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自我灵魂空空世界白鹭 |
分类: 日本报刊杂志摘译 |
自分の心の姿を
自我灵魂的姿态
人間という自分自身の姿、自分の心の姿を静かに見つめるということは、我々の生活にとって、最も大切なことである。
人类对自我自身的姿态,对自我灵魂的姿态进行冷静的审视,对我们的生活来说,是最重要的事情。
大抵の人々は、日々夜々の激しい勤めのために、自分自身の心の姿を見つめる機会を、余り持ち得ないようである。またそのような機会をもとうと、心がけてもいないようである。
大多数的人因为日夜辛劳的工作,没有余暇直视自我自身的姿态。即使有了这样的机会,好像平时也不会对它留意。
今日では、ほとんど絵の上の常套的な構図になっているが、古い優れた作品の中に、よく一羽の白鷺が、水の辺りにつくねんと佇んで、自分の姿を水に映して、眺め入っているのがある。これは絵画上の構図としてもおもしろい。古雅な味わいのある、限りもなく広い静かな水のうえには、何一つ目を遮るものはない。
今天,大体上是正在构思第一套画,优秀的古典作品中,经常有一只白鹭伫立在水边发呆,自己的身影倒映在水面上,而它则正在入神地凝视着。将这作为绘画的构思确实很有趣,还具有古雅的味道,在无限宽广的寂静的水面上,一览无穷。
そこには、何もない空無の世界のみが広がっている。その何もない空無の世界の真ん中に、ただ一羽の白鷺が、じっと水の上の一点を凝視ている。絶対無の境に置かれた、ただ考えうるところのただ一つの存在である。
那里只展现出一个空无一物的世界,在这一无所有的空空世界之中,只有一只白鹭正在凝视着水面上的一点。舍去绝对无的境界,只是考虑唯一的存在。
こう考えてくると、一羽の白鷺ん図も、なかなか味のある連想を与えてくる。我々個々の人間は、一つの考えるところの存要である。絶対無の境に置かれた一羽の白鷺である。あのただ一羽の白鷺が水も当たりに佇んでいた姿に、尊い味があると同様に、ただ独り静かに自分の心を見つめている人々の生活にも尊い味わいがある。