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千曲川的素描之四  岛崎藤村

(2014-07-06 15:53:04)
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岛崎藤村

情感

日本散文

分类: 岛崎藤村专辑
千曲川的素描之四  岛崎藤村
翻译:王志镐

その四 

     中   棚 

 私達の教員室の窓から浅い谷が見える。そこは耕されて、桑などが植付けてある。

 

        半山腰

从我们教员室的窗户可以看见浅浅的山谷。那里开辟了耕地,移植了桑树等树木。

 
 こういう谷が松林の多い崖を挟んで、古城の附近に幾つとなく有る。それが千曲川の方へ落ちるに随って余程深いものと成っている。私達は城門の横手にある草地を掘返して、テニスのグランドを造っているが、その辺も矢張谷の起点の一つだ。M君が小諸に居た頃は、この谷間で水彩画を作ったこともあった。学校の体操教師の話によると、ずっと昔、恐るべき山崩れのあった時、浅間の方から押寄せて来た水がこういう変化のある地勢を造ったとか。 

 

这样的峡谷被多松树的悬崖隔开,而古城附近的几棵已绝迹。它们随着千曲河方向落下,形成了相当深的森林。我们将城门旁的草皮挖了回来,修建了网球运动场,在这附近还是山谷的一个起点。M君在小诸居住期间,曾在这山谷中间画水彩画。据学校的体育老师说,很久以前,可怕的山崩发生时,从山谷浅处汹涌而来的大水造成了这样变化多端的地势。


 八月のはじめ、私はこの谷の一つを横ぎって、中棚の方へ出掛けた。私の足はよく其方へ向いた。そこには鉱泉があるばかりでなく、家から歩いて行くには丁度頃合の距離にあったから。

 

八月初,我从该山谷中的一处横贯而入,向中间的缓坡方向走去,我的脚正好对着该方向。这里不但有矿泉,而且从家出发步行的距离也正好合适。

 
 中棚の附近には豊かな耕地も多い。ある崖の上まで行くと、傾斜の中腹に小ぢんまりとした校長の別荘がある。その下に温泉場の旗が見える。林檎畠が見える。千曲川はその向を流れている。

 

半山腰附近有许多富饶的田地,朝着某处山崖往上走,斜坡中间是校长先生小而舒适的别墅,下面可以看见温泉浴场的旗帜,还可以看见苹果园。千曲河正向着这个方向流去。

 
 午後の一時過に、私は田圃側の道を通って、千曲川の岸へ出た。蘆、蓬、それから短い楊(やなぎ)などの多い石の間で、長野から来ている師範校の学生と一緒に成た。A、A、Wなどという連中だ。この人達は夏休を応用して、本を読みに私の家へ通っている。岸には、熱い砂を踏んで水泳にやって来た少年も多かった。その中には私達の学校の生徒も混っていた。

午后过了一点,我通过田圃侧面的小道,向千曲河岸走来。芦苇,蓬嵩,还有矮小的杨树等长在众多的石头之间,我和长野来的师范学校学生走在一起,A君,W君等都是我的伙伴。这一行人利用暑假来我家读书串门。河岸上,踏着热呼呼的沙土地来游泳的少年很多,其中也有我们学校的学生混杂在其中。

 
 暑くなってから、私はよく自分の生徒を連れて、ここへ泳ぎに来るが、隅田川なぞで泳いだことを思うと水瀬からして違う。青く澄んだ川の水は油のように流れていても、その瀬の激しいことと言ったら、眩暈(めまい)がする位だ。川上の方を見ると、暗い岩蔭から白波を上げて流れて来る。川下の方は又、矢のように早い.。それが五里淵の赤い崖に突き当たって、非常な勢いで落ちて行く。どうして、この水瀬が是処の岩から向うの崖下まで真直ぐに突切れるものではない。それに澄んだ水の中には、大きな岩の隠れたのがある。下手をマゴつけば押流されて了う。だから余程上の方からでも泳いで行かなければ、目的とする岩に取付いて上がることが出来ない。 

 

由于天气炎热,我经常与自己的学生做伴,来这儿来游泳。如果以为在隅田河等河流里游泳,就是在浅水滩游戏,那就错了。清澈的河水像油一样流淌着,据说这里的水滩水流湍急,会使人觉得头晕。朝河流的上方看去,昏暗的岩石上,白浪飞溅而下,又像箭似的飞落到河流下游。五里渊的红色悬崖在这里到了尽头,我们劲头十足地朝下走去。不管怎样,该处急流并非从这边的岩石直接冲向对岸的崖壁,因此巨大的岩石隐匿在清澈的水中。如果在河流下游感到惊慌失措的话,将被溪流所阻隔;如果不得不从相当靠上面的地方游过去,就不能紧贴着目的地的岩石爬上去。


 平野を流れる利根などと違い、この川の中心は岸のどちらかに激しく傾いている。私達は、この河底に露れた方に居て、溝萩(みぞはぎ)の花などの咲いた岩の蔭で、二時間ばかりを過ごした。熱い砂の上には這いのめって、甲羅を乾しているものもあった。ザンブと水の中へ飛込むものもあった。このあたりへは小娘まで遊びに来て、腕まくりをしたり、尻を端折ったりして、足を水に浸しながら余念なく遊び廻っていた。

 

与流过平野的利根河等河流不同,这条河的中心是从岸上的什么地方湍急地倾泻下来。我们位于河底露出的地方,在沟荻花等盛开的岩石绿荫中,才刚刚度过了两个钟头。我们在热乎乎的沙滩上趴着,有的人晒着自己的脊梁,有的人跳入水中。周围有小姑娘走过来玩,她们卷起裤腿,撅着屁股,两脚浸在水里,无忧无虑地戏水玩耍。

 
 三つの麦藁帽子が石の間にあらわれた。師範校の連中だ。 
「ちったア釣れましたかネ」と私が聞いた。 
「ええ、すっかり釣られて了いました」 
「どうだネ、君の方は」 

三顶麦秸草帽出现在石头之间,这是师范学校的伙伴。

“不钓钓鱼吗?”他们问我。

“啊,全都被钓完了。”

“怎么会呢?是您的问题吧!”


「五尾ばかし掛るには掛りましたが、皆な欺されて了いました」 
「む、む、二時間もあるのだから、ゆっくり言訳は考えられるサ……」 
 こんなことを言って、仲間の話を混返すものもあった。

 

“只钓了五条就钓不上来了,大家都胜过我了。”

“不,不,还有两个钟头呢,慢点给自己辩解吧……”

有说这样话的,也有插嘴打诨的。

 
 この連中と一緒に、私は中棚の温泉の方へ戻って行った。沸し湯ではあるが、鉱泉に身を浸して、浴槽の中から外部の景色を眺めるのも心地が好かった。湯から上がっても、皆の楽みは茶でも飲みながら、書生らしい雑談に耽ることであった。葡萄棚なぞを渡って来る涼しい風は、私達の興を助けた。

 

与这些伙伴一起,朝着半山腰的温泉方向往回走。这里有滚热的洗澡水,在矿泉里浸泡着,从浴池里眺望外面的景色,心地舒畅无比。从浴池里上来,大家快活地喝着茶,沉湎于书生气的闲谈中。徐徐凉风从葡萄棚穿过,为我们助兴。

 
「年をとれば、甘い物なんか食いたくなくなりましょうか」 
 と一人が言出したのが始まりで、食慾の話がそれからそれと引出された。 
「十八史略を売って菓子屋の払いをしたことも有るからナア」 
「菓子もいいが、随分かかるネ」 
「僕は二年ばかり辛抱した……」

 

“如果年纪大了,好吃的东西不是想吃也吃不成吗了?“

 一个人这样开始了发言,关于食欲的话题由此引出。

  “是要把十八史的房子买下来,做点心铺的生意吗?”

  “做点心好,事业相当不错啊!“

  “我只要忍耐两年……

 
「それはエラい。二年の辛抱は出来ない。僕なぞは一週間に三度と定めている」 
「ところが、君、三年目となると、どうしても辛抱が出来なくなったサ」 
「比頃(こないだ)、ある先生が――諸君は菓子屋へよく行そうだ、私はこれまでそういう処へ一切足を入れなかったが、一つ諸君連れてってくれ給え、こう言うじゃないか」 
「フウン」 
「一体諸君はよく菓子を好かれるが、一回に凡そどの位食べるんですか、と先生が言うから、そうです、まあ十銭から二十銭くらい食いますって言うと、それはエラい、そんなに食ってよく胃を害さないものだと言われる。ええ、学校へ帰って来て、夕飯を食わずにいるものも有ります、とやったさ」 
「そうだがねえ、いろいろなのが有るぜ、菓子に胃散をつけて食う男があるよ」 
 三人は何を言っても気が晴れるという風だ。中には、手を叩いて、踊り上がって笑うものもあった。それを聞くと、私も噴飯(ふきだ)さずにはいられなかった。 
 やがて、三人は口笛を吹き吹き一緒に泊っている旅舎の方へ別れて行った。

 
 この温泉から石垣について坂道を上がると、そこに校長の別荘の門がある。楼の名を水明楼としてある。この建物はもと先生の書斎で、士族屋敷の方にあったのを、ここへ移して住まわれるようにしたものだ。閑雅な小楼で、崖に倚って眺望の好い位置に在る。

 

从温泉沿着石板路拾级而上,那里是校长别墅的大门,楼的名称叫水明楼。这幢建筑也是先生的书斋,听说他是从士族宅第搬到这里来居住的。悠闲的小楼,是倚着悬崖绝壁眺望的极好位置。

 
 先生は共立学校時代の私の英語の先生だ。あのころは先生も男のさかりで、アアヴィングの「リップ?ヴァン?ウィンクル」などを教えてくれたものだった。その先生が今ではこういうとこに隠れて、花を植えて楽んだり鉱泉に老を養ったりするような、白髯(はくぜん)の翁だ。どうかすると先生の口から先生自身がリップ?ヴァン?ウィンクルであるかのような戯談(じょうだん)を聞くこともある。でも先生の雄心は年と共に鎖磨(しょうま)し尽くすようなものでもない。客が訪ねて行くと、談論風発する。

 

先生是共建学校时代我的英语教师,他那时还是一个处于最旺盛期的男子,曾经教我们华盛顿.欧文的《睡谷的传奇》。如今先生在此隐居,在矿泉浴场旁边种种花,养养老。他已经是个白髯老翁了,曾经从先生嘴里听说过他自己也是山谷中的一个睡翁的戏说。然而先生的雄心并没有随着年月的消逝而殆尽,如有客人来访,他依然谈笑风生。

 
 水明楼へ来る度に、私は先生のよく整理した書斎を見るのを楽みにする。そればかりではない、千曲川の眺望はその楼上の欄(てすり)に倚りながら恣(ほしいまま)に賞することが出来る。対岸に煙の見えるのは大久保村だ。その下に見える釣橋が戻り橋だ。川向から聞こえる朝々の鶏の鳴声、毎晩農村に点く灯の色、種々思いやられる。 

 

每次来到水明楼,光顾先生经常整理的书斋感到无比愉快。不仅如此,一边倚着楼上的栏杆,一边可以随心所欲地欣赏这里的美景。对岸看得见炊烟的地方是大久保村,下面看见的吊桥是回家要经过的桥。从河对岸听得见每天清晨的鸡鸣声,而每天晚上村子里的点点灯火,又使人思绪万千。

 



     楢の樹蔭 

 楢(なら)の樹蔭。 
 そこは鹿島神社の境内だ。学校が休み成ってからも、私はよくその樹蔭を通る。 
 ある日、鉄道の踏切を越えて、また緑草の間の小径へ出た。楢の古木には、角の短い、目の愛らしい小牛が繋いであった。しばらく私が立て眺めていると、小牛は繋がれたままでぐるぐると廻るうちに、地を引くほどの長い網を彼方此方の楢の幹へすっかり巻き付けて終った。そして、身動きすることも出来ないように成った。 
  向の草の中には、赤い馬と白い馬とが繋いであった。

  

      橡树的树荫

 

橡树的树荫。

这里是鹿岛神社境内。自从学校放假以来,我经常经过这处树荫。

有一天,我越过了铁道的枕木,走向藏匿于绿草之间的小径。古老的橡树,枝杈短小,将像自己眼睛一样爱护的小牛系在这里。不一会儿,我站起来一看,小牛就这么被系着一圈一圈地转圈,几乎拽地的长长的绳子将它们之间的橡树树干紧紧地缠绕起来,这么一来,它的身体连动都动不了。

对面的草丛中,赤色的马和白色的马也被系着。

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