| 标签: 杂谈 | 
おはようございます!
私についてきている子達は、日本人、韓国人、中国人。三カ国の子、またまた私の「物語」を聞いてください!自分の「物語」で自分についてくる子に最優な育つ方だと思う。
人間で、成長続けたいなら、いくつになっても迷ったりする、人間関係に困ったりすると思う。特に大人しい子は、ついつい無理矢理に体を張って頑張ってしまう、体を保てなくなる、倒れたりする、精神的に鬱になってしまう。最悪、「天使」になってしまう。
私の物語を聞いたら、どうやってずっと元気な精神力を保てるのは、多少分かると思うので、どうぞ、聞いてくださいねー!
実は、私は幼少の頃から、極端な恥ずかしい屋さんで、生まれつきの病気で足に障害を残り、「自己劣等感」誰より強い。美術教師職のお母さんに凄い教育方をされたお掛けて、心の打たれには人の倍より強くなったかもしれない。
お母さんは、物資缺乏の時代に、卵、肉、魚などのタンパク質栄養品は、私だけに与えないようにしてた。「蓉」どいう名前を誇りよく付けてくれたのに、呼ばない、「瘸子」=びっこで常に呼んでた。虐められてる子に見えるか?お母さんの学生さんから聞いた理由は、自分の親から「びっこ」で毎日呼ばれると慣れるから、免疫力を自然に付くという。「栄養品」とか与えないのも、私は兄弟達と競争心を付ける為だという。極端な「教育方」と思うだが、確かに、私にとって効果的だった。本をいっぱい読む自分は常にお母さんに反発してた、「姉みたいな怠けモノになりたくない!」、「お母さんの絵が下手だよ!」、色々反発しながら、知らないうちに、私は兄弟の中に一番に褒めれるようになった。だんだん競争相手はお母さんだけになってしまった。でも、お母さんと競争するのはなかなか難しい!お母さんは美人だし、家庭でも、社会でも「権力者」、「有能者」だ!でも、私は15歳で、全国美術展で三等賞、地方美術展一等賞に受賞することで、お母さんの師匠も超えたでいう成績で、お母さんとやっと対等な態度に。「蓉ちゃん、ママは全国のカーテンデザイン賞に応募したい、春花でいうイメージで出したいけど、配色を手伝ってくれる?」、あ!実力で!そいうもんだね!
お母さんは、人を育つのは上手いだね!流石国の学校の先生、中国80年代に会社を立ってた社長!
90年代、中国の初めての漫画家プロダクションは、北京「苹果園」海特花園住宅街からスタートした。元々は軍隊企業三優集団から投資で始めた場所なのに、突発事件で、雑誌、編集部、作品製作所など全て止めれた。全国から集まって来た若手漫画作者達は、唯一な発表場も無くなった。皆さんは、帰郷するしかなかった。当時23歳の私は、「私は此処を継続する、家賃も払う、仕事を探してくる。」と自らから言い出した。当然、当時の皆さんは、私と年齢近いし、同じ遭遇だし。なぜ足にも障害がある若い女の子の話を信じるの?「自分から勝手に責任者なるなんで?!」多くの人は逃げられ、離れた。三、四人しか残ってなかった。しかし、事実はその三、四人と私は、その広い場所を維持して、中国初の「胡蓉漫画工作室」できた。『上下五千年』どいう絵本を20冊も作った。全国の色々出版社から仕事を頼まれた。当時のアシスタントの一人は、今は立派な映画監督で活躍中。
それは、全てお母さんの特殊な教育方に感謝!そんな打たれても打たれても「ナルシスト」なワガママ娘を育ってくれたから、感謝!
話を戻るけど、自分を成長したいならば、絶対に自分より優秀な人に付いた方がお得だと思う。
そこの優秀の意味は、自制心と日常健康管理、心の余裕さ。金で人を見分けではなく、金は万能ではない。
一緒に頑張ろう!ノーウォール!日本と中国!世界!
 

 加载中…
加载中…