[小松拓也故事]重归日本后造成的长达十年的沉默期
(2012-04-21 00:49:53)
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杂谈 |
分类: 小松拓也的故事 |
重归日本后造成的长达十年的沉默期
19岁的冬天,留学台湾的计划在十个月后以我逃离台湾返回日本的结果告终。
起初,刚回到日本的时候因为中文学习半途而废我感到深深的挫折与空虚,但随着时间流逝,这些负面的感情慢慢得到释放,逐渐向愉快转变。
在这里,我可以生活在家人的身边,随时见到想见的朋友,轻松吃到想吃的东西,兴起的时候去我想去的地方。
最重要的是,在台湾光是说话就让我感到压力,而在这里我终于可以不用说那麻烦的中文了。如此轻松的生活对当时还是个孩子的我来说真是要多开心有多开心。
然而如今回顾往昔,台湾留学遇挫并最终放弃的这段苦涩经历是导致此后我演艺生涯中不见天日十年之久的沉默期的重大原因之一。遗憾的是,当时的我不仅没意识到问题的严重性,反而还将其视作应当乐观对待的事情。
留学时期的苦涩回忆成为了我之后人生中的阴影。
并在我心中留下了对在国外生活这件事的强烈抗拒感。
这段经历让我这辈子第一次品尝到了落伍的滋味。也许正是由于这次失败,同时也让我逐渐迷失了学生时代那个参加羽毛球部坚持全力奔跑到底的、闪耀着光芒的自己。
那个时候,我本应察觉到:
如果真心想把演艺作为自己一生的事业,那么无论有多么困难、多么艰辛,当初都不应该离开台湾。
即使再痛苦也应当选择继续奔跑下去。
在演艺圈生存,就如同学生时代参加社团活动时天天坚持跑步训练的艰辛岁月一样。
平日里漫长无尽的忍耐和舞台背后每一天的严格训练,这一切都只是为了在每年只有数次的大赛中取得优胜好成绩的那一瞬间品尝到的满足、充实和喜悦。
也许再怎么努力有时候也不一定会有结果。
但是不努力就更加不可能得到结果。
演艺圈也是同样的道理。
什么时候能在正式场合得到走向人前的机会?什么时候能够展示表现自己?没人知道。
即使费尽千辛万苦终于得到了表现的机会却不能好好发挥的话,也只能为了下一次出镜的机会不得不持续忍耐漫长的等待时光。这样的事情绝非罕见。
从台湾回到日本后的十年间。
某一天突然碰巧走运得到了演艺的工作机会,这样的情况也有过好多次了,可平时没能坚持奔跑的自己却已然丧失了抓住机会的能力。
当然,在那段漫长的日子里,我也曾有过拼命努力企图挽回失去时间的时期。冷静下来回顾过去,我在那十年里不断重复着奔跑、停止、再起步,然后接着奔跑、停止的过程。
只有平时能够持续奔跑的人才可能最终走上荣光的舞台。
所谓的演艺圈就是这样一个严酷的世界。
无论是体育界还是各行各业,想要保持遥遥领先的一流地位,就不得不背负无止尽向前奔跑的宿命,否则一切就只能是空谈。这个道理,那时的我还不明白。
待续
021【原文】http://komatsutakuya.com/250
台湾への10か月に及んだ留学から逃げるように帰る結果となってしまった19歳の冬。
日本へ帰国した当時は中国語習得という目標を中途半端に切り上げて日本へ戻る事への挫折感や虚しさもあったが、日が経つにつれそれらの感情は段々解放感や楽しさへと変わっていく。
実家で家族の元で暮らす事が出来、会いたい友達にもいつでも会え、食べたいものも手軽に食べられて行きたい時に行きたい所へ行く事が出来る。
何より話す事自体がプレッシャーで面倒に感じてしまっていた中国語を話さないで済む楽な生活はまだ子供だった当時の俺にとって本当に快適だった。
だが今振り返ると俺が芸能界や自分の人生でその後10年以上もの長い間日の目を浴びる事のない結果を残してしまう大きな要因の1つとなった台湾留学を挫折して断念したというあの苦い経験は当時の俺にとって残念ながら深刻な問題でなかったばかりか楽観すべき出来事であったように思う。
留学時代の苦い思い出はその後の俺の人生にとって大きなトラウマとなってしまう。
そして海外で過ごす事に対して大きな抵抗感を残すきっかけとなってしまった。
同時にいつも全速で走り切っていた学生の頃所属していたバドミントン部時代のまだ輝きがあった自分を人生初めてのドロップアウトを味わう事で次第に見失っていく大きな出来事にも繋がった。
あの時俺は気付くべきだった。
芸能を本当に生涯の生業にしようと考えるならばどんなに厳しくても困難でも台湾から帰るべきでなかった事を。
そして苦しくても走り続ける選択をするべきであった事を。
芸能界で生きるという事はまさに俺が学生時代に嫌というほど経験した部活でのトレーニングの日々と同じだった。
元々年間に数度しかない大会で勝利して良い成績を収め、達成感や充実感や喜びを味わうその一瞬の為に捧げる試合本番以外の長く果てしない耐え続ける舞台裏での厳しいトレーニングの日々。
どんなに努力したって必ずしも結果が追い付いてくるわけではない。
だが努力しなければ結果などなおさら出せるはずもない。
能界も同じだった。
いつ本番で人前に出るチャンスを得る事が出来、自分をアピール出来るか?など分からない。
アピール出来る本番の機会をやっとの思いで手にしたところでそこで自分をアピール出来なければまた次のアピールの機会を得る為に長い時間耐え続けなければならない事だってしょっちゅうだ。
台湾から日本への帰国後10年間。
ある時突然たまたま自分に運がやってきて芸能の仕事のチャンスが入ってくる事は幾度となくあったが、普段走り続ける事が出来なくなってしまった俺にはそのチャンスを活かす能力がなかった。
当然長い時間の中で必死に頑張って失った時間を取り戻そうと試みた時期もあったが、冷静に振り返ってみると俺のあの10年は走っては止まり、また歩き、そして時にまた走ってまた止まる。
その繰り返しだった。
普段走り続ける事が出来る人間にしか栄光の場は用意されない。
厳しいけれどもそれが芸能界という世界だろう。
スポーツでも各ビジネス産業でも一流であり続けるという事は走り続けなければならない大きな宿命を持っていなければ務まらないのだという事をあの頃の俺は気付いていなかった。
つづく
Published on 2011年6月10日 12:02 PM.
Filed under:
小松拓也自伝「俺と中国」