秋草の花
(2008-12-17 18:40:57)
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随笔秋草若山牧水 |
分类: 日本随笔 |
秋天的花
若山牧水
翻译:王志镐
秋草の花のうち、最も早く咲くは何であらう。萩(はぎ)、桔梗(ききょう)、などであらうか。
在秋天开花的草花中,最早开花的是那一种呢?是胡枝子,桔梗等等吗?
桔梗も花壇や仏壇で見ては、厭味(いやみ)になりがちである。野原のあを/\とした雑草のなかに、思ひがけない一輪二輪を見出でた時が本統の桔梗らしい。
汽車が甲州の韮崎駅を出て次第に日野春、小淵沢、富士見、といふ風に信濃寄りの高原にかゝつてゆく。その線路の両側に、汽車の風にあふられながらこの花の咲いてゐるのをよく見かけた。そして、あゝもう秋だな、と思つたことが幾度かある。
火车出了甲州的韮琦车站,经过日野春,小渊沢、富士见,正在去向靠近信浓的高原。这铁道的两边,在被火车的旋风卷过的地方,经常可以看见这种花在开着。于是才发现已经到了秋天了,这样的事情有好几次。
あのあたりには撫子も咲いてゐた。桔梗よりも鮮かでよく眼についたが、この花は寧ろ夏の花かも知れない。
在那周围,瞿麦也正开着花。它比桔梗更加鲜艳,更为显眼,也许这种花也夏天的花吧。
萩も夏萩などがあつて、梅雨あがりのしめつた地つちに咲き枝垂れてゐるのを見る。そのせゐか、『秋』といふ感じから、ともすれば薄れがちである。
胡枝子中也有夏天的胡枝子,梅雨刚过,可以看见潮湿的地面上,垂着它那开花的枝条。由于这个原因,来自“秋天”的感觉,往往也变得淡薄了。
但し、この花の丈高く咲きみだれた草むらを押し分けて栗を拾つた故郷の裏山の原の思ひ出のみは永久に私に『秋』のおもひをそゝる。
不过这种花个子很高,让我回忆起自己在故乡的后山,分开花儿开得五彩缤纷的草丛去捡栗子的情景,那一刻,“秋”永久地挂在了我的心扉。
では、最も早く秋を知らせるのは何であらう。
私は先づ女郎花をみなへしを挙げる。
那么,最先得知秋天来到的是什么呢?
我先要举出女郎花。
この花ばかりは町中を通る花屋の車の上に載つてゐてもいかにも秋らしい。同じ車の上にあつて桔梗なども秋を知らせないではないが、どうもそれは概念的で、女郎花の様に感覚から来ない。
ましてこれが野原の路ばたなどに一本二本かすかに風にそよいでゐるのを見ると、しみ/″\其処に新しい秋を感ずる。
この花、たゞ一本あるもよく、群つて咲いてるのもわるくない。