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东山魁夷  一条路

(2011-11-11 13:03:14)
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东山魁夷

一条路

日本散文

分类: 日本随笔

东山魁夷  一条路

 

ひとすじの道が、私の心に在った。

在我的心中,有一条路。

 

夏の早朝の、野の道である。

这是一条夏日清晨野外的路。

 

青森県種差海岸の、牧場のスケッチを見ている時、その道が浮んできたのである。

当我欣赏在青森县种差海岸牧场画的写生画时,这条路便浮现在我的眼前。

 

正面の丘に灯台の見える牧場のスケッチ。その柵や、放牧の馬や、灯台を取り去って、道だけを描いてみたら――と想いついた時から、ひとすじの道の姿が心から離れなくなった。

在这幅牧场写生画里,正面可以看见山上的灯塔。我想,要是除去那里的栅栏,放牧中的马以及灯塔,只画一条路多好——自打有了这个念头,这条路的倩影就在我的脑海里挥之不去。

 

道だけの構図で描けるものだろうかと不安であった。しかし、道の他に何も描き入れたくなかった。現実の道のある風景でなく、象徴の世界の道が描きたかった。したがって、どこの道を描くというわけではないのだが、いろんな条件を考えてみると、やはり、種差牧場の道を手がかりにして構成するのが、まとまりがよさそうに思えるのだった。しかし、その牧場をスケッチしたのは戦前のことで、十数年も前のことである。はたして、あの道が、あのままの姿で、いまでも在るのだろうか。心細いことであった。

想到光画路能构成画面吗,就感到有些不安。但是,除了路之外,我什么也不想画了。我想画的,不是现实中存在的风景,而是象征着世界的路。因此,我画的并不是一条具体的路,考虑到各种条件,我想还是以种差牧场的路为线索来构图似乎更和谐统一。可是,画种差牧场的写生画还是战前十多年前的往事了。如今这条路果真还像原来那样存在吗?我心里一点底也没有。

 

行っても無駄ではないか、何も、あの道にこだわることはないとも考えられた。昭和二十五年のことであるから、旅行事情もあまり良いとは云えない頃だったが、私の懸念は、そのことではなかった。最初の拠り所となった現実の風景が、すっかり変ってしまっていた場合、せっかく心の中に形成されかかっている道の影が、薄れてしまうのではないかと心配であった。

即使去不也是徒然吗?有时我也想,何必拘泥于那条路呢?因为那是昭和二十年的事情,所以那时候的旅行条件也不算很好。然而,我惦念的不是这个,而是在最初成为我的创作欲望的现实风景全部改变了的情况下,那样好不容易才在我心中形成的那条路,会不会淡化了呢?

 

それでも、どうしても行ってみたくなった。東北本線が水害で不通になっていた時なので、奥羽線で青森を廻って八戸に着いた。

尽管如此,我想无论如何也要去看一看。当时东北干线因水灾不通车,我乘奥羽线绕道青森抵达了八户。

種差海岸の牧場へ行くと、その道は荒れてはいるが、以前のまま牧場の中を通って、灯台の丘へと、ゆるやかに続いていた。

我朝着种差海岸的牧场走去,这条道路虽然荒芜却依然如故,它从以前的牧场中穿过,缓缓地向竖立着灯塔的山岗延伸过去。

 

「来てよかった」と、ひとりごとを云って、私はその場に立ちつくした。

“来得正好!”我一个人自言自语道,久久地站在那儿。

 

海へ傾斜している芝のスロープの中に、その道は両側を雑草にふちどられて、まっすぐに、ゆるやかに上ってゆき、やや、右へ曲ろうとして、視野から消えている。そして、遠く向うの丘を、その続きと思える一線が横切っているのが見える。

在向着大海倾斜的草地斜坡中,这条路的两侧杂草丛生,它笔直而缓和地向上去,刚向右拐,就消失在视野中。然而,在远处对面的山岗上,想象中是这条路的延续的一线横断却尽收眼底。

 

しかし、十数年前のスケッチから、私の心の中に浮び上ってきた道と、この現実の道は、かなりの隔たりはあった。大づかみな構図としては、この丘と道との組合せでよいように思えたが、いま、目の前にある道は、夏の陽に焼かれ、土も草も乾いていた。道の土の持つ落着きのある情感、両側の草と道との境のささやかな味わい、そういうものが失われていた。向うの丘のスカイラインも、以前はゆったりとした線であったが、いまはその頂きに岩が露出している。十年の風雪が洗い出したものであろうが。戦争の荒廃の跡は、この、陸奥の果ての牧場の道にも、あらわれていると思えるのだった。

但是,根据十几年前的写生,我心中浮现的路同现实中的路却有着相当的距离。作为大概的构图,这山岗和路的组合似乎不错,然而如今横在眼前的路,在炎炎的夏日的焦烤下,土和草都干枯了。路的土所持有的沉静的情感,像路两侧的草与路的接壤处的那种细腻的趣味,都已丧失殆尽。对面山岗以天空为背景映出的轮廓线,以前是多么柔和,如今山顶上却露出了岩石。难道是十年的风雪所洗刷出来的吗?令人感到战争所荒废的遗迹,在这未知区域的边际牧场上的路上也显露出来了。

 

私はしっとりと潤いのある道が描きたかった。事情を話して牧場へ泊めてもらい、朝早く、まだ陽の登らぬうちに、この道を写生した。市川へ帰ってきてからも毎朝、近くの川の堤の道をあるいて、露に濡れた草むらや、土の色を見ては参考にした。こうして、『道』の制作の準備を進めていった。

我要画一条娴静而富有润泽的路。说明了来意,我在牧场过了夜,第二天一早趁太阳还没有

出来的时候,将这条路写生下来。回到市川,我每天早上都漫步在附近的河堤道路上,观察着挂着露水的草丛和泥土的颜色,作为参考。就这样,持续做着创作《路》的准备工作。

 

道は、歩いてきた方を振り返ってみる時と、これから進んで行こうとする方向に立ち向う場合がある。私はこれから歩いて行く方向の道を描きたいと思った。ゆるやかな登り坂に向った時、私達には、これから、そこを歩いて行くという感じが起る。それに反して下り坂を見おろすと、いままでたどって来た道を振り返った感じになり易い。

有回顾以往走过来的路,也有面向今后将要行进方向的路。我想画的是今后将要走的方向的路。面对缓缓的上坡路时,我们就会有一种今后从这里开步走的感觉。相反,俯视着下坡路,就容易感到这是在回顾一条至今已走过来的路。

この道の作品を描いている時、これから歩いてゆく道と思っているうちに、時としては、いままでにたどって来た道として見ている場合もあった。絶望と希望とが織り交じった道、遍歴の果てでもあり、新しく始まる道でもあった。未来への憧憬の道、また、過去への郷愁を誘う道にもなった。しかし、遠くの丘の上の空を少し明るくして、遠くの道が、やや、右上りに画面の外へ消えているようにすると、これから歩もうとする道という感じが強くなってくるのだった。

我在画这幅路的作品时,在思考今后将要走的路的当中,有时也有观望至今已经走过的路的场合。它是绝望和希望交织的路,既是走遍世界的尽头,又是崭新的路的开头。这是憧憬未来的路,又是缅怀过去诱发乡愁的路。但是,远方山岗上空微微露白,远方的路似乎稍稍朝右上方的画面外消失,就使今后要走的路的感觉变得强烈起来了。

 

人生を道にたとえるのは平凡である。しかし芭蕉が、あの不朽の紀行文に『奥の細道』と題したのは、その文中に、おくの細道の山際に云々の文があるところから、現実の道の呼び名でもあり、奥州地方の細々とした道の意味からでもあろうが、辺鄙な地方の細々とした道をわけて旅行く自分の姿、芭蕉の人生観、芭蕉の芸術観の象徴として選んだ題名と云えるだろう。私も、いつも旅をし、旅を人生とも、芸術とも感じている人間であって、遍歴の象徴としての道は、かなり鮮明な映像となって、心に深く刻みつけられている。

将人生比作路是平凡的。但是,芭蕉将他不朽的游记命题为《奥洲小路》,是因为在这篇文章中有叙述奥洲的山峦小路的文字,即有现实中路的称呼的名字,又有奥洲地方的羊肠小道的意思吧。为了偏僻的羊肠小道而旅行,这是将芭蕉自己的身影,芭蕉的人生观,芭蕉的艺术观作为象征而选择为题名吧。我也经常旅行,在旅行中感受人生,感受艺术。在人间,作为遍游世界的象征的路,更是成了鲜明的映像,深深铭刻在我的心头。

 

私はいろんな道を歩いた。

我也走过各种各样的路。

 

早春の丘の道。あざやかな緑の縞模様を描く麦畑。まだ芽の出ない桑畑。遠くの嶺嶺には白い雪。エメラルドの空に軽やかな雲。

早春山岗上的路。我画下了麦田嫩绿的条纹状,还未发芽的桑田,远处山顶上的白雪,还有蓝宝石的天空中轻柔的云。

 

渓流に沿って、いくつもの寂しい山村を結び、杉木立の影を落す旧街道。石をのせた板葺き屋根。暗い部屋の中の蚕棚。筬の音。

沿着溪流将几个寂静的山村联结在一起,衫树的影子落在破旧不破旧的街道上。房顶压着石头的木板房,昏暗的房间中有养蚕的架子,还传出绞丝的梭子声。

 

ぶな、みずならの林の奥へと、落ち葉を敷きつめた道がある。やわらかな足裏の感触。落ち葉を踏む音。そこ、ここに白樺の幹があざやかに立つ。林の奥に明るい楓の朱色。

往山毛榉,水枹树林子的深处走去,是一条铺满落叶的路。脚下感到软乎乎的,踏下去落叶支支有声。这里那里白桦树的树杆亭亭而立,树林深处是一派明朗的红枫。

 

雪国の道。踏み固められたところを、ひろって歩く。橇が来る、すれちがいざまにわきへ寄ると、よろけて深い雪の中に踏み込んでしまう。若い女の頭巾の鮮やかさ。

雪国的路。选择踩踏结实的地方行走。雪撬来了,正要靠边错开的时候,我踉踉跄跄踩入了

深深的雪中。眼前闪过年轻女子的鲜艳头巾。

 

軒下をきれいな水が流れる。古い小さな町。連子窓の下に並べられた草花の鉢。壁のはがれ落ちた土蔵に明るい夕映え。暖簾。古風な看板。

房檐下淌着洁净的水。古老的小镇。格子窗下摆满了花草盆。仓库那斑驳的墙壁上,映着明亮的夕阳的余辉。店铺门前的布帘,古色古香的招牌。

 

都会の雨の舗道。飾り窓の華やかな灯りがにじむ。地下室のバーから昇って来るジャズの旋律。疲れた顔の人々。寂寞。

都市雨中的马路。漂亮的装饰窗帘后滲透出绚丽的灯光。从地下室酒吧飞出爵士乐的旋律。人们的脸上疲惫而又寂寞。

 

新しい美の字の徽章の学帽。うぐいすだにの駅から桜の花を踏んで、博物館のわきを通り学校へ通った道。

学生们的学生帽上佩带着新的美字徽章。从莺谷车站出来,踏着落樱,通过博物馆的一侧,向着通往学校的路走去。

 

秋の夜。美術館の壁に貼り出された入選者発表。暗い中に人々のどよめき。初入選の喜びに、中に浮く足取りで坂下の郵便局へ、公園の道を走った――神戸の両親に電報を打つために。

秋夜,美术馆的墙上公布了入选者的名单。黑暗中人们叫嚷着。初次入选的喜悦,使我迈着好像悬在空中的脚步,在公园的路上向坡下的邮局跑着——这是去给神户的双亲发电报。

 

城壁沿いに驢馬に乗った老人がやってくる。石橋の下で村の女達が布を棒で叩きながら洗濯をしている。白楊の並木が風にそよぐ熱河省承徳の道。

骑着驴马的老人沿着城墙走了过来。石桥底下村妇们用木棒敲打着布洗涮衣物。白杨树行道木在风中摇曳,这是热河省承德的路。

 

ローマ郊外のアッピア街道。廃墟と糸杉と傘松。パウロがキリストのまぼろしを見た道。夏の雲。遠い雷。

罗马郊外的阿匹亚古道。废墟,丝柏,雪松。这是保罗看见基督幻影的路。夏日的云彩,远处的雷声。

 

古い破風造りの家並み。時計台のある都門の塔の上に、こうのとりの巣。広場の泉。馬車の蹄が夕闇迫る石畳の道に火花を散らして通り過ぎる。バイエルンの旧都。

成排的古老人字形屋顶的屋宇。在城门钟楼上筑有鹳鸟巢。广场上置有喷泉。马车的马蹄踏在薄暮临近的石板路上,带着四射的火花走过来。这是波恩的古都。

 

召集令状を受け取りに、品川駅から灯火管制下の暗い街を、区役所へ歩いて行った雨上りの道。

为了去领取应征入伍通知书,我出了品川车站,走在灯火管制下的黑暗的路上,这是雨后通向村公所的路。

 

まだ熱い瓦礫と、切れ落ちた電線、斃れた馬、黒い煙。日蝕のような太陽。空襲下の熊本市の道。

到处是发热的瓦砾、断落的电线、死马、黑烟。日蚀般的太阳。这是空袭下的熊本市的路。 

余烬未灭的瓦砾,断落的电线,死马,黑烟。日蚀般的太阳。这是空袭下的熊本市的路。

 

母の柩車を引いて行った荊沢の道。風が強く新雪に輝く富士山が澄み切った空に浮んでいた――

拖着母亲的灵车行进在荆泽的路上。狂风劲吹,新雪耀眼的富士山浮现在晴朗的天空下——

 

道の思いでは尽きない。これからも、どんな道をたどることか。シュ―ベルトの歌曲集「冬のたび」はミュラーの詩によるものだが。全篇冬の道をたどる旅人の孤独な姿を描いて、人生の寂寥を歌っている。有名な「菩提樹」の歌も、この一連の詩、漂泊の冬の旅のさ中にあって、都門のそばの泉に立つ菩提樹の葉かげに、 心の休らう場があったことを回想する郷愁のうたである。また、「道しるべ」は、曠野をさまよう旅人が道しるべを見出すが、それは何人も再び還ることのない 道を示している。最後に旅人は「宿」に来る。墓場である。宿のしるしは、葬いの青い花であり、その冷たい臥床に疲れた身を休めようとする。しかし、宿のあ るじに拒絶されて、ふたたびさまよっていく。この道は絶望の果ての冬の道である。私は冬の道を経て、ようやく、初夏の朝露を含んだ草原の道に立ち向かおう としている。

路的回忆是无穷尽的。今后会走什么样的路呢?舒伯特的歌曲集《冬之旅》就是为米勒的诗谱写的,全篇是描写冬季旅途上的旅人孤独的姿影,歌唱了人生的寂寥。有名的《菩提树》这首歌,也是一串串美妙的诗句,是回忆乡愁的歌,回忆起漂泊的旅人,在城门旁喷泉边菩提树的叶影下找到了舒心适意的所在。还有《路标》,是描写在旷野徘徊的旅人发现了路标,但这是标志着许多人一去不复返的路。最后旅人来到了“旅馆”。这就是墓地。旅馆的标志,是送葬的蓝花,疲惫的身躯在冰冷的卧床上得到安息。可是,他遭到旅馆老板的拒绝,再次彷徨而去。这条路,是绝望的冬天的路。我走遍了冬天的路,好不容易才迈上了闪烁着初夏朝露的草原之路。

 

『道』をその年の秋、第六回日展へ出品した。竪長の画面の、ほぼ中央に、やや、ピンク色がかったグレーの道、左右の叢や丘は青緑色、 空は狭くとり、青味がかったグレーにした。この三つの色の分量の対比を考えた。出品作としては、ずいぶん小さい画面であるが、これ以上大きくすると画面の 緊密感がうすれると思った。小さい目の画面を充実させることが、この絵の場合、必要であると考えた。 

这年秋上,我将《路》作为参展作品,提供给了第六届日展。竖长的画面靠中间的地方,画了一条灰色里带些粉红色的路,左右的草丛和山岗是绿色,狭窄的天空是灰中带蓝。我考虑了这三种颜色分量的对比。作为参展作品,画面虽然显得很小,但如果画得比这在大些,画面的凝重感就会淡薄。我期望的是让这小小的画面充实起来。

 

こつこつと積み上げるような丹念な描き方で仕上げていった。

我孜孜不倦,日积月累地精心作画,循序渐进地完成了。

 

この年、初めて日展の審査員になり、この「道」の出品作は多くの人々の共感を得て、画壇的にも世間的にも認められるようになった。

这一年,我第一次担任了日展的评审员。《路》这幅参展作品博得了许多观众的共鸣,在画坛和社会上都得到了承认。

 

人生の旅の中には、いくつかの岐路があり、私自身の意志よりも、もっと大きな他力に動かされていると、私はこの本のはじめの章に書いている。その考え方は今も変わらないが、私の心の中に、このひとすじの道を歩こうという意志的なものが育ってきて、この作品になったのではないだろうか。いわば私の心の据え方、 その方向というものが、かなり、はっきりと定まってきた気がする。しかし、やはりその道は、明るい烈しい陽に照らされた道でも、陰惨な暗い影に包まれた道 でもなく、早朝の薄明の中に静かに息づき、坦々として、在るがままにある、ひとすじの道であった.

我在这本书首章这样写道:在人生的旅途上会有许多歧路,与其说是按照我自己的意志的驱使,不如说是一种更加巨大的外在力量驱使着我,这种想法至今未变。但在我心中早已培育了要走这条路的意志,所以这才形成这幅作品的吧。可以说,我的心灵一旦平静,我的方向也就相当清楚地固定下来了。这条路既不是明朗的骄阳普照的路,也不是笼罩着凄惨的暗淡阴影的路,而是一条在清晨微明中,平静安详地呼吸着的,坦荡的,自由自在的路。

 

(20182月编辑)




               

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