以《庭院》为题的日本随笔摘抄(一)
(2011-05-21 19:24:44)
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庭院寺田寅彦長塚節日本散文 |
分类: 日本随笔 |
以《庭院》为题的日本随笔摘抄(一)
一.我が庭
……宵に春雨が降つたらしく家の屋根が濕つて居る、しかし雫する程ではない、書院の庭にしきつめてある、松葉に松ももが交つて居るのが目さはりであるが、けさはスツカリ濡れて居るからいかにも心持がよい、庭下駄を穿いてぶら/\と歩行く、平氏門によつてそして戸袋の方にくつゝいた老梅が一株は蕾勝ちで二株は充分に開いて居る、蕾には一つつゝ露が溜つてその露が折々松葉の上に落ちる、五ひら六ひら散つた梅の花が松葉にひつゝいてるのが言ひやうのない面白さである、まだ散るのでもないのをこれは春雨が夜の間の板面であらふ、空は西の方から拭つたやうに靄が禿げて日の光が竹林の上から斜にさしかゝると溜つて居る露がかゞやいて、落ちるたびにゆら/\と搖れる、たはいもないことをするやうであるが人さし指を曲げてクロブシの上にその蕾にかゞやいてる露をとつてはまだとる、子供の時によくしたことである、こんな心持のよい朝はない、はやく起きたのが嬉しくつてたまらなかつた、即興の歌が八首、七首は立ちどころになつて終の一首はやゝ苦しんだ……
二.庭の追憶
在同样的走廊上默默坐着,我记得特别清楚的是,当时还年轻的穿着浴衣的,如今说起来已去世了的妻子的故事。
飞石的旁边,毅然耸立的楠木树梢上带着雨的气息,一颗大大的星星好像总是挂在当空,这全都是像梦一样的记忆。这时候,与这样的记忆砍不断理还乱地纠缠在一起的,有我的父亲、母亲、妻子、女仆、男仆,他们在这个世界上一个也不剩了。
このただ一枚の飛び石の面にだけでも、ほとんど数え切れない喜怒哀楽さまざまの追憶の場面を映し出すことができる。夏休みに帰省している間は毎晩のように座敷の縁側に腰をかけて、蒸し暑い夕なぎの夜の茂みから襲ってくる蚊を団扇(うちわ)で追いながら、両親を相手にいろいろの話をした。そのときにいつも目の前の夕やみの庭のまん中に薄白く見えていたのがこの長方形の花崗岩(かこうがん)の飛び石であった。
ことにありあり思い出されるのは同じ縁側に黙って腰をかけていた、当時はまだうら若い浴衣姿(ゆかたすがた)の、今はとくの昔になき妻の事どもである。
飛び石のそばに突兀(とっこつ)としてそびえた楠(くす)の木のこずえに雨気を帯びた大きな星が一ついつもいつもかかっていたような気がするが、それも全くもう夢のような記憶である。そのころのそうした記憶と切っても切れないように結びついているわが父も母も妻も下女も下男も、みんなもう、一人もこの世には残っていないのである。

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