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杂谈 |
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今日は、父の日。
母の日に母親の記念文を書いたから、父の記念文を書かないと不公平だと思って、書こう。
母は、あの世へ20年以上に経った。父もそろそろ8年になる。
私の父は、今の私から見れば、誠実で不器用な「阿呆」ちゃん。「阿呆」で言い付けながら、心の痛むを感じる。なぜ「阿呆」だという言い付けるのは、理由が沢山。
父はとでも本能的で、色々な誘惑に抵抗力がすごく低いな人間。20代写真を見ると、眉目秀麗、唇紅歯白的な美青年のようだが、私の記憶の中には、もう酒で酒粕鼻、目が赤い、タバコで汚い黄色の歯である、短気で怒りっぽいなおっさんだった。労働が好きだから、筋肉質な体型を保てたかもしれないけど、169センチしかないの身長で、決してカッコイイと言えない。
残念ながら、遺伝子が強いから、私達三人兄弟は、全員父似。
都会から、農業大学卒業したので、農業技術者として田舎へ行った。農民達と同じようにしないと、生きにくいだが、父は、日中に強い日照の下で農民達と作業する、一緒に同居同行する、毎日のお酒を吐くまで飲まされた。粗悪なたばこを大量に吸わされ。二、三年間で、元々眉目秀麗、唇紅歯白的な美青年は、完全に地元の農民と変わらない外見に変貌成功。
家に戻ったら、古体詩や「越劇」、刺繍、絵と楽器に夢中する母に乱暴な言葉や酔っ払っちゃって吐いた汚物ばっかりだった。
私は、約12歳頃、酔っ払った父は帰った瞬間で、母はすぐさま姿を消えた。姉も弟もすぐさま家から逃げた。私だけを家に残されてしまった。父は床に自分の吐いた汚物の上で爆睡。私はバケツに水を入れ、そのすっぱい臭い吐き物を少しつつ片付けた。父の服までを着替えしてあげてから、ちゃんとベッドに寝かせた。
母は帰った後、その光景を見て言った一言は、酷かった!「いいね!これから、お父さんのことを任せるわ!」
「イヤよ!そんな!」
私はそんな精神的にまだ大人になってない大人達はすごくイヤだよ!
逃げたい!
きっと私の場があるから!
可哀想な父は、地方の科学技術委員会長まで地位を築いた、家も二軒があったけど、最後は全て再婚相手に残された。
母と一生喧嘩ばっかりだったが、今も天国で喧嘩してるかなぁ?
実は、父の記念文を書くと終わらない長さになると思うけど、今日は此処でおしまい。