[小松拓也故事]半月板手术与此时诞生的音乐
(2012-05-08 01:35:22)
标签:
杂谈 |
分类: 小松拓也的故事 |
038【译文】http://komatsutakuya.com/301
半月板手术与此时诞生的音乐
半月板手术完成后的一个星期我不得不在医院度过。
左脚用石膏固定住,除了去厕所的时间以外都必须躺在床上生活。
早晚必挂的点滴真的是很讨厌,明明除了动过手术的膝盖以外都很健康,却要和其他住院的行动不便的老年人们住在同一间病房,让我觉得日子一天比一天痛苦。
“我和那些人不一样,是健康的年轻人,就算不呆在这里也没问题的啊……”
明明自己精神饱满,可只是呆在医院这个地方就感觉似乎连生气都被夺走了一样,对我的精神状态产生负面影响。
而且又无事可做,一整天就只是躺在床上,时间一多脑袋里就开始浮现多余的杂念。
“等这伤好了我还能像以前一样正常走路吗……?”
“会不会以后不能再打最喜欢的羽毛球了……?该不会因为这伤我以后就不能再当羽毛球选手了?”
“难道说我以后的人生中还会像这次一样轻易地就受伤?我的身体远比我想象的要虚弱呢……?”
我以身心俱疲的状态在医院这个环境中度过了一个星期。
平时不太会产生消极念头的我也因此每天怀抱着不安在心里说着泄气话。
可同时又万分讨厌这样的自己,就算只是一天也想尽快从软弱中恢复过来,时间就在这样的矛盾纠结中度过。
“对了!试着把现在的心情写成歌词。一定有正因为是现在的我才能写出的歌词!”
就这样,数年后于台湾发行的中文专辑中最有人气且最受好评的歌曲,并于2010年上海世博会在一万人面前演唱过的——《不知道方向》,诞生了。
人生并不总是一帆风顺,时而辛苦,时而悲伤,也许就算坚强地生活有时也不知道究竟该走向何方。
但即使如此也要跨越这样的自己!
因为能超越自己的就只有自己。
歌词中灌注了这些含义的《不知道方向》的诞生,也意味着此后将大力支撑自己人生的代言人的诞生。
因为无论何时、无论怎样的状况或环境,都绝不存在无法跨越的墙壁……
待续
038【原文】http://komatsutakuya.com/301
半月板の手術が終わって1週間を俺は病院で過ごさなくてはいけなかった。
左足はギブスで固定されトイレに行く時以外はベッドの上で寝たきりの生活を強いられる。
朝晩必ず訪れる点滴の時間が本当に嫌だったし何より手術した膝以外は健康そのものだったから同じ病室に入院していたお年寄りで体が不自由な方々と同じ空間で1日中過ごす事が日に日に苦痛になっていく。
「俺はあの人達と違って若いし本当は健康なんだからこんな場所にいなくてもいいのに???」
気持ちは元気なつもりなのに病院にいると何だかそれだけで生気を奪われるようで精神的に良くなかった。
それにやるべき事もなく1日ベッドに寝たきりになっていると時間を持て余して余計な雑念まで浮かんできてしまう。
「この怪我が治ったらまた元のようにちゃんと歩けるのだろうか????」
「大好きなバドミントンはもう続けられないんじゃないか????プレイヤーとしてはもしかしてこの怪我で終わってしまったんじゃないか?」
「今回みたいにもしかしたら今後の人生でも簡単に怪我をしてしまったりする事もあるのかな?俺の体は自分で思っているよりも全然弱いんじゃないかな????」
病院という環境で自分の体が弱ってしまっている状況下だったあの1週間。
普段はあまりネガティブな発想をしない俺でも不安や弱音を日に日に抱え込むようになった。
そしてそんな自分が何より嫌で矛盾しているようだが弱い自分から一日も早く立ち直りたいという葛藤の時間を過ごす事になる。
「そうだ!今のこの気持ちを歌詞にして書き込んでみよう。今の俺だから書ける詞がきっとあるはずだ!」
こうして生まれたのが数年後台湾で中国語のCDアルバムをリリースした際に最も人気や評価を集め、2010年の上海万博では1万人を前に歌った「不知道方向(=どこへ向かおうか分からない)」だったのだ。
人生良い事ばかりじゃなくて辛い事や悲しい事もあって強い気持ちを持って生きていたってどこへ向かおうか分からない時が訪れる事もあるかもしれない。
でもそんな自分さえも乗り越えていくんだ!
俺を乗り越えられるのはオレしかいないんだから。
こんな歌詞の意味を乗せた不知道方向の誕生はこの後の俺の人生を大きく支える代弁者の誕生でもあった。
だっていつだってどんな状況や環境の時だって乗り越えられない壁は何1つなかったんだから???。
つづく
Published on 2011年6月11日 11:04 AM.
Filed under:
小松拓也自伝「俺と中国」