伊豆の踊子 (转载)
(2018-03-29 15:01:59)
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伊豆舞女日本文学 |
分类: 川瑞康成和东山魁夷专辑 |
译文:伊豆的舞女
山道变得如羊肠般弯弯曲曲,终于要临近天城山山顶的时候,瓢泼大雨染白了茂密的杉树林,从山脚下猛烈地快速向我追来。
二十岁的我戴着高中生的学生帽,上身穿着藏青地碎白花纹的和服,下身穿着和服裙裤,肩上背着书包。这是我独自一人到伊豆旅行的第四天。在修缮寺温泉住了一夜,又在汤岛温泉住了两夜,然后,穿着厚朴木齿的高齿木屐登上天城山。重峦叠嶂的群山以及原始森林还有深邃的溪谷,我陶醉于这美丽的秋天,可是一个期待使得我心怦怦直跳,加快了步伐。这时,豆大的雨点开始拍打在我身上。我沿着弯曲陡峭的山坡向山上奔跑。在终于到达山顶北口的茶馆时舒了一口气,与此同时我在茶馆门口呆立住了。因为我的期待圆满的实现了,巡回艺人正在那里休息。
看到呆立着的我,舞女马上让出自己的坐垫,并将它翻过来放在旁边。
我只“哦。。。”了一声就坐下了。因刚跑上山坡一时气喘,又惊了一下,使得我一句“谢谢”卡在喉咙没能说出口。
因舞女和我面对面坐得很近,我慌忙着从衣袖里取出了香烟。舞女将同行的女子面前的烟灰缸递到了我面前。我依旧沉默着。
舞女看起来十七岁左右,梳着古怪的大大的发髻,是我不清楚的古代发型。使得她那凛然的鹅蛋脸看起来很小,却不失美丽和谐。使人联想到稗史中头发描绘得过于浓密的女子的形象。和舞女一起的有一个四十多岁的女人,两个年轻姑娘,还有个二十五六岁的男子,穿着印有长冈温泉旅馆字号的衣服。
至此我已经见过舞女一行人两次了。第一次是来汤岛的途中,在汤川桥附近遇到了正要去修缮寺的她们。当时有三个年轻的姑娘,舞女提着太鼓,我不时的回过头去看她们,体会到了独自旅行的孤独感。之后,在汤岛的第二晚,她们转到我住的旅馆。我坐在楼梯半当中聚精会神的看着舞女在门口地板上跳舞。我心里想着那天是在修缮寺今晚在汤岛,那么明天她们也许会向南越过天城山去汤野温泉吧,在天城山二十多公里的山路上一定能追上她们的。我这样幻想着,匆匆赶来,可是恰好和她们在避雨的茶馆相遇,我还是有点不知所措。
过了一会儿,茶馆的大妈把我领到别的房间。这个房间大概平常不用,所以连拉门也没有。往下看,是深不见底的美丽的山谷。我冷得牙齿咯咯的响,鸡皮疙瘩都起来了。
“哎呀,少爷您浑身都湿透了啊,到这边来烤烤火吧,来,把衣服烤烤干吧。”说着,就拉着我把我引到自己的房间。
那个房间装着地炉,一打开拉门一股强烈的热气就袭了过来。我踟蹰的站在门槛边,一个像溺水死掉的浑身青肿的大爷盘腿坐在火炉旁。脸眼珠都是黄色的,跟腐烂了似的,无神的向我瞥来。他的周围堆着旧书信和纸袋子,简直就是把自己埋在了这些纸堆里。我呆若木鸡的望着他,实在不像活着的人而是山中怪物。
“让您看到如此见不得人的样子。不过他是我家的老头子,不要担心,虽说是难看了点,不过他也动不了,您就将就着忍耐一下吧。”
原文:伊豆の踊り子(いずのおどりこ)
道がつづら折(お)りになっていて、いよいよ天城峠(あまぎとうげ)に近づいたと思う頃、雨脚(あまあし)が杉(すぎ)の密林(みつりん)を白く染(そ)めながら、すさまじい早さで麓(ふもと)から私を追(お)って来た。
私は二十歳(はたち)、高等学校(こうとうがっこう)の制帽(せいぼう)をかぶり、紺(こん)がすりの着物に袴(はかま)をはき、学生カバンを肩(かた)にかけていた。一人伊豆の旅に出てから四日(よつか)目のことだった。修善寺温泉(しゆぜんじおんせん)に一夜(いちや)泊(とま)り、湯(ゆ)ヶ島(しま)温泉に二夜(ふたや)泊り、そして、朴葉(ほおば)の高下駄(たかげた)で天城を登(のぼ)って来たのだった。重(かさ)なり合った山々や原生林(げんせいりん)や深い渓谷(けいこく)の秋に見惚(みほ)れながらも、私は一つの期待(きたい)に胸(むね)をときめかして道を急(いそ)いでいるのだった。そのうちに大粒(おおつぶ)の雨が私を打(う)ち始めた。折(お)れ曲(ま)がった急(きゅう)な坂道(さかみち)を駆(か)け登(のぼ)った。ようやく峠(とうげ)の北口(きたぐち)の茶屋(ちゃや)に辿(たど)りついてほっとすると同時(どうじ)に、私はその入口(いりぐち)に立ちすくんでしまった。あまりに期待がみごとに的中(てきちゅう)したからである。旅芸人(たびげいにん)の一行(いっこう)が休(やす)んでいたのだった。
突(つ)っ立(た)ている私を見た踊り子が直(す)ぐに自分の座布団(ざぶとん)を外(はず)して、裏返(うらがえ)しに傍(そば)へ置(お)いた。
「ええ……。」とだけ言って、私はその上に腰(こし)を下(お)ろした。坂道(さかみち)を走(はし)った息切(いきぎ)れと驚(おどろ)きとで、「ありがとう。」という言葉が咽(のど)にひっかかて出(で)なかったのだ。
踊り子と真近(まじか)に向かい合ったので、私はあわてて袂(たもと)から煙草(たばこ)を取り出(だ)した。踊り子がまた連(つ)れの女(おんな)の前の煙草盆(ぼん)を引(ひ)き寄(よ)せて私に近(ちか)くしてくれた。やっぱり私は黙(だま)っていた。
踊り子は十七くらいに見えた。私には分からない古風(こふう)の不思議(ふしぎ)な形(かたち)に大きく髪(かみ)を結(ゆ)っていた。それが卵形(らんけい)の凛々(りり)しい顔を非常に小さく見せながらも、美しく調和(ちょうわ)していた。髪を豊(ゆた)かに誇張(こちょう)して描(えが)いた。稗史的(はいしてき)な娘(むすめ)の絵姿(えすがた)のような感じだった。踊り子の連れは四十代の女が一人、若い女が二人、ほかに長岡(ながおか)温泉の宿屋(やどや)の印半纏(しるしばんてん)を着た二十五六の男(おとこ)がいた。
私はそれまでにこの踊り子たちを二度(にど)見ているのだった。最初(さいしょ)は私が湯ヶ島へ来る途中(とちゅう)、修善寺へ行く彼女たちと湯川橋(ゆがわばし)の近くで出会(であ)った。その時は若い女が三人だったが、踊り子は太鼓(たいこ)を提(さ)げていた。私は振り返し振り返し眺(なが)めて、旅情(りょじょう)が自分の身についたと思った。
それから、湯ヶ島の二日(ふつか)目宿屋やどや)へ流(なが)して来た。踊り子が玄関(げんかん)の板敷(いたじき)で踊るのを、私は梯子段(はしごだん)の中途(ちゅうと)に腰を下(お)ろして一心に見ていた。
ーーあの日が修禅寺で今夜が湯ヶ島なら、明日(あす)は天城(あまぎ)を南に越えて湯ヶ島温泉へ行くだろう。天城七里(しちり)の山道(やまみち)できっと追(お)いつけるだろう。そう空想(くうそう)して道を急いで来たのだったが、雨宿(あまやど)りの茶屋でぴったり落ち合ったものだから、私はどぎまぎしてしまったのだ。
間もなく、茶屋のお婆(ばあ)さんが私を別の部屋へ案内してくれた。平常用(へいじょうよう)はないらしく戸障子(としょうじ)がなかった。下を覗(のぞ)くと美しい谷(たに)が目の届(とど)かないほど深(ふか)かった。私は肌(はだ)に粟粒(あわちに)を拵(こしら)え、かちかちと歯(は)を鳴(な)らして身震(みぶる)いした。茶をいれに来た婆さんに、寒いと言うと、
「おや、旦那(だんな)様(さま)お濡(ぬ)れになってるじゃございませんか。こちらで暫(しばら)くおあたりなさいまし、さあ、お召物(めしもの)をおかわかしなさいまし。」と、手を取るようにして、自分たちの居間(いま)へ誘(さそ)ってくれた。
その部屋は炉(ろ)が切ってあって、障子を開(あ)けると強(つよ)い火気(かき)が流(なが)れてきた。
私は敷居(しきい)際に立って躊躇(ためら)した。水死人(すいしにん)のように全身(ぜんしん)青膨(あおふく)れの爺(じい)さんが炉端(ろばた)にあぐらをかいているのだ。瞳(ひとみ)まで黄色く腐(くさ)ったような眼を物憂(ものう)げに私の方へ向けた。身の周りに古手紙(こてがみ)や紙袋(かみふくろ)の山を築(きず)いて、その紙屑(かみくず)の中に埋(う)もれていると言ってもよかった。到底(とうてい)生物(いきもの)と思えない山の怪奇(かいき)を眺めたまま、私は棒立(ばうだ)ちになった。
「こんなお恥(は)ずかしい姿を見せいたしまして……。でも、うちのじじいでございますからご心配まさいますな。お見苦しくても、動(うご)けないから、このままで堪忍(かんにん)してやって下さいまし。」
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