2023年02月11日
(2023-02-11 09:27:19)人は、己れをつづまやかにし、奢りを退けて、财を持たず、世を貪らざらむぞ、いみじかるべき。昔より、賢き人の富めるは稀なり。
唐土に許由 [1] といひつる人は、さらに身にしたがへる蓄へもなくて、水をも手してささげて飮みけるを見て、瓢簞といふ物を人の得させたりければ、あるとき、木の枝に掛けたりけるが、風に吹かれて鳴りけるを、かしがましとて捨てつ。また手にむすびてぞ水も飮みける。いかばかり心のうち凉しかりけむ。孫晨 [2] は、冬の月に衾なくて、藁一束ありけるを、夕にはこれに卧し、朝にはをさめけり。
唐土の人は、これをいみじと思へばこそ、記しとどめて世にも伝へけめ。これらの人は、語りも伝ふべからず。(徒然草十八)
人为了保持自己的俭朴,不堕入奢侈之习中,不置财产,不沉湎于世俗的欲望,这肯定是了不起的。以前,被称为賢圣的人而又有钱的情况不曾听说过。
在唐土有个叫許由的人,从没有为自己积蓄财富。有人看到他连飮水都是用手掬着捧起喝的,便给了他一个叫瓢箪的东西。因为一直听到挂在树枝上的瓢箪被风吹得呜呜响而心生腻烦,許由便把它扔了,这以后就又是用手掬水捧着喝了。这心里是多么的洒脱痛快呀。听说更有叫孫晨者,大冬天的没有被具,仅有一束稻草,晚上就睡在稻草上,到了早上再把它收起来的。
由于上邦唐土之人认为此等行为是优秀绝伦的,才把它书之于史、传之后世的吧?像这样的人,若在我朝应该是不会流传下来的。