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印度之行  中野孝行

(2016-05-20 17:17:16)
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印度之行

中野孝行

日本随笔

分类: 日本随笔

印度之行

中野孝次

翻译:王志镐

去印度去作了近一个月的旅行。为了查探明恒河的起源甘戈特里山冰川,我们组成了十二人的徒步登山队,一个紧挨着一个在山间行走。从利西凯西到仙境般的甘戈特里山,在连绵不断的三百公里的大溪谷中旅行,可真够我这个五十五岁老汉受的,不管怎样平安地回来了。不过将恶性痢疾当作礼物带了回来,已经有两个多星期了,至今还是迷迷糊糊的状态。

 

总之,我被那出奇宏大的印象镇住了。四十度的热风吹进了颠簸的大巴,驶啊驶啊,景色却一成不变。点点低矮的树木竖立着,耕地也好荒地也好,原野上到处是无尽的红土。眺望地平线,任何方向任何地方都一望无际。在这毫无人气的灼热的大地上,孤零零地,一位身穿红色丽莎服,头顶硕大的草捆,身体挺得笔直地走着。仰或在干枯的茶褐色土丘边,四根立柱上面葺着草顶的遮阳小屋里,放着一张用棕榈编织而成的床,一个男人正悠然自得地做着白日梦。周围有羊群在贫瘠的草地上寻食走动。我被困在这大巴里,眼睛迷茫,脑袋膨胀,似乎不省人事了,向窗外一瞥,一瞬间所见到的风景,就像什么重大的事情那样给我留下印象,其意义我至今尚未明白,但它给我的印象却铭刻在心,挥之不去。

看过了那样的情景,回到东京,不管我如何在纸上对人生说长道短,都感到无聊透顶。与我生活在一起的伙伴,在途中宿营时,就在路边放上一张行军床。大体上过着一种与报纸,收音机,电视机,冰箱,洗衣机等等什么都毫无关系的生活。更何况在这样的地方,墙壁上,屋顶上,地板上连空调什么的都没有的地方,人们却还是悠然自得地生活着的事实,给我的印象是几乎压倒一切的。

 

这位伙伴到底以什么为生?他仍然在这样度过一生吗?——如果这样考虑的话,我脑袋似乎就变得十分可笑了。身上裹着的只有一块布,在路旁生起火来,在石头上烤饼吃,以此为生。日均一个卢比的生活极限,简朴的生活方式,让我越看越感到具有威胁。

 

让我感到困惑的,不仅仅是贫困,还有那里生存的多样性,与自然的和谐,以及无论什么也比不上的悠然自得的程度。至今为止,那样的生活,在我去过的欧洲旅行中,是绝对不曾感受到的。而且稀罕的是,在这些近乎裸露的人们中间,也许从未感觉到有一丝儿的危险。在什么样的同类中,同样是在一个人的情况下,会有这样的安全感呢?

 

唉,尽管那样,在这样的情况下的生活还算不错呢。

 

这样想的同时,我又想到了另外一面,战后三十五年,我们一味追求舒适生活,最后,将生存的直接性丧失了(但这是较暧昧的语言)。在生活刻板的东京,我有这样的安排,将自己的生活方式回顾一下,然而至今我尚未摆脱这种摇摆不定。印度真是个不可思议的国家。体验过一次那样的生活的人,完全背过身去面向欧洲,从中可以引出怎样更加深刻的结论呢?我的预感是什么也做不了。不管怎样要从根底上来怀疑文明的概念,对印度有着什么样的文明作强制的再检讨。

 

原野上出现的低矮的茅草屋村落。晚霞映照的村子里,每户人家的屋前,人们在一起乘凉,对猪和牛的臭气满不在乎。孩子们在水井边洗澡,漂浮着青色泥巴的水塘里,水牛浮在水中,黝黑的皮肤闪闪发光。屋顶上站着孔雀,远处的田野里,骆驼还在耕地。一瞬间看见的风景,其中有着怎样的含义,至今还深深地铭刻在我的心上。

 

傍晚六点半,日头在红色的地平线上落了下去,黑暗开始迅速扩展,到了七点就完全黑了。天一旦变黑,周围浑然一色,黑压压的,什么也看不见。黑暗开始以它那毛骨悚然的气势渐渐将这里包裹,不知为什么,感到天地间只有自己被遗弃在这里,使我陷入孤独的困境。远处一点点亮光一闪而过,见了十分怀念,似乎期待着它是可以依赖的信号。面对那样的黑暗,我有着许久不能忘怀的感觉。

 

问题是:在把这个印度的世界和欧洲的世界扬弃之前,会有什么样的可能性,这似乎关系到正在开始扬弃近代的、当前日本的我们大家的问题,这样的大问题,身处黑暗之中、处于孤独之中的我可对付不了。

 

回到家里,我带着许久未见的狗出去散步,在附近的公园,穿着短裤的中年妇女们在打网球,穿着运动服的孩子们在打垒球,下腹突出的男子在摇摇晃晃地慢跑,从游泳池里传出少男少女尖锐的喊叫声。曾见惯了这样情景的我,却不能熟视无睹,就像看见了异样的东西,这样的事情使我吃惊。为什么对这样不足为奇的一瞥感到吃惊,我感到疑惑。稍稍考虑之后,认为这些行为与生存的必要性无直接的关系,我这才明白了自己为什么要吃惊。

 

在我的眼里,作为旅行中所见到的最日常的东西,印度少年的身影深深铭刻在我的心里。穿着肮脏的背心和裤衩在烈日下推大板车的少年,在茶馆里时而收集时而洗刷客人的杯子的少年,在小小的售货车后面站柜台的姐弟三人,与那样为了生存的必要而直接联系在一起的营生相比,我们这里所有的毫无闲暇真是没有必要,我宁可将它当作异样的事情看待。在印度,无论是大人还是小孩,全部的营生都与直接生存的必要联系在一起,重新注意到这样的事情,我对日本在和平中富裕起来的生活感叹不已。与此相比,确实暴露出印度的贫困人口是在“低水平生存”中。然而另一方面,慢跑中的中年男子和少男少女也在这个国家的轨道上奔跑着,狭窄的确定了的生存方式也是不得己而为之,相对而言,那里生存的多样性在不知不觉中未被采纳。而生存的直接性呢,那里再少也存在着。

 

インドの旅

      ——中野  孝次

 

ひと月ほどインドへ行ってきた。ガンジスの源流ガンゴトリ氷河を究めようという、十二人編成のトレッキング隊にくっついて山歩きだった。リシケシから秘境ガンゴトリまで、延々三百キロの大渓谷の旅は五十五歳の身には堪えたが、何とか無事帰ってきた。悪質(あくしつ)な下痢を土産(みやげ)に戻って二週間あまり、まだぼうっとしている現状である。

 

ともかく途方もない広大さの印象に圧倒された。四十度の熱風が吹き込むバスに揺られて、行けども行けども景色が変わらない。点々と低い大樹(たいじゅ)の立つ、耕地とも荒蕪地とも尽かぬ赤味を帯びた原野が、地平線を覗かせながらどこまでもどこまでも続いている。その灼熱の人気もない大地にぽつんと、大きな草の束(たば)を頭に載せた赤いサリーの農婦が、身をまっすぐ支えて歩いてゆく。あるいは、乾ききった赤茶けた丘の、四本柱(はしら)を立て上を草で葺いた日よけ小屋に、棕櫚で編んだベッド一つ置いて男が悠々と昼寝をしている。その周りで羊(ひつじ)が乏しい草をあさって動いている。こっちバスの中にいても目はかすみ脳は膨張して失神しそうだというのに、窓外にちらと見えたそういう一瞬の光景が、何か重大なもののように印象されるのである。そして意味はわからぬまま今もこころに焼きついて離れないのだ。

 

そうな光景を見ると、なんだか東京で紙の上で人生がどうのこうのと考えていたのが、馬鹿らしいような気がしてならなかった。路上に寝たり、ベッド一つ道端に置いてそこで生活している連中は、およそ新聞やラジオやテレビとも、冷蔵庫や洗濯機ともなんの関係もない生き方をしているのである。壁も屋根も床も、もしてやコンセントなどないところで、それでも悠々と人が生きていられるという事実が、ほとんど圧するように私に印象された。

 

いったいこの連中はどうやって生きてるんだろう。これもやはりちゃんとした一つの生涯なのだな。――そんなふうに考え出すと、頭が可笑しくなってくるようなのた。身にまとうものといったら布一枚、路傍で火をおこして石の上でチャパラィを焼いて食っていきている。日に二ルピーでいきているというその極限的に簡素(かんそ)な生き方が見れば見るほど脅威であった。

 

単に貧しいというだけでなしに、そこにある生の多様性、自然との合致、なによりも悠々としたところが、私を混乱させるのである。こんなことは今までョーロッパを旅行したときには絶えて感じなかった。しかもこの裸に近い人々の間にもまれていて、およそただの一度でも危険を感じたことがなかった。なにか同類の中に、同じその一人としているという安心感のようなものさえあるのである。

 

へえ、それにしてもまあこんな具合でよく生きていられるものだ。

と、思うと同時に、その反対側では、戦後三十五年ひたすら快適さを追い求めてきた末に、生の直接性(というのも曖昧な言葉だが)を失ってしまった、のっぺりした東京での自分らの生き方を思い浮かべるというあんばいなのである。そして今でもわたしはそのぐらつきからぬけ出せないでいる。インドというのは全く不思議な国だ。一度でもあれを体験した人間は、まったく背をそむけてヨーロッパのほうに顔を向けるような予感がする。ともかく文明の念を根底から疑わしくさせ、再検討を迫る何かがインドにはある。

 

原野の中に現れた低い草ぶきの村。夕方のその村の家々のまえで、豚や牛の臭気も平気で人々が一緒に夕涼みしている。子供らが井戸のそばで水を浴びれいる。青み泥の浮かぶ水溜りに、黒々と肌を光らせて水牛が浮かんでいる。屋根に孔雀が止まっている。遠くの原でまだラクダが畑を耕している。ちらと見えたそういう光景が、何か意味あるもののように今でも私の中に強く焼きついている。

 

夕方六時半、日が赤く地平線に沈むと、急速に闇が広がり始め、七時になるともう真っ暗になった。一度闇になると、辺りはまさに黒暗暗の一色で、何も見えない。ひたひたと闇の不気味さがこっちを包み始め、なんだか天地の間自分一人が置き去りにされたような心細さがせまってくる。遠いところにちらとかぼそい明かりが見え、それがひどく懐かしい、頼りになるサインのように思われる。そういう闇というものも、私が久しく忘れていた感触であった。

 

問題はこのインド的な世界とヨーロッパ的な世界とを止揚した先にどんな可能性があるかということで、それが近代を止揚とようとし始めている今の日本の我々の問題にもつながるらしかったが、そういう大問題は闇の中で心細がっている私の手に余った。

 

帰ってきて、久しぶりに犬を連れて散歩に出たら、近くの公園で、ジョーとパンツの中年婦人たちがテニスをしていた。子供たがユニホームを着て野球をし、下腹の出た中年男がよたよたジョギングをしていた。プールからは水音と少年少女の甲高い叫び声がする。そういう見慣れた光景が私にはひどくなじみない異様なものに見え、沿う見えたということに私は驚いた。なぜこんななんでもない眺めに驚いたのかといぶかった。しばらく考えて、それらの営むが生存の必要と直接なんの関係もない行為であることに自分が驚いたのがわかった。

 

私の目にはまだ、旅行中ごく日常的なものとして見ていたインドの少年らの姿が焼きついていたのであった。汚れきったランニングをパンツ姿で炎天下荷車の後押しをしていた少年や、茶店で客のコップを集めたり洗ったりしていた少年、姉弟三人で小さな屋台の店番をしていた者たち、それた生存の必要とじかに結びついた営みに比べ、ここにある閑暇ないし無用性が、私にむしろ異様なものに見えたのであった。インドでは大人でも子供でもすべての営みが直接生存の必要と結びついていたことに改めて気づき、私は日本は平和で豊かなんだなあと感嘆した。これに比べたら、確かにインドは貧しいし人々は「低い生存」にじかにさらされている。が、その一方では、ジョキングの中年男も少年少女もこの国ではレールの上を走るような狭い決まった生き方をやむなくされているのに対し、あっちの生のほうがいかにも多様性だとも思わずにいられない。少なくとも生の直接性があそこにはあった、と。

 

 

 

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