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日语综合教程第八册第九课 古典(一)

(2015-10-19 14:09:03)
标签:

古典

和歌

日本文学

分类: 日语综合教程第八册

日语综合教程第八册第九课古典(一)

 翻译:王志镐

一.古典の文章に親しむ

 

あした浜辺を さまよえば                                        清晨彷徨在海滨

昔のことぞ しのばるる                                           想起往昔的事儿

風の音よ 雲のさまよ                                              风声、云势哟、

寄する波も かいの色も                                           蜂拥的波涛、贝壳的光泽

 

ゆうべ浜辺を もとおれば                                        傍晚溜达在海滨

昔の人ぞ  しのばるる                                           想起从前的人儿

寄する波よ かえす波よ                                           蜂拥的波涛、退去的波涛哟

月のいろよ 星のかげも                                           还有月亮、星星的映照

 

これは、今でも多くの人々にしたしまれている「浜辺の歌」おいう歌曲です。林古渓という詩人の詩人の作品で、長い小学歌曲いつづけれてきました。作詞された当時(大正7年)は、「さまよえば」は「さまよへば」と、「かい」は「かひ」と書かれていました。

 

这是一首名为《海滨之歌》的歌曲,至今还得到众人的喜爱。它是一位名叫林古溪的诗人的作品,很长时间里作为小学音乐课的教学乐曲来演唱。作词时为大正七年,「彷徨えば」「さまよへば」,「かい」被写作「かひ」。

 

古く、平安時代の中ごろの仮名の用い方は、当時の発音を表したものであったと思われます。ところが、時代が下がるにつれて、いくつかの発音に変化が生じ、仮名との間にずれができてしまったのです。それでも、現代仮名遣いが行われるようになるまでは、歴史的の仮名遣うが、仮名を用いて書き表す場合の原則とされてきました。

 

古代平安时代中期,假名被认为是表示该时的发音。但是随着时代的推移,有些音发生了变化,与假名之间产生了差异。尽管如此,在实施现代假名书写方法之前,历史假名书写法是使用假名书写文章时的原则书写的。

 

さて、古文には、現代文と比べて、さらにいくつかの違いがみとめられます。その一つは、活用語の語形に違いがあるということです。現代の「しのばれる」が「しのばる」であったり、「寄せる」が「寄する」であったりするのです。そのような点から見て、「浜辺の歌」は、古い時代の文章のきまり、つまり、古文の文保に従って書き表さらた作品だと言うことができます。

 

另外,古文与现代文相比,还有几个不同的地方。其中之一,就是活用词的词形不同。比如现代的:“しのばれる”曾经是“しのばるる”,“ 寄せる”是が“寄する” 。从这一点来看,《海滨之歌》采用的是古代文章的写法,也就是按照古文与法写的作品。

 

次に注目したい、古文特有の文法に、係り結びという現像があります。現代でも、文末に用いられる「ぞ」という助詞が、古い時代の文章においては、むしろ文中に用いられることが多く、そのような助詞があるとき、文末の活用語はきまって連体形で結ばれたのです。「浜辺の歌」の中の「昔のことぞしのばるる」が、それに当たります。もし「ぞ」という助詞がなければ、「しのばる」となって、「る」という終止形で言い切られるはずのところが、ここでは「るる」という連体形で結ばれています。「浜辺の歌」は、この点でも、古文の文法に従っていたのです。

 

另一个须注意的问题是,古文特有的语法里有一种叫做系结规则的现象。现代用在句末的助词“ぞ”,在从前的文章里更多的是用在句中,出现这个助词的时候,句末的活用词一定要用连体形结句。《海滨之歌》中的“昔のことぞしのばるる”就是这种情况。如果没有“ぞ”这个助词,那就是“しのばる”,用“る”这个终止形结句,这里是用“るる”这个连体形结句。《海滨之歌》在这一点上也是依照古文语法的。

 

幸い、この歌曲の中には、まったく知らないという単語はひとつもないといってよいでしょう。しかし、冒頭の「あした」は、「明日」の意味ではなく、「朝」という意味です。長い時代の中で、このように、同じ単語でも、意味に違いを生じて現在至っているものもあるのです

 

幸好,这首歌曲中没有我们不熟悉的单词。但是打头的“あした”不是“明日”的意思,而是“朝”的意思。就这样,在漫长的历史过程中,同一个单词也会发生意义上的变化,直至今日。

 

古文というと、何か、取り付きにくい、違い昔の文章のように思われがちですが、決してそうではありません、古文に準じた文章が、このように、意外にも身近なところにあって、気づかないうちに接してきているのです。そして、そのようなことに気づくことが、古文に親しむきっがけともなりましょう。日本には、実に多くの古典が、広い分野にわたって、読み継がれてきています。古典の和歌を口ずさみ、古典の随筆に思索を深め、古典の物語に陶酔の一時を過ごしたいと思います。

 

谈到古文,我们常常会觉得哟写难以接近好象是很久以前的文章,但其实绝不是这样的。相当于古文的文章,就像前面的歌曲一样,很意外地存在于我们的身边,我们不知不觉就在接触它们。那么,我们既然已经发觉了这一点,就让我们以此作为亲近古文的一个契机吧。日本有许多古典作品,涉及广泛的领域,各个时代的人都在阅读它们。让我们能够随口吟诵几句和歌,在古典的随笔中加深我们的思索,在古典的物语中度过一些陶醉的时光。

 

                   『新国語1』(旺文社)による

  (摘自《新国语I》旺文社)

 

 

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