[小松拓也故事]录中文歌的困难之处
(2012-05-16 01:06:13)
标签:
杂谈 |
分类: 小松拓也的故事 |
046【译文】http://komatsutakuya.com/327
录中文歌的困难之处
中文有许多日语所没有的发音。
其中就日本人发音特别困难的音节举几个例子来说,是“xi/shi”、“ji/zhi”、“qi/chi”这几组拼音中的后者——翘舌音。
“xi/shi”中的前者“xi”与日语中的“シ”发音相近,但是需要卷舌的后者“shi”就不存在于日语的发音中。
“ji/zhi”和“qi/chi”也同样各自具有两种发音,如果不能正确区分这些音节会使想要表达的意思产生巨大偏差。
此外,中文还有所谓“四声”的四种音调变化。即使是发音相同的汉字,音调高低不同则所代表的意义也跟着不同。
而唱中文歌最困难的地方就是“四声”的音调区别。
先不说中文歌词本身想表达的意思,因为歌曲原本就拥有旋律,所以一开始音调的高低就已经事先决定好了。但由于中文是通过音调变化表达意思的语言,所以想要传达歌词原本的含义时,就必须在原有的旋律基础上增加类似细微的停顿这样的变化来调整音调,只有这样才能切实准确地表达出歌词的意义,这就与事先决定好的歌曲旋律形成了矛盾。
因此,唱中文歌可以说是一件技术活。一首中文歌中随处可见为了清楚表达歌词含义所做出的种种努力。
如果是母语就是中文并且从小接触中国歌曲文化的中国人,自然相对来说更容易解决这个问题,但对我这个日本人来说这实在是一个万分艰辛的课题。
如果只是平时唱唱卡拉ok当然没人会吹毛求疵地百般挑剔,但是当要把歌曲做成一件作品发表时,制作人要求我达到的水准是必须让所有中国人只是听歌就能知道我在唱些什么。
事实上,据说就连中国的职业歌手也常为同样的问题头疼,可见其难度之高。正因此也就更凸显了我作为日本人试图挑战中文歌曲的艰辛程度。虽然常被中国人夸我中文说得好、发音标准,但在录音棚内录歌时,我的精神状态仿佛被逼入了全裸一般的境地,可谓身心俱疲,痛苦万分。
待续
046【原文】http://komatsutakuya.com/327
中国語には日本語にない発音が沢山ある。
中でも日本人が発音しにくい発音の例をいくつか挙げると例えば「シ」や「ジ」や「チ」の発音の類だ。
「シ」という発音は日本語の「シ」という発音そのままに近い発音の「シ」もあるが、巻き舌音を加える日本語には全くない「シ」という発音もある。(日本語で表記する術がないのであくまで共に音が近い「シ」で表現するが???)
「ジ」や「チ」の発音も同様でそれぞれ2種類の発音方法があってその発音が使いこなせるかどうか次第で伝えたい意味が全く異なってきてしまうのだ。
更に中国語には4声と呼ばれる音の上り下りによる階段があって同じ発音でもその音が上がったり下がったりする事で意味が変化してしまう。
中国語の歌を歌う場合一番難しいのがこの音の上り下りだ。
なぜなら音楽には元々メロディがついていて中国語の意図したい歌詞の意味とは別に音が最初からあらかじめ決まってしまっている為、音で変化をつける言語である中国語の本来の歌詞の意味を伝えようと思った時に細かいしゃくりをメロディに足したりするなどの細かいニュアンスを加える事でしか意味をしっかり伝えられないという矛盾が生まれてしまう。
その為テクニック的な事にも繋がるのだが中国の歌には歌詞の意味を伝える為の様々な工夫が至るところに張り巡らされている。
中国語がパーフェクトでなおかつ幼い頃からそういった中国語の歌の文化に触れてきている中国人にとっては比較的に感覚としてつかみ易いこの問題も日本人の俺にとっては非常に困難な作業だった。
カラオケで歌う程度のレベルでは誰もこんな問題は指摘しないのだがレコーディングして作品にしようとした時、そのクオリティは必ずすべての中国人が歌を聞いただけで何を伝えているかが分かるというレベルをプロデューサーからは要求された。
実はこの作業の難しさ。プロの中国人歌手でも頻繁に起こりうる問題らしく彼らですら苦労している問題なだけに日本人の俺が挑むという行為は半端な作業ではなかった。そこそこの中国語が話せて発音も綺麗だと中国人からも言われていた俺だったがレコーディングスタジオの中では自分を丸裸にされたような精神状態に追い詰められ本当にズタボロになりながら苦しむ事になる。
つづく
Published on 2011年6月11日 11:18 AM.
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小松拓也自伝「俺と中国」