底层社会,难登大雅之堂。

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そして社会の上ッ面では新造の、急造の差異をつける言い方が氾濫している。いわく「ダサイ」「ネクラ」「イモ」「トラ(ディショナル·伝統派)」……。これらの差異をつける言い方は猛烈な速度で変わっていき、その速度に幻惑されてほんものの差異が見えなくなっている。そのほかカタカナが増えて漢字が減り、若い世帯はみな似たような丸っこい字を書き、文書広告コピーの影響か息が短い。といったようなわけで、確かにこの四十年間に日本語は単純化し、均質化している。社会の構造が球型(あるいは梯形)から平べったくなって凸レンズ型に変わったのを、日本語が忠実に映しているのである。

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另外在社会上1,重新赶制了一大批用于贬损他人的词汇。例如所谓的“土里土气「ダサイ」”“性情阴郁「ネクラ」”“没见识「イモ」2”“墨守成规「トラ」”等。这类贬损他人的词汇不断地发酵,其变化革新速度之快令人们忘了真实存在的阶层高低之别(相敬相重之辞日渐式微,相贬相轻之词大行其道)。除此之外,片假名的使用频率升高,而汉字则相反。年轻人写出的汉字千篇一律圆圆鼓鼓3又或因广告语影响语句愈发简短。如是一般,至今为止的四十年里,日语着实变得单纯而缺乏变化了。语言一五一十地反映出了四十年来日本社会的变化——原来橄榄型(或梯形)的社会结构变得扁平的凸透镜一样的形状。

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かなでも文字の衰運は著しい、文字による情報は、その王座を映像による情報を明け渡した観がある。文字がどれほど軽んじられているかは近頃の商品の命名法にもよく現れていよう。長い間、企業は、「まじめで、それでいて魅力があって、できれば永続して売れるものを」と願って商品に命名していた。十かそこいらの文字に社運を賭け、まだそれぞれ社の良識をも賭けていたのである。しかし今はどうか。例えば日本人によく姓をそのまま「〇〇くん」などと商品名に使っている。今日の商品が、大氾濫のせいで、すべて均質になりアウラ(霊気?雰囲気)を消失してしまっているので、そのアウラを出すために人名という人懐かしいものを持ってきたのだという指摘もあるが、筆者には、各企業に「他の商品より少しでも目立つなら、名前などどんなにメチャクチャでもよろしい」とする思い切った言語道具説が支配し始めているように見える。

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假名文字的没落也十分明显。以文字为载体的信息,让位于以图像为媒介的信息。观察近期的产品命名即可以得知假名文字是多么不受待见。长期以来,商家在起名时力图“严谨而不失趣味,经久不衰且朗朗上口”。在这十数字4的招牌上赌上了公司的前途命运,或者凝聚了公司各自的经营理念。放眼今日又是如何呢?将日本人常见的姓氏上一字不差地搁上去如“某某君”一类的产品名亦非罕见。如今的商品因供大于求,全都失去了独特性,失去了体温和气质。也有观点指出,为了凸显自家商品的体温和气质企业特意使用令人亲切的姓名为其命名。在笔者看来,这些荒唐的行为不过是各商家践行极端的语言工具论的思想,认为“只要比他家产品吸引眼球,无论是姓名还是别的馊主意都无妨”罢了。

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遺伝外情報としての言葉の値打ちの下落、そして映像への熱狂的な支持。これらを用意したものの代表はテレビであろう。確かにテレビは時間と空間と記号の束縛から情報を解き放った。事件が発生する。その模様は、あっという間に(時間の束縛からの解放)、どこででも(空間)、たとえ字の読めない人にも(記号)わかる。ところが文字による情報伝達には、執筆?印刷?製本に時間がかかり、流通手段なしではどこへも届かず、記号が解読できなければ受容できないという制限がある。映像が時代の寵児になるのは当然かもしれない。

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语言文字作为文明载体的地位不断降低,而对影像载体的追捧却愈发狂热。在这般潮流中推波助澜的代表非电视莫属。不得不说,电视解除了时间、空间、文字符号对信息传递的束缚。事件发生的同时,现场的情况在一瞬间内(这是解除了时间的束缚),无论观众身处何地(空间的束缚),无论才高八斗还是目不识丁(文字符号的束缚)都能立刻把握。但是与之相对的,以文字为载体的信息传递可谓障碍丛丛——需要由人执笔记录、印刷、装订成册。这都需要耗费时间成本;而如果没有物流的渠道信息传递将毫无可能;另外读者如若无法解读文字的意涵,信息的理解和把握就更是无从谈起。如此一来,影像载体成为当代的宠儿受人推崇也不无道理。

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さらに我々は、歴史を直線と見なし、進化論を是としている。この論法でゆけば、常に「いま」が歴史の頂点であるから、常に「いま」が最良の時代で、常に「新しいもの」が正しいという見方が生まれる。この見方が新しく登場した遺伝外情報媒介手段である映像をもてはやしもしたのだろう。だが、映像への過度の信仰が、思考や経験を伝え新しい知恵を生み出す「学び、考えるための言葉」の衰えに繋がらなければ幸いである。言葉には欲求を伝える道具としての動きのほかに、この<学び、考えるための働き>がある。だれかがだれかに「死ねっ」と罵声を放つとき、まだ事物を見ても「うっそ!」「ほんと」「かわゆーい」としか言えないとき、言葉は道具の役割しか果たさない。もっと言えば、相手から情報を感じる能力に欠け、自分から相手に向かうだけの粗末で尊大な情報しかないとき、ヒトは粗末で尊大なエゴイストでしかなくなるのである。

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此外,人们往往将历史的演变视作一根直线,肯定进化的意义。依此逻辑推理,“当下”总是历史上的顶点,“现今”永远是最理想的时代,“新生事物”毫无疑问代表合理正确。也正是这样的逻辑鼓吹、倡导及推崇这种新生的影像载体。但愿,人们对影像载体的过度推崇不会导致语言能力的衰颓——后者传承思想与经验而孕育出新的智慧是“学习与思考的工具”。语言文字的一大功能是作为告知欲求的工具,此外还有一项功能就是作为“学习与思考的工具”。假设某人对他人大骂出口,喊出“去死”时,或者见到一个物品而赞叹道“真的假的啊!”“不会吧”“真可爱”时,都不图对象的响应,这只是用到了语言作为“告知欲求工具”的功能。再假设,若是有人无法理解接收对方的意图,只是单方面地输出一厢情愿而狂妄自大的信息,这样的人不过是一个一厢情愿且狂妄自大的利己主义者而已。

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ところで映像による情報は次の二つの理由で、まだまだ文字による情報には及ばないところがあると思われる。例えば、「細胞内小器官細胞組織器官器官系個体集団社会生態系地球……」という生物の階層構造は、これからますます重要になる概念であると信じるが、こういった大切な情報を映像だけで表現しようとしても、それはほとんど不可能である。「社会」「国家」「制度」といった概念もまだ映像では表現できない。次に、文字による遺伝外情報は膨大であるのに、歴史の浅い映像にはまだその情報量は少ない。

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另外,笔者认为影像载体传递的信息因以下两方面缺点,尚远不及以语言文字为载体的信息。例如“细胞器——细胞——组织——系统——生物体——聚落——社会——生态系统——地球……”这般复杂的生物学阶层构成的今后概念或将愈发为人们重视。而这样庞杂的信息几乎不可能只凭借影像载体再现出来。“社会”“国家”“制度”等一系列概念也是无法影像化的。其次,因人类的文明信息量及其庞大,影像载体的出现时日尚浅,能承载的内容也十分有限。

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生命の目的は「存続すること」にある。ヒトなら長生きすること、人類なら絶滅しないこと。我々はそのために、ほとんど無限に近い、文字による遺伝外情報を持っている。加えて我々には「学び、考えるための言葉」がある。この二つを活用しない手はない。映像による情報伝達の助けを借りながら、どれだけ文字に関しては保守的になれるか、過去の遺産を再生できるか。そこに未来がかかっていると、私は信じている。

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生命的意义在于“存续”。就个人而言即是长生不老,对人类而言则在于繁衍不息。为此目的,人类掌握了生物遗传之外的信息传递手段,即语言文字。通过语言文字传承的文明其信息量趋近无限,加之语言同时是“学习与思考的工具”我认为应当充分利用和发挥上述两点优势,并在借助影像载体的同时,弘扬传统的语言文字载体功能,为人类文明赋予新生。这关乎人类的未来。

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『新版 高校国語二』日本書籍より

《日语综合教程》第五册_L9_読み物

pp.265268

Anlan_入力_2018 

1社会の上ッ面」=有“上层社会”与“社会的表面”两种意思。

2「イモ」=いも姉ちゃんが都会に出ると、オドオドする姿から、怖気づく様子をいう。

3「丸っこい字」=因为平假名书写的习惯,汉字书写时笔画也带有弧度。

4「数詞+かそこいら」=「~かそこら」=~前後

Anlan_2018.5.19



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·用语教学与语言研究
·语言组织优先汉语母语读者
·Anlan编辑&翻译,转载请注明
·望各位前辈不吝指摘

差不多博士_HIROSHI
2018年5月19日
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