[小松拓也故事]人生首次的独居生活
(2012-04-17 09:24:33)
标签:
杂谈 |
分类: 小松拓也的故事 |
人生首次的独居生活
结束了在事务所社长自宅、Vivian老家和Joey Wong老家共计半年的寄宿生活后,我找了间房租便宜的房子开始了一个人的生活。
从小到大都和家人同住一个屋檐下的我,这辈子第一次尝试一个人生活的地方,
竟不是日本,而是台湾。
以同他人合租的形式入住了一套3DK的公寓(3DK=3间客房加客厅和厨房),我租下了三间客房中的一间,并和其他租客共用厕所和厨房。
平时我基本上不会和其他同住这间公寓的租客有所交流。由于公寓老旧,墙壁很薄,所以常常还会听到隔壁房间传来的声响。
虽说环境不佳,但直到我返回日本为止,接下来的数个月我都将在这个房间度过。
在日本老家时我就经常帮忙做家务,所以一个人生活必然面临的家务问题对我来说并不如何辛苦。尽管之前那半年的寄宿生活我过得很好,碰上的每一位都是十分照顾、关心我的好人,但正因如此心中总不免感到很不好意思,自己也尽可能地客气待人。
所以当一个人的生活开始时,我体会到了某种自由开放的感觉,仿佛踏入了一个与以往全然不同的新世界,觉得好新鲜。
留学台湾的那段日子里,我刻意不去主动结交日本友人,所以当时的朋友大多是台湾人,而我的中文水平也因此进步飞快。
其中令我学习语言的过程进一步加速的,我想应该是电视节目。
每天打开电视都能看到日语发音的日本连续剧和日本综艺节目,而且台湾的电视台无论是放中文节目还是日语节目几乎都会附上中文字幕。
因为中文节目内的对话速度很快我有时会听不清,比较难理解意思。但是日语节目的话,至少对话的内容和意义我不可能听不懂,然后在此基础上对照中文字幕,能够学到许多新的单词和说法。
所以对当时的我来说,电视节目就是最棒的语言教材。
自从变成一个人住,掌控了随意更换电视频道的所有权以后,电视节目充斥了我每一天的生活。
这同时也是我逃避独居的寂寞与思乡情愁的手段。
然而,随着一个人生活的日子一天天过去,我逐渐发现自己心中日渐浓重的思乡之情。
那时的我尚不知道,正是这份思乡之情让我的生活陷入了一片混乱……
待续
017【原文】http://komatsutakuya.com/238
事務所社長の自宅、ビビアンの実家、ジョイウォンの実家と合計約半年間のホームステイを終えた俺は安い物件を探し一人で住み始める事になる。
日本でもずっと実家暮らしだった俺が生まれて初めて経験する事になった一人暮らし。
そこは日本ではなくて台湾だった。
いわゆるルームシェアで3DKのアパートの1部屋を 間借りした環境でトイレやキッチンなども他の住人達と共有して使用した。
同じアパートに住んでいた他の住人との交流は基本的には一切なかったし、古いアパートだったから壁も薄くて隣の部屋の物音なども聞こえてくる環境だった。
結局この部屋には日本に帰る事になるまでの残り数か月を過ごす事になる。
日本の実家でも家事はよくやっていた俺にとって一人暮らしで家事を行うのは何の苦労も感じなかったし、半年間に及んだホームステイはいくら世話をしてくれた人たちがいい人ばかりだったとは言え、さすがに気を遣ったし遠慮もした。
だから一人暮らしをスタート出来た事は開放的だったし何だか今までと違う世界に足を踏み入れたような新鮮な感覚だった。
台湾時代、俺は基本的に日本人の友達と意図的にあまり交流しないようにしていたから友達はほとんど台湾人だったし語学の上達も早かったと思う。
語学習得を更に加速させたのはテレビだろう。
テレビをつければ日本語でのドラマやバラエティを毎日見る事が出来たし、台湾のテレビには中国語放送だろうと日本語放送だろうとほとんどの番組で中国語の字幕がついてくる。
中国語放送では会話が早すぎて聞き取れなかったり意味を理解出来なくても日本語放送ならば少なくても会話や展開の意味が理解出来るし、その上で中国語の字幕を見て新しい表現方法や単語を勉強する事が出来る。
その為当時の俺にとって最高のテキストとなったのがテレビだったわけだ。
一人暮らしになってテレビチャンネルの所有権も自分次第という環境になってからはとにかくテレビをよく見るようになる。
それは同時に一人暮らしの寂しさやホームシックから逃れる手段でもあった。
だが一人暮らしを始めて時間が経過するうちに俺はホームシックになっている自分に気付いていく事になる。
同時にそれは俺をボロボロの生活へと追い込んでいくのだ???。
つづく
Published on 2011年6月10日 11:54 AM.
Filed under:
小松拓也自伝「俺と中国」