[小松拓也故事]终于进军10强
(2012-08-15 22:58:35)
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分类: 小松拓也的故事 |
终于进军10强
复活赛及这之后举行的现场演出结束后,选秀赛回到了主场。
于是,为了备战将在下周举行的选秀赛,我们又投入到训练、排演中。
据说下周的选秀赛每个人最多要唱三曲,我便和节目组的班底们进行磋商。新的一天就这样开始了。
根据到现在为止的经过,即使允许参赛者个人提一些建议,大多数情况下也不会被采用,选曲等依然由节目制作方决定。然而这一轮选秀赛开始之前,我的提议得到了认可。也就是说我终于可以挑选自己拿手的歌曲进行比赛了。
在这次选秀赛中这种情况还是第一次。但是这件事同时也让我作好了一个精神准备。
“恐怕这一轮选秀赛对我来说就是终点”。
因为至今为止无论怎么诉说,节目制作方都不会允许自选演唱曲目,而这次突然允许我自选,完全可能把这作为给我的一份“送别礼”。
何况在大多数人看来,无论从哪种意义上说,外国人想进入前10强是不可能。
中国的电视台都是国营的。在这些国营电视台主办的国民选秀节目里,如果日本人进入前十强的话,那么是好是坏另当别论,至少会成为一大新闻。
接下来的选秀赛将从20名参赛者中一下子淘汰10名。决出前10强的时刻终于到来了。
通常来讲,我能够进入前20强已经是上上大吉了。
且不谈直觉是对是错,总之我已作好了落选的思想准备。
作好落选的思想准备绝不意味着消极,而是一种面对挑战无所畏惧的精神的体现。
原本我能坚持到那会儿完全仰仗众多歌迷的努力,是他们把我召回了选秀舞台的。所以,自重返选秀赛那时起,对我来说小松个人的挑战已经结束。复活赛之后,只是为了支持我、给我以声援的歌迷们,我才站在了舞台上。
所以,尽管对我来说那也许是最后一次选秀赛,但是我对胜负并不在乎。因为我心里只有支持我的歌迷,我将只为他们演唱。
好几年前在医院的病床上、在绝望中写下了表达了自己积极向前这种愿望的歌曲”不知到方向”。后来在台湾进行演艺活动时被录制成CD,之后,即使是为了让自己振奋起来,我在演出时都会唱。所以,无论如何都想把这首歌献给始终支持我的歌迷。
在接下来的选秀赛中我就能实现这个愿望了。
我的拼搏热情达到了最高潮。
待续
Published on 2011年6月15日 3:43 AM。
Filedunder: 小松拓也自伝「俺と中国」
127【原文】
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127【原文】
ついにトップ10へ向けて
敗者復活戦、そしてその翌日に行われたライブイベントを終え、オーディションは再び本来のスタイルに姿を戻した。
翌週行われる事になるオーディション本戦に向けまた新たなレッスンの日々が始まった。
翌週のオーディションでは最大一人3曲を歌う事になるらしくその選曲を番組スタッフ陣と話し合う事から新たな日々はスタートした。
今までの経緯では自分の意見は言えても結果的にほとんどの場合が番組制作側から歌う歌を決められてオーディションに臨まなければならなかった。
だがあの時のオーディションでは初めて俺の意見を採用してくれ、自分の歌を歌う許可が得られた。
俺はついに自分が最も得意とする歌でオーディションに挑む権利を取得出来たのだ。
だがその事実は俺にある覚悟を決めさせる。
「恐らく次のオーディションが俺にとっての本当のゴールになるだろう…。」
今までどんなに主張しても歌う事を許されなかった自分の歌を歌う事が許されたという意味を俺は番組側からのせめてもの餞別だと受け止めたのだ。
それに外国人が中国のオーディション番組でトップ10以内に残る事は様々な意味合いからも不可能だろうと多くの人から言われていた。
中国のテレビ局は全て国営だし、そのテレビ局が主催する国民的オーディション番組で日本人が仮にトップ10に残ってしまえば良くも悪くも大ニュースだろう。
次のオーディションでは一気に20人から10人が落選し、いよいよトップ10が確定する。
普通に考えてもすでにかなりの佳境に立たされていたわけだ。
俺のあの時の勘が正解か間違っていたかは別として、俺は落選を覚悟しながら次のオーディションに臨む決意をした。
それは決してネガティブな気持ちからではなく、あくまでも前向きな気持ちでそう挑もうと自然に思えた考えだった。
元々あの時の俺があったのはファンのみんながもう一度俺をオーディションに呼び戻してくれたお陰だったからだし、あの時は俺にとって小松拓也個人のチャレンジはすでに終わっていた。
敗者復活戦以降、俺はあくまで俺を支えてくれるファン達の為にステージに立っていた。
だから最後になるであろうあの時のオーディションでも俺は勝ち負けをほとんど意識せず、自分を応援してくれるファンの為だけに歌を歌おうと思ったのだ。
何年も前に病院のベッドの上で絶望を感じながらも前向きに生きたいという願いを込めて書いた「不知道方向」という曲。
台湾でアーティストとして活動していた時期にCD化し、その後の人生でも自分を奮い立たせる意味でもライブなどでずっと歌い続けてきたこの曲をどうしても応援してくれたファン達に届けたい。
次のオーディションではいよいよそれが叶うのだ。
俺のモチベーションは最高潮に達していた。
つづく
Published on 2011年6月15日 3:43 AM.
Filedunder: 小松拓也自伝「俺と中国」
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