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分类: 小松拓也的故事 |
014【译文】http://komatsutakuya.com/229
留学台湾
高三的夏天,我被星探发掘,进入演艺事务所。
于次年高中毕业后的三月初,赴台湾留学进修中文。
要说为什么不去中国大陆留学而是选择台湾的理由很简单,因为日本事务所的社长通过她在台湾的关系帮我找到了合适的寄宿家庭。
其后的半年内我一共换了三个寄宿家庭。第一个寄宿的地方是台湾演艺事务所社长自己的房子。
当时以“SOS”为组合名活跃于台湾演艺圈的明星姐妹花——“大S”和“小S”也属于该事务所旗下,所以当时既不了解台湾又不懂中文的我常常受到她们二位的关心照顾。
现在想来这是一件多么奢侈的事情。(笑)
96年的台湾正处于城市基础设施建设期,街上到处在建路、修路,建造中的新楼宇也随处可见,许是受此影响那时的台湾空气浑浊、街道脏乱。
比如让一辆刚清洗完毕的白色轿车停在街边,一小时后再去看已经积满了灰尘、车体发黑。污浊程度可见一斑。
可相对的,这个城市的每一个人、每一个角落,都洋溢着激情与活力。
我记忆中的台湾就是这样一个充满能量到难以言表地步的都市。
打开电视可以看到直接用日语播放日本电视连续剧和综艺节目的频道,日本艺人和歌手的粉丝也非常之多,我深深地为这里异常热烈的亲日氛围感到吃惊。
出生以来首次来到海外生活。
台湾这座城市作为我中国生活的第一步,令我受到了无法形容的冲击。
待续
014【原文】http://komatsutakuya.com/229
高3の夏にスカウトされ芸能事務所にお世話になるようになった俺。
翌年高校を卒業すると3月頭に台湾へ中国語留学を始める。
なぜ留学先が中国本土でなくて台湾だったかというと日本の事務所の社長が台湾に持っていたコネクションの中から俺のホームステイ受け入れ先を見つけてくれたからという単純な理由だった。
半年間で3回ホームステイ先を変えた俺だったが一番最初にホームステイしたのは台湾で芸能事務所を経営する社長の自宅。
その事務所には当時SOSというユニット名で活躍していた台湾の姉妹ビッグタレント「大S」、「小S」も所属していて台湾の事も中国語もよく分からなかった当時の俺の面倒をしばしば二人に見てもらう事が出来た。
今考えれば非常に贅沢な話である。(笑)
96年の台湾はインフレの真っただ中で街中道路工事や新しい建物の建設ラッシュだったし、その影響もあって空気や街並みは非常に汚かった。
例えば白い洗車したての車を路上に1時間も止めていたら埃が積もって黒ずんでしまう。そんな状態だった。
人も街もとにかく活気があってパワフル。
理屈じゃないエネルギーに溢れた街だったように記憶している。
テレビをつければ日本のドラマやバラエティ番組が日本語のまま放送されているチャンネルもあったりして日本のタレントや歌手のファンも非常に多かったし、その熱烈な親日加減には驚かされた。
生まれて初めて過ごす海外での生活。
台湾という街は俺の中国生活の第一歩としてはあまりにインパクトの強い場所だった。
つづく
Published on 2011年6月10日 11:48 AM.
Filed under:
小松拓也自伝「俺と中国」