蜘蛛の糸(附 译文)
(2012-04-06 15:30:02)
标签:
蜘蛛丝芥川龍之介杂谈 |
分类: 韩日短文歌曲 |
20年前学过的短文。近日怀旧,又重新听了一遍。当年是午饭后听甘肃广播讲座学习的。午休时只能在学习中打个盹儿。当初对芥川龙之介的《蜘蛛丝》的理解是,人不仅要做善事,还不能有恶念。现再加一层理解,作品旨在对人性的“恶”的披露,地狱的人们为了争先恐后顺着蛛丝爬到极乐世界,最后由于蛛丝撑不住太多人的重量而断裂,从来表现了人性的自私。
蜘蛛の糸
芥川龍之介
一
ある日の事でございます。お釈迦様は極楽の蓮池のふちを、一人でぶらぶら御歩きになっていらっしゃいました。池の中に咲いているハスの花は、みんな玉のようにまっ白で、そのまん中にある金色の蘂からは、何とも云えない良いにおいが、絶間なくあたりへ溢れて居ります。極楽は丁度朝なのでございましょう。
やがてお釈迦様はその池のふちに御佇(おおたず)みになって、水の面を蔽(おお)っている蓮の葉の間から、ふと下の様子をご覧になりました。この極楽の蓮池の下は、丁度地獄の底に当って入りますから。水晶のような水を透き徹して、三途の川や針の山の景色が、丁度覗き眼鏡を見るように、はっきり見えるのでございます。
するとその地獄の底に、犍陀多と云う男が一人、ほかに罪人と一緒に蠢いている姿が、お目に止まりました。この犍陀多と云う男は、人を殺したり家に火をつけたり、いろいろ悪事を動いたおい泥坊でございますが、それでもたった一つ、善い事を致した覚えがございます。と申しますのは、ある時この男が深い林の中を通りますと、小さな蜘蛛が一匹、路ばたを這(は)っていくのが見えました。そこで犍陀多は早速足を上げて、踏み殺そうと致しましたが、「いや、いや これも小さいながら、命のあるものに違いない、この命を無暗にとうと言う事は、いくらなんでも可哀そうだ」と、急に思い返して、とうとうその蜘蛛を殺さずに助けてやったからでございます。
お釈迦様は地獄の容子をご覧になりながら、この犍陀多には蜘蛛を助けたことがあるのを御思い出しになりました。そうしてそれだけの善い事をした報(むく)いには、できるなら、この男を地獄から救いでしてやろうとお考えになりました。幸い、側を見ますと、翡翠のような色をした蓮の葉の上に、極楽の蜘蛛が一匹、美しい銀色の糸をかけていります。お釈迦様はその蜘蛛の糸をそっと御手に御取りになって、玉のような白蓮の間から、遥(はる)か下にある地獄の底へ、まっすぐにそれを御下ろしなさいました。
二
こちらは地獄の底の血の池で、ほかの罪人と一緒に、浮いたり沈んだりいた犍陀多でございます。何しろどちらを見ても、真っ暗で、たまにそのくら暗からぼんやり浮き上げっているものがあると思いますと、それは恐ろしい針の山の針が光るのでございますから、その心細さといったらございません。その上あたりは墓の中のようにしんと静まり返って、たまに聞こえるものと言っては、ただ罪人がつく微かな嘆息ばかりでございます。これはここへ落ちてくるほどの人間は、もうさまざまな地獄の責め苦に疲れ疲れはてて、泣声を出す力さえなくなっているのでございましょう。ですからさすが大泥坊の犍陀多も、ヤハリ血の池の血に咽びながら、まるで死に掛かった蛙のように、ただもがいてばかりいりました。
ところがあるときの事でございます。何気なく犍陀多が頭を挙げて、血の池の空を眺めますと、そのひっそりとした闇の中を、遠い遠い天上から、銀色の蜘蛛の糸が、まるで人目にかかるのを恐れるように、一すじ細く光りながら、するすると自分の上へ垂れて参るのではございませんか。犍陀多はこれを見ると、思わず手を打って、喜びました。この糸に縋りついて、どこまでも上っていけば、きっと地獄から抜け出せるのに相違ございません。いや、うまくいくと、極楽へ入る事さえも出来ましょう。そうすれば、もう針の山へ追い上げられることもなくなれば、血の池に沈められることもあるはずはございません。
こう思いましたかあら犍陀多は、早速その蜘蛛の糸を両手でしっかりとつかみながら、一生懸命に上へ上へとたぐり登り始めました。元より大泥棒の事でございますから、こう云うことには昔から、慣れきっているのでございます。
しかし地獄と極楽との間は、何万里となくございますから、いくら焦ってみたところで、容易に上へは出られません。ややしばらく上るうちに、とうとう犍陀多もくたびれて、もう一たぐりも上へは登れなくなってしました。そこで仕方がございませんから、まず一休み休むつもりで、糸の途中にぶらおりながら、遥かに目の下を見下ろしました。
すると、一生懸命に登った甲斐があって、さっきまで自分がいた血の池は、今ではもう闇の底いつの間にかかくれていります、それからあのぼんやり光っている恐ろしい針の山も、足の下になってしまいました。この分で登っていけば、地獄から抜け出すのも、存外わけがないかもしれません。犍陀多は両手を蜘蛛の糸にからみながら、ここへ来てから何年にも出した事のない声で、「しめた、しめた」と笑いしました。ところがふと気がつきますと、蜘蛛の糸の下には、数限りもない罪人たちが、自分の登った後をつけて、まるで蟻の行列のように、ヤハリ上へ上へ一心によじ登って来るではございませんか。犍陀多はこれを見ると、驚いたのと恐ろしいのとで、しばらくはただ、莫迦のように大きな口を開いたまま、目ばがり動かしていりました。自分一人でさえ折れそうな、この細い蜘蛛の糸が、どうしてあれだけの人数の重みに耐える事が出来ましょう。もし万一途中で折れたと致しましたから、折角ここへまで登ってきたこの肝心な自分でも、元に地獄へ逆落としに落ちてしまわなければなりません、そんな事あったら、大変でございます。が、そういう中にも、罪人たちは何百人となく何千人となく、真っ暗な血の池の底から、うようよと這い登って、細く光っている蜘蛛の糸を、一列になりながら、せっせと登って参ります。今の那加にどうかしなければ、糸は真ん中から二つに折れて、落ちてしまうのに違いありません。
そこで、犍陀多は大きな声を出して、「こら、罪人ども、この蜘蛛の糸は折れのものだぞ、お前たちは一体誰に聞いて、登ってきた。下りろ、下りろ。」と喚きました。
その途端でございます、今までなんともなかった蜘蛛の糸が、急に犍陀多のぶら下っているところから、ぶつりと音を出てて切れました。ですから犍陀多もたまりません。あっという間もなく風を切って、独楽のようにくるくる回りながら、見る見る中に闇の底へ、まっさかさまに落ちてしまいました。
後にはただ極楽の蜘蛛の糸が、きらきらと細く光りながら、月も星もない空に途中に、短く垂れているばかりでございます。
三
お釈迦様は極楽の蓮池のふちに立って、この一部始終をじっと見ていらっしゃいましたが、
やがて犍陀多が血の池の底へ石のように沈んでしまいますと、悲しそうなお顔をなさりながら、またぶらぶら御歩きになり始めました。自分ばかり地獄から抜け出そうとする、犍陀多の無慈悲な心が、そうしてその心相当な罰を受けて、元の地獄へ落ちてしまったのが、お釈迦様のお目から見ると、浅間しく思召されたのでございましょう。
しかし極楽の蓮池の蓮は、少しもそんな事には頓着いたしません、その玉のような白い花は、お釈迦様の御足のまわりに、ゆらゆら萼を動かして、その真ん中のある金色の蕊からは、何もいえない良い匂いが、絶え間なくあたりへ溢れていります。極楽ももう昼に近くなったのでございましょう
蜘蛛丝
芥川龙之介
一
二
三
芥川龍之介は、1892年東京生まれ。中、高等学校の時は漢文が得意な秀才で、東京帝国大学英文学科に入学。卒業後に発表した「芋粥」が注目され、新進作家としての地位を確立した。代表作は「鼻」、「蜘蛛の糸」、「羅生門」など。1927年服毒自殺。35歳だった。
芥川龍之介,1892年生于东京。初中、高中时擅长汉文,后升入东京帝国大学(东大)英文科。毕业后他发表了《芋粥》,受到瞩目,确立了其新兴作家的地位。代表作有《鼻子》、《蜘蛛丝》、《罗生门》等。1927年服毒自杀,终年35岁。