[小松拓也故事]参加选秀与随之消失的自由
(2012-06-29 13:37:48)
标签:
跟腱上海小松拓也跳舞杂谈 |
分类: 小松拓也的故事 |
090【译文】
参加选秀与随之消失的自由
07年4月。
为选秀到达上海后,我的生活立刻开始受到来自电视台的种种限制和约束。
第一天的商讨结束后,没有对下周预定参加的比赛做什么特别准备,当天我们就先回去了。
此次我在上海停留的期间,住在经纪人亲戚家的空房。
第二天要开始各种准备,所以我早早地便上床休息了。可次日开始的忙碌日程,其艰辛程度还是远远超出了我的想象。
一大早我们就集合到电视台,然后坐上巴士,被带到舞蹈教室。
“加油!好男儿”规定每周必须以参赛者们的舞蹈表演作为节目开场。
对于不会跳舞的我来说是个大难题。
但开场舞不仅是吸引粉丝的手段之一,而且既然要做就要做到最好,因此我全力以赴地投入舞蹈练习。
然而当时的我还另有一个巨大的不利因素。
跟腱受伤后,虽然好不容易恢复到能日常行走的地步,但要做像跳舞这样的剧烈运动还是极为勉强的。
医生说虽然断裂的跟腱已经愈合,但要想回复到没受伤之前那样牢固的状态至少需要半年。
在那之前,肌肉的强度和柔软性都还不够稳定,也有再次断裂的可能性,所以上舞蹈课时诸如此类的不安时常划过心头。
我不得不在疼痛和不适中练习着跳舞。
无法以万全的状态挑战原本就不擅长的舞蹈,在这样的不利情况中我勉强撑过了第一天的艰苦训练。
就在我以为从早晨持续到傍晚的舞蹈练习终于结束可以回家的时候,被告知接下来还有唱歌的练习等着我。
“骗人的吧……?还没结束……?”
恐怕不止今天一天,接下来的每一天都会是同样的地狱日程吧……
想到这里,虽然只是参加比赛的第一天,我就仿佛品尝到了挫折的滋味。
待续
Published on
2011年6月13日 11:51
AM.
Filed under:
小松拓也自伝「俺と中国」
090【原文】http://komatsutakuya.com/452
07年4月。
上海にオーディションの為渡ったその直後から俺の生活はテレビ局にほぼ拘束される事になった。
初日のミーティングを終えるとその日は翌週参加する予定のオーディションへの準備なども特になく帰宅が許された。
俺が上海にいる間寝泊まりをさせてもらえたのは上海人マネージャーの親戚の空き家だった。
初日は次の日からの慌ただしさに備えすぐに寝てしまったのだが翌日からは想像していたよりもかなりハードなスケジュールが俺を待っていた。
朝からテレビ局に集合させられるとバスでダンスのレッスンスタジオに連れていかれた。
「加油!好男児」は番組のオープニングで毎週必ずオーディション参加者達がダンスを披露しながらのスタートとなる。
ダンスの出来ない俺にとっては大きなハードルだったし大変な作業だった。
当然そのダンスもファンへのアピールに繋がるわけだし、やるからには必死でレッスンに臨んだ。
しかしこの時期俺にはもう一つの大きなハンデがあった。
アキレス腱切断の怪我からようやく日常で歩けるようにまで復活したばかりで、まだまだとてもじゃないが激しい運動は無理な状態だったのだ。
しかもアキレス腱が再びくっついたと言っても以前のように強固で丈夫な状態に戻るには最低でも半年はかかるらしい。
それまでの期間は筋肉の強度や柔軟性も不安定で再断裂の可能性なども多い時期だったようだからダンスのレッスン中は常にそういった不安が頭の中を過ぎった。
当然痛みや違和感を感じながらレッスンに挑んだのだ。
不慣れなダンスに万全じゃない状態で挑まないといけないハンデを抱えながら俺は初日のハードな練習を何とか乗り切った。
朝から夕方まで続いたハードな練習がようやく終わり今日はもう帰れるだろうと思っていたらその後には歌の練習が待っていた。
「嘘だろ…?まだ終わらないのか…?」
恐らく今日一日だけではなく翌日からも同じようなスケジュールが待っているはずだ…。
そう考えるとオーディション参加初日にして俺の心は少し折れかけそうになっていた。
つづく
Published on
2011年6月13日 11:51
AM.
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小松拓也自伝「俺と中国」