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[小松拓也故事]制作人李思松

(2012-05-17 11:22:51)
标签:

杂谈

分类: 小松拓也的故事

047【译文】http://komatsutakuya.com/330

制作人李思松

 

昨天谈了录中文歌这项作业的艰难之处,那么今天我想再对录音过程中碰到的具体问题稍微进行一些补充。

 

比方说“en”和“eng”这两个发音。

 

从写法也可以看出中文的“en”和“eng”非常相似,前者叫前鼻音,感觉发音时靠近鼻子前端。

 

后者叫后鼻音,发音时好像通过鼻子后方一样。

 

对日本人来说想要分辨出这两个类似的音节在发音和使用上的区别是非常困难的。

有些人甚至完全听不出“en”和“eng”有什么不同。

 

日常对话中,中国人听我们的中文就算觉得发音有些奇怪也是可以忽略的,但要是想录成歌曲向世人发表的话,那么即使是这种程度的不标准也是绝不能妥协的。

 

唱歌的同时还要时刻注意歌词中“en/eng”的发音是靠前还是靠后相当累人,说实话就连自己发出的声音究竟是否正确,日本人的我也始终不敢肯定。

 

再加上负责为我制作的李思松先生是一位对音乐要求极为严格的制作人。

 

作为张惠妹、孙燕姿等华语歌坛的超级歌星们的制作人——李思松的名字在音乐界可谓如雷贯耳,而他的严格更是众所周知。

 

如果得不到他的认可,我就必须一遍又一遍地重录,有好几天的录音时间甚至长达10小时以上。比如说有一次,我因为一个汉字的发音不够准确而不得不把同一句歌词唱好几百遍,直到那个字发音完美为止。

 

由于我无法判断自己的发音究竟是否正确,所以很多自己觉得“刚才唱得挺好”的地方却遭到了指正,“到底哪里不对呢?”我总是感到不解。

诸如此类的情况不胜枚举。

 

唱歌变得像传送带上的流水线作业一样枯燥无聊、令人烦躁,同时也给我带来了相当大的精神压力。

 

一旦太过关注发音,音准和节奏就会受到影响,更不用说唱歌还要投入感情,难上加难。

 

当然这一切也都在李思松的计算之中,他刻意赋予了我诸多考验。

 

他把花费一天时间辛苦录下的音源拷贝到CD上交给我,对我说:“这是作业,回去以后自己再重复听,明天还是这首歌从头开始重新录。”

 

就算发音标准了,但如果哪句歌词他觉得感情和旋律不到位,那就绝对不可能过关。

 

面对他我感到难以疏解的沉重压力,同时也打心底对自己的无能感到不甘。

 

虽然明白他想向我传达的讯息,可我已经付出最大限度的努力去挑战了却还是……

 

无法突破眼前的高墙让我懊恼自己的没用,而一想到第二天开始等待我的是无尽的录音日程更是几近崩溃。

 

就这样,我们开始不断重复这份看不到尽头的作业,而我和制作人的耐力大赛也就此展开。

 

待续

 

 

 

 

 

047【原文】http://komatsutakuya.com/330

プロデューサー李思松

 

昨日は中国語楽曲をレコーディングするのは非常に難しい作業だと説明したが具体的にレコーディング中に俺が体験した問題を今日は少しだけ補足したい。

 

例えば「ン」という発音。

 

中国語の「ン」には2種類の発音方法があって1つは前鼻音といい鼻の前側にかかるようなイメージの発音。

 

もう1つは後鼻音といい鼻の後ろ部分を通過して音を出すイメージの音だ。

 

日本人にとってはこの聞き分けや使い分けが非常に難しい。

人によってはその発音の質の違いさえ理解出来ないほどだ。

 

日常会話であれば中国人から聞いていて我々が話す発音が若干おかしくても聞き流してくれる発音の違いもレコーディングして作品を世の中に発表するという作業においてはその妥協も当然許されなかった。

 

歌の中で「ン」という発音を鼻の前にかけたり後ろにかけたりといちいち気にかけながら歌う作業は非常にしんどい作業だったし、実際自分が発した音が合っているかどうかも日本人の俺にとっては常に半信半疑。

 

特に俺を担当してくれた李思松は音楽に対して非常に厳しいプロデューサーだった。

 

張恵妹や孫燕子など中華圏の超ビッグスター達のプロデューサーとしても有名な李思松は業界ではその厳しさも含めて名の通った人物だった。

 

彼が良いと思わなければ俺のレコーディングは1日10数時間に及んだ事も何度もあったし、例えば一文字の発音が上手く発音出来ていないからという理由で延々とその1文字の音を録る為だけに何百回と同じフレーズのみを歌わなければならないという作業なんかも体験した。

 

俺自身は発音に関しては正しいかどうかの判断が出来なかったから「今歌った感じは良い感じだったのに何が駄目だったわけ?」と頭では感じているのに駄目出しをくらってしまう。

そんな事もしばしばだった。

 

ベルトコンベアーのような単純流れ作業は歌を歌っていても何も楽しくないし当然精神的にも苛立つし非常にストレスになる作業だった。

 

発音が気になると音程やリズムもどんどん悪くなるし、更にそこに感情を乗せるなんていう作業は困難を極めた。

 

李思松は当然そんな事すらも計算しながら俺にわざと何度も試練を与え続けた。

 

一日かけて苦労して録った音をCD-Rにコピーして俺に渡してくれて「宿題だから帰ってから自分で何度も聞き直してこい。また明日同じ曲を最初からレコーディングし直すよ」などと言われもした。

 

発音が仮に良くなっても感情がメロディに乗っかっていないと彼が感じたフレーズを彼は最初からOKするつもりはなかったのだ。

 

俺は彼に対してやり場のないストレスを抱えると同時に自分の不甲斐なさに心底悔しさを感じた。

 

彼が俺に伝えたいメッセージは分かるけれどもすでに最大限の努力で挑んでいるつもり???。

 

目の前の大きな壁を打破出来ない自分が情けなく、そして翌日からの果てしないレコーディングスケジュールを考えると途方に暮れそうになった。

 

終わりのまったく見えないこんな作業を俺とプロデューサーはお互い我慢比べのように繰り返したのだ。

 

つづく

Published on 2011年6月11日 11:28 AM.
Filed under: 小松拓也自伝「俺と中国」

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