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杂谈 |
分类: 小松拓也的故事 |
028【译文】http://komatsutakuya.com/271
江山易改,本性难移
拍完《女医》以后也许我很快就能继续接到新电影或新电视剧的工作?
说不定自己能和那些常在电视上看到的演员们一样从此顺利走上星光大道?
心中充满了天真的期待。
当然,那个时期的我不仅动力十足,在各个方面都充满行动力。
可是接不到工作就很难长期保持这种动力,时间拖得越久,为看不见的目标持续努力的意志就变得越是单薄,行动力也开始逐渐消失。
《女医》结束后我就过着这样的生活。
而且更可怕的是人类是一种能自然而然地适应环境和变化的生物。
如果是良好的习惯或行动,那当然没什么可说的。但如果是不良的习惯和日常行为的话,一旦陷入了负面的连锁便很难挣脱。
比起辛苦,宁愿选择轻松开心、不用天天努力的生活。
然后不知不觉间这样的生活成为了所谓“我”这个人的标准常态。
过于习惯轻松状态的我往往提不起劲来行动,偶尔想到“果然不努力不行啊”,于是下定决心试着站起来行动后,却没有坚持吃苦的体力,结果很快又放弃。
这样的生活那之后又持续了十年……
理所当然的这十年来我没有等到我的成功。
稍微说一些题外话,我曾经因为脚部受伤住院而躺了一段时间的病床。人躺在床上整整一星期不走路腿部就会迅速变细,等两星期以后连正常走路都变得颇为艰难。
也就是说“活着”跟“锻炼”很像。
也许你自己觉得平凡的日常生活中每天只是普通的行走而已,但这理所当然的行为让你的身体具有了能够在正常生活中行走所需要的最低限度的肌肉和能力。
换句话说就跟锻炼一样。
只不过一两个星期没有走路,一旦放弃了这种最低限度的锻炼,人的身体就会难以置信地失去行动机能。
而且两个星期过后不仅行走所必要的肌肉发生了萎缩还失去了柔软性,所以每跨出一步都伴随着剧痛。
休息的时间越长,就连保持普通的状态也变得越来越困难……
就这样我没能摆脱负面的怪圈,持续痛苦了整整十年的漫长时光。
待续
028【原文】http://komatsutakuya.com/271
ドラマ女医を撮り終えた直後の俺は次ももしかしたらまた新しい映画やドラマの仕事がすぐに入り込むのではないか?
もしかしたらよくテレビで見ていたあの役者さん達のように自分も上手くスター街道に乗っかっていく事が出来るんじゃないか?という甘い期待に溢れていた。
当然その時期はモチベーションも高いし多方面での行動力もある。
けれど仕事がなければこういったモチベーションを維持するのは本当に大変だし、更に時間が経てば経つほど先の見えない目標に対して努力を続ける姿勢や気持ちは薄れていき行動力も消えていく。
女医のあと俺はそんな生活を送る事になった。
しかも性質の悪いことに人間とは環境や変化についつい適応してしまう生き物みたいだ。
それが良い習慣や行動であれば当然何も言う事はないのだが、それが悪い習慣や癖、日常の行動であったりすると一度陥ってしまったその負の連鎖からなかなか抜け出す事が出来なくなる。
苦しい事よりも楽で楽しいことを選び努力をしない日々が続いた。
そしてそれは次第に自分って言う人間の真ん中に常に存在するスタンダードな状態になっていってしまった。
楽な位置にいる事に慣れ過ぎてしまった俺は常に重たい腰を上げる事が出来ず、たまに「やっぱり努力をしないといけないよなぁ」って重たい腰をやっとの思いで持ち上げてみても苦しい事を続ける体力がなくなっていてすぐに諦めてしまう。
そんな生活がこの先10年も続いたのだ???。
当然この10年間には俺の成功は待っていなかった。
話は少しそれるのだが俺は足の怪我で入院して寝たきりになっていた生活を送った事があるから分かるのだが、1週間もまるっきり歩く事なくベッドの上にいると人間の足は急激に痩せ細り、2週間も経つと普通に歩く事すら困難になってしまうのだ。
つまり「生きる」という事は筋トレと一緒。
何気なく日常を送ってただただ歩いているだけのように自分では感じていても最低限人間はそんな何気ない生活の中で歩く為に必要な筋肉や能力を備えているわけだ。
これは言い換えればトレーニングと一緒。
でもたったの1週間、2週間歩かず最低限のトレーニングをやめてしまうと嘘のように人間の体は動かなくなる。
しかも2週間過ぎた頃には歩くのに必要な筋肉がなくなってしまっているばかりか柔軟性すら失ってしまっている為歩いた時に激痛を伴うのだ。
休めば休んだだけ普通でいる事すら難しくなっていった???。
俺は10年もの長い間この負のスパイラルから抜け出せず本当に苦しむ事になる。
つづく
Published on 2011年6月10日 12:14 PM.
Filed under:
小松拓也自伝「俺と中国」