[小松拓也故事]与香港人Kenny的相识
(2012-05-12 07:13:08)
标签:
杂谈 |
分类: 小松拓也的故事 |
042【译文】http://komatsutakuya.com/315
与香港人Kenny的相识
2003年我返回台湾发行了一张全部歌曲都是中文的专辑。
不过在那之前要先追溯到6年前的1997年。
那年,我在东京认识了在台湾开展演艺活动期间将要担任事务所经纪人兼社长的香港人Kenny。
Kenny是一名青年实业家,当时还兼任杂志的自由撰稿人,以香港、台湾为中心拥有广阔的人脉和丰富的经验,说是商业精英也绝不为过。
但他从不因身为精英而趾高气昂,反而性格温和、知书达理,是一位懂得礼仪和尊重他人的绅士。由于他在演艺圈人脉广泛而且也经手了很多工作,所以当时他开始考虑建立、经营自己的制作公司。
我之所以能认识Kenny还要多亏因为工作结识的中国人RURU的介绍。
在RURU成为日本女歌手组合“太陽とシスコムーン”的一员出道并活跃于乐坛的前几年开始,我和她就有了交流。
身为中国人的她在日本的时候不仅和许多在日中国人交好,还认识很多平时经常会来日本出差的中国朋友,Kenny就是其中之一。RURU借某次他来日本出差的时候说是机会难得于是介绍了我们俩认识。
那天我们只是去居酒屋喝了一杯并没有多谈工作方面的话题便早早解散了,没想到几天后Kenny从香港打来了国际长途。
他问了我跟事务所的合同情况和剩余的合同时间。
以及,“想不想到台湾出道?”的意愿和想法。
说实话当时我对他这个人完全不了解,连他具体是做什么工作的人也没有丝毫头绪。
再加上事情过于突然我甚至觉得有些可疑。
他说他可以用他的人脉和能力为我铺路,以歌手的身份在台湾出道。
在日本也只是个不卖座的演员,音乐方面也没有正式发展成工作的迹象,这样的我要如何飞越国境去台湾出道?
于是我只说了些社交辞令便挂断了电话。
如果说这是真能实现并且仅此一次的机会,那么一般来说在这一刻机会理当就此结束……
然而我和Kenny的联系却还有后文。
待续
042【原文】http://komatsutakuya.com/315
03年に俺は台湾に再び渡り全曲中国語のCDアルバムを出す事になる。
でもそこから遡ること6年。
1997年に俺は東京でその後台湾で活動する際に俺の事務所マネージャー兼社長を務める事となる香港人のケニーと知り合う事になる。
ケニーは青年実業家であり当時は雑誌のフリーライターなども務め香港や台湾を中心とした幅広い人脈と経験を持ったいわばビジネスのエリートだった。
だがエリートである事を全く鼻にかけない性格だし人に対して礼儀と優しさと尊重を持って接してくれる非常に紳士な人間で芸能の友達や仕事なども多く抱えていた事から自身でのプロダクション経営を当時から考えていた。
そもそもケニーとの出会いは仕事を通して知り合った中国人のRURUからの紹介だった。
後に太陽とシスコムーンとして活躍する事になるRURUとは彼女がグループとしてデビューする数年前から交流があった。
中国人の彼女は日本にいながらも当然在日している中国人だけでなく出張ベースで訪日する多くの中国系の友達を持っていたし、ケニーの事も彼が出張で日本を訪れた際に良い機会だから一緒に会おうと俺に引き合わせてくれたのだ。
あの時は一緒に居酒屋に行ってみんなで飲んだだけで特に仕事の話などもする事なく解散したのだが後日ケニーは香港から俺に国際電話をかけてきてくれる。
彼が聞いてくるのは
俺と事務所との契約状況や残りの契約期間。
そして台湾でデビューしてみないか?
という俺の意志や気持ち。
正直彼がどんな人間かもあの時は全く分かっていなかったしもっと細かい話をすれば彼が何をしている人間かさえも俺は知らなかった。
それに話が唐突過ぎて怪しささえ覚えた。
彼の人脈や力を使って台湾で俺に歌手デビューの道を用意してくれるというのだ。
日本でも売れない役者を続け、音楽だって何も仕事には結びつきそうもない中でどうして国境を飛び越えて台湾でデビューが出来るのだ???
俺は社交辞令だけ伝えその電話を切る事になる。
もしこれが本当に実現するまたとないチャンスなのだったら普通はこの時点でこの話は終わっていただろう???。
でも俺とケニーとの関係はこの後も続いていく事になるのだ。
つづく
Published on 2011年6月11日 11:12 AM.
Filed under:
小松拓也自伝「俺と中国」