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小猫  寺田寅彦

(2015-03-09 20:49:14)
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情感

小猫

寺田寅彦

日本散文

分类: 寺田寅彦专辑

子猫

寺田寅彦

翻译:王志镐

小猫

   虽然我的家里至今还未养过猫,可是去年夏初,一个偶然的机会,两只猫突然来到我家,其鲜明的存在开始对我家的日常生活产生影响。我感到,它不单可以当作供小孩爱抚或玩弄的东西,而且给我自身的感情生活也投下了一丝朦胧的光线。
 これまでかつて(ねこ)というもののいた事のない私の家庭に、去年の夏はじめ偶然の機会から急に二匹の猫がはいって来て、それが私の家族の日常生活の上にかなりに鮮明な存在の影を映しはじめた。それは単に小さな子供らの愛撫(あいぶ)もしくは玩弄(がんろう)の目的物ができたというばかりでなく、私自身の内部生活にもなんらかのかすかな光のようなものを投げ込んだように思われた。

 

   首先,在这样的小动物性情中充分表现出来的个性分化使我感到吃惊。而不会说话的兽类与人类之间,暴怒情绪的反应机密再一次使我感到吃惊。这样一来,在不知不觉之中,这两只猫在我的眼前完全人格化起来,并被认为是我的家庭成员的一部分而存在着。


 このような小動物の性情にすでに現われている個性の分化がまず私を驚かせた。物を言わない獣類と人間との間に起こりうる情緒の反応の機微なのに再び驚かされた。そうしていつのまにかこの二匹の猫は私の目の前に立派に人格化されて、私の家族の一部としての存在を認められるようになってしまった。

    两只猫,一只是雌性的“三毛”,一只是雄性的“宝石”。三毛是去年春天出生的,宝石的出生比它晚两三个月,被带到家里来时,实在还只是一只小猫,仅过了没多少时间,就变成了一只漂亮的家猫。它无忧无虑地在我家生活着,满足了一直希望要有一只小猫的孩子们的愿望。

 二匹というのは雌の「三毛(みけ)」と雄の「たま」とである。三毛は去年の春生まれで、玉のほうは二三か月おそく生まれた。(うち)へもらわれて来たころはまだほんとうの子猫であったが、わずかな月日の間にもう立派な親猫になってしまった。いつまでも子猫であってほしいという子供らの願望を追い越して容赦もなく生長して行った。

   正因为三毛具有敏锐的神经,我总觉得它不好侍候,为所欲为,过分挑剔。然而它所有的举动却不知为什么十分幽雅,或许具备了所有猫的家族的最显著的特性。如果说在最具猫相的猫当中,它也许是最具雌猫相的雌猫了。实际上,它经常将老鼠逮到家里来。家中的老鼠早已绝迹,它却还将不知从何处抓来的大大小小各种各样的老鼠衔到家里来。不过它绝对不吃这些老鼠,而是就这样将它们放着不管了,有时雄猫宝石悄悄将它们解决了,有时我们将它们用绳系着交给派出所。为了生存直接而紧要的本能表现,在猫的情况下已经发生了明显的分化,我想这可以说是一种由“游戏”变化而来的应该引起人们注意的事情。


 三毛は神経が鋭敏であるだけにどこか気むずかしくてそしてわがままでぜいたくである。そしてすべての挙動にどことなく典雅のふうがある。おそらくあらゆる猫族の特性を最も顕著に備えた、言わば最も猫らしい猫の中の雌猫らしい雌猫であるかもしれない。実際よくねずみを()って来た。家の中にはとうからねずみの影は絶えているらしいのに、どこからか大小いろいろのねずみをくわえて来た。しかし必ずしもそれを食うのではなく、そのままに打ちすてておいてあるのを、玉が失敬して片をつける事もあるようだし、また人間のわれわれが糸で縛って交番へ届ける事もあった。生存に直接緊要な本能の表現が、(ねこ)の場合ですらもうすでに明白な分化を遂げて、言わば一種の「遊戯」に変化しているのは注意すべき事だと思ったりした。

 

   宝石与三毛相反,它神经迟钝,是一只再老实不过的猫,同时我总觉得它的举止粗鲁,行为纯朴,它的反常使我联想起狗的特性。刚到我家时,它一时劣性不改,吃相难看,狼吞虎咽,女性家属对它的评价特别不好。由于这个原因,好吃的东西,好的部分自然留给了三毛,剩下质量不好的部分总是分给宝石。不过奇怪的是,这粗野的宝石对食物的兴趣不知从何时起有了进步,同时那过于难看的吃相和强烈的食欲渐渐变得正常了,举止也能做到文雅大方了。尽管如此,那与生俱来的粗鲁举止却不容易消失。比方说,穿过拉门上的猫洞时,三毛身体的任何部分从不与拉门的骨架接触,迅速巧妙而毫无声息地窜了过去,几乎听不见它在对面一侧走过去的脚步声,身段柔软;而宝石就完全不同了,腹部也好,背部也好,或者后足也好,不管是哪里一定会碰到拉门的骨架,发出剧烈的响声,然后脚步声响彻走廊,与其说是走下来的,倒不如说是掉下来的。这个区别也许是相当于一般雌雄的区别,我不知道有没有这样的共同点。可是想想看,人类同性的人之中,与此相似的区别也相当明显。从一间房间走到临近一间房间时,一定会触到房间里中国墙纸,而在走廊里走路时,有人不发出勇猛的脚步声就不会走路的人,有人却从不发出令人不快的响声,考虑到这样的事情,三毛和宝石的情况的主要差别不仅仅是性别的差异,也许还应该归结为个性的差别。


   玉のほうは三毛とは反対に神経が遅鈍で、おひとよしであると同時に、挙動がなんとなく無骨で素樸(そぼく)であった。どうかするとむしろ犬のある特性を思い出させるところがあった。(うち)へ来た当座は下性(げしょう)が悪くて、食い意地がきたなくて、むやみにがつがつしていたので、女性の家族の間では特に評判がよくなかった。それで自然にごちそうのいい部分は三毛のほうに与えられて、残りの質の悪い分け前がいつでも玉に割り当てられるようになっていた。しかし不思議なものでこの粗野な玉の食い物に対する趣味はいつとなしに向上して行って、同時にあのあまりに見苦しいほどに強かった食欲もだんだん尋常になって行った。挙動もいくらかは鷹揚(おうよう)らしいところができてきたが、それでも生まれついた無骨さはそう容易には消えそうもない。たとえば障子の切り穴を抜ける時にも、三毛だとからだのどの部分も障子の骨にさわる事なしに、するりと音もなくおどり抜けて、向こう側におり立つ足音もほとんど聞こえぬくらいに柔らかであるが、それが玉だとまるで様子がちがう。腹だか背だかあるいはあと足だか、どこかしらきっと障子の骨にぶつかってはげしい音を立て、そして足音高く縁側に、おりるというよりむしろ落ちるのである。この区別はあるいは一般に雌雄の区別に相当する共通のものであるかどうか私にはわからない。しかし考えてみると人間の同じ性のものの中でもこれに似た区別がかなりに著しい。ちょっと一つの部屋(へや)から隣の部屋へ行く時にも必ず間の唐紙(からかみ)にぶつかり、縁側を歩く時にも勇ましい足音を立てないでは歩かない人と、また気味の悪いほどに物音を立てない人とがある事を考えてみると、三毛と玉との場合にもおもな差別はやはり性の相違ばかりではなくて個性の差に帰せらるべきものかもしれない。

   自从今年春寒时开始,三毛的生活发生了显著的变化。在那之前,从未有过不在家的事情发生,现在却开始每天外出。它见到别处的猫,向来是因为反常的恐惧而显示敌意,如今却不知为何,看见它与不认识的猫一起在庭院的角落悠闲踱步。有一天或许是做了什么事,就此隐身起来。我开始担心它是不是遭到了捕猫人的杀害,还让人在整个附近区域寻找了,正在思念之中,它却在黎明时分突然回来了。平时光亮的毛色变得脏兮兮的,污秽不堪,脸也不知什么时候明显变瘦了,眼神变得严厉了,而且食欲也显著减退。

ことしの春寒のころになってから三毛の生活に著しい変化が起こって来た。それまでほとんどうちをあける事のなかったのが、毎日のように外出をはじめた。従来はよその(ねこ)を見るとおかしいほどに恐れて敵意を示していたのが、どうした事か見知らぬ猫と庭のすみをあるいているのを見かける事もあった。一日あるいはどうかするとそれ以上も姿を隠す事があった。始めはもしや猫殺しの手にでもかかったのではないかと心配して近所じゅうを尋ねさせたりした事もあったが、そうしていると夜明け方などにふいと帰って来た。平生はつやつやしい毛色が妙に薄ぎたなくよごれて、顔もいつとなく目立ってやせて、目つきが険しくなって来た。そして食欲も著しく減退した。

从孩子的口中得到报告,家里的三毛与一只异常的賊猫在邻家的房顶上打架。

我不知为什么觉得很害怕,在我也不知道是怎么回事的期间,这只可怜的小动物的身体内部,在不可抗拒的“自然”的命令下,难以回避的变化正在发生。而对那样的事一点也不知道的它,面对着向身体袭来的不可思议的威力的压迫,一边因恐惧而发抖,一边在春寒的霜冻之夜,在不知何处的房檐下徘徊不已。我现在才感受到了对自然法则的恐惧,同时为猫除了恐惧之外到底是为了什么,自己也一无所知而感到悲哀。


 うちの三毛が変などろぼう猫と隣の屋根でけんかをしていたというような報告を子供の口から聞かされる事もあった。
 私はなんとなしに恐ろしいような気がした自分では何事も知らない間に、この可憐(かれん)な小動物の肉体の内部に、不可抗な「自然」の命令で、避け難い変化が起こりつつあった。そういう事とは夢にも知らない彼女は、ただからだに襲いかかる不可思議な威力の圧迫に恐れおののきながら、春寒の霜の夜に知らぬ軒ばをさまよい歩いているのであった。私は今さらのように自然の方則の恐ろしさを感じると同時に、その恐ろしさをさえ何のためとも自覚し得ない猫を哀れに思うのであった。

过了几天,不知为什么三毛的生活变得如以前一样平静了,而这时候小猫已不是从前的小猫了,变成了漂亮的成年“母亲”了。

   往常出入的拉门上的猫洞,由于她的缘故而日渐显得狭窄。每次出入,那沉重的腹部都要相当猛烈地碰到拉门。有时会比粗野的宝石发出更响的声音,好不容易才钻过去。人只要戴了比平时稍微宽一点的大檐麦秸草帽,判断就会发生错误;由于碰到了许多东西,不管神经敏锐的三毛每天进行了多少适应身体变化的运动,对调节运动这样的事也一定力不从心了。不管怎样,我似乎觉得这事对胎儿和母亲不会有没有什么不良影响,不过别的什么也不能帮它做,只好就这样置之不顾。

 そのうちにまたいつとなく三毛の生活は以前のように平静になったが、その時にはもう今までの子猫(こねこ)ではなくて立派に一人前の「母」になっていた。
 いつも出入りする障子の穴が、彼女のためには日ごとに狭くなって行くのであった。出入りのたびごとにその重い腹部をかなりに強く障子にぶっつけた。どうかすると無作法な玉よりもはげしい音を立ててやっとくぐり抜ける事もあった。人間でさえも、ほんの少しばかりいつもより(つば)の広い麦藁帽(むぎわらぼう)をかぶるともう見当がちがって、いろいろなものにぶっつかるくらいであるから、いかに神経の鋭敏な三毛でも日々に進行するからだの変化に適応して運動を調節する事はできなかったにちがいない。それはとにかく私はそれがために胎児や母体に何か悪い影響がありはしないかという気がしたが、しかし別にどうするでもなくそのままにうっちゃっておいた。

   它会生下什么样的小猫呢?这成了我的孩子之间常常讨论的问题。随便提出了各种各样的希望,于是冥冥之中,小小的脑袋不久应该出生,想象着、盼望着这样奇迹的一天的来到。并向父母提出,这次生下来的小猫全部由家里来饲养。

 どんな子猫が生まれるだろうかという事が私の子供らの間にしばしば問題になっていた。いろいろな勝手な希望も持ち出された。そしてめいめいの小さな頭にやがてきたるべき奇蹟(きせき)の日を描いてそれを待ち遠しがっているのであった。今度生まれたのは全部うちで飼ってほしいという願いを両親に提出するのもあった。

 

   有一天,家里大部分人都去参观博览会了,我趁着看家的难得清闲,在楼下的居室里做事,耳边响起三毛与平时不同的鸣叫声。与死乞白赖地要食物时的叫声,以及从外面回来找不到主人的叫声的样子有点不同。总觉得它显得心神不定,忐忑不安的样子,想要来到我身边,又走出走廊,还像在储藏室搜寻着什么东西,徘徊着发出哀鸣。


 ある日家族の大部分は博覧会見物に出かけた。私は留守番をして珍しく静かな階下の居室で仕事をしていたが、いつもとはちがって鳴き立てる三毛の声が耳についた。食物をねだる時や、外から帰って来る主人を見かけてなくのとは少し様子がちがっていた。そしてなんとなく不安で落ち着き得ないといったようなふうで、私のそばへ来るかと思うと縁側に出たり、また納戸(なんど)の中に何物かを捜すようにさまよっては哀れな鳴き声を立てていた。

 

   尽管我没有以往的经验,可是也明显感觉到了三毛不同于平常的举动的意思。我想这可麻烦了,由于妻子不在,在家的我那老母亲也好,什么也不会做的女仆也好,不论是谁,对猫生仔时应该采取什么适当的处置,什么样的预备知识都没有。


 かつて経験のない私にも、このいつにない三毛の挙動の意味は明らかに直感された。そして困ったものだと思った。妻はいないし、うちにいる私の母も年の行かぬ下女もいずれも(ねこ)の出産に際してとるべき適当の処置についてはなんらの予備知識も持ち合わせなかったのである。

 

   不管怎样,我在旧柳条箱子的盖上,放入旧坐垫,我让三毛盘踞在起居室衣橱后面预备的窝里。可是对于这只难以伺候的猫来说,从平时坐的地方变成了睡的地方,在那样不习惯的产房里一刻也不停,怎么也不肯躺下。接着像迷上了什么似的,在那一带来回走动着。
 ともかくも古い柳行李(やなぎごうり)のふたに古い座ぶとんを入れたのを茶の間の箪笥(たんす)の影に用意してその中に三毛をすわらせた。しかし平生からそのすわり所や寝所に対してひどく気むずかしいこの猫は、そのような慣れない産室に一刻も落ち着いて寝てはいなかった。そして物につかれたようにそこらじゅうをうろついていた。

   过了晌午,我正朝二楼走去,楼梯底下侍女大声诉说着猫的异常状况。下楼一看,三毛正躺在起居间的廊檐下,拼命舔着一团沾满尘土的老鼠色的肉团。真是难以想象,这几乎刚生下来的如海参般的肉团,相貌与猫毫无相似之处,不时发出尖锐的鸣叫声。

 (ひる)過ぎに二階へ上がっていたら、階段の下から下女が大きな声を立てて猫の異状を訴えて来た。おりて来て見ると、三毛は居間の縁の下で、土ぼこりにまみれたねずみ色の団塊を一生懸命でなめころがしていた。それはほとんど生きているとは思われない海鼠(なまこ)のような団塊であったが、時々見かけに似合わぬ甲高(かんだか)いうぶ声をあげて鳴いていた。

 

   三毛正束手无策地瞧着,它想叼着小猫的脖子朝庭院的方向走去,途中掉在地上,又舔了起来。终于,它叼着这只沾满尘土的、面目可憎、肮脏不堪的东西来到我们的起居间,然后放在我的坐垫上,如果是人的话,产妇应该在那上面按照初生儿的操作法坐月子。我急忙拿来那个柳条行李箱的盖子,将母子安置在其中,可是房间里有点放不下,马上又满房间拖着走起来。


 三毛は全く途方にくれているように見えた。赤子の首筋をくわえて庭のほうへ行こうとしているかと思うと、途中で地上におろしてまたなめころがしている。とうとうその土にまみれた、気味悪くぬれよごれたものをくわえて私たちの居間に持ち込んで来た。そして私の座ぶとんの上へおろして、その上で人間ならば産婆のすべき初生児の操作法を行なおうとするのである。私は急いで例の柳行李のふたを持って来て母子(おやこ)をその中に安置したが、ちょっとの間もそこにはいてくれないで、すぐにまた座敷じゅうを引きずり歩くのであった。

 

   不知如何才好的我拿着那行李朝后面的库房走去,将母子关在那里。虽然觉得有点残酷,可是如果弄脏了家中的地板,却是我难以容忍的,会引起不愉快。
 当惑した私は裏の物置きへその行李を持ち込んで行って、そこに母子を閉じ込めてしまった、残酷なような気もしたが、家じゅうの畳をよごされるのは私には堪え難い不愉快であった。

 

   正想着,库房的窗户响起剧烈的被抓挠的声音,突然在双层格子闭合拉窗中出现了三毛的身影,它叼着小猫,似乎要从撑起的窗户的缝隙中钻出来,急得像要发疯似的,实在是可怕极了。至今我也忘不了三毛那时可怕的眼神,它在我的脑海里留下了深刻的印象。
 物置きの戸をはげしく引っかく音がすると思っていると、突然高い無双窓に三毛の姿が現われた。子猫(こねこ)をくわえたままに突っ立ち上がって窓のすきまから出ようとして狂気のようにもがいているさまはほんとうに物すごいようであった。その時の三毛の姿勢と恐ろしい目つきとは今でも忘れる事のできないように私の頭に焼きつけられた。

 

   赶快给它把门打开。仔细一看,小猫的身体完全变黑了,三毛的四只脚像是扎了绑腿似的也变黑了。
 急いで戸をあけてやった。よく見ると、子猫のからだがまっ黒になっているし、三毛の四つ足もちょうど脚絆(きゃはん)をはいたように黒くなっている。

 

   前几天,我将为了涂板壁的根基而使用的防腐涂料放在水桶里,搁在库房的窗户底下。我想小猫是掉落在那里面了,脑袋上被淋上油漆的小猫看上去已经明显停止了呼吸,尽管如此,仍然显示出一些细微可辨的蠕动。
 このあいだじゅう板塀(いたべい)の土台を塗るために使った防腐塗料をバケツに入れたのが物置きの窓の下においてあった。その中に子猫を取り落としたものと思われた。頭から油をあびた子猫はもう明らかに呼吸が止まっているように見えたが、それでもまだかすかに認められるほどのうごめきを示していた。


    作为残酷的人类,我让小猫和三毛的脚上沾满了防腐剂,这比让全家的地板都被弄脏更使我不知所措,我马上抱着三毛去浴室,开始用肥皂洗刷,那粘乎乎的油漆渗透在密密的毛发中,怎么也不容易洗净。
 むごたらしい人間の私は、三毛がこの防腐剤にまみれた足と子猫で家じゅうの畳をよごしあるく事に何よりも当惑したので、すぐに三毛をかかえて風呂場(ふろば)にはいって石鹸(せっけん)洗滌(せんじょう)を始めたが、このねばねばした油が密生した毛の中に滲透(しんとう)したのはなかなか容易にはとれそうもなかった。

 

   过了几天,我将已经辨认不出生命迹象的小猫就近埋在后院的桃树底下。埋葬之后,怀着一种或许还活着的不安心情,感到非常无奈。可是再也没有挖出来看看的勇气了。我想,那团沾满黑色油污的可怕的肉团再也不能复生了。
 そのうちにもう生命の影も認められないようになった子猫はすぐに裏庭の桃の木の下に埋めた。埋めてしまった後に、もしやまだ生きていたのではなかったかという不安な心持ちがして来て非常にいやな気がした。しかしもう一度それを掘りかえして見るだけの勇気はどうしてもなかった。黒い油にまみれたあのおぞましい団塊に再び生命が(かえ)って来ようとも思われなかった。

 

   又过了几天,全家人都回来了,听我报告了看家期间发生的非常事件。而在此期间,三毛开始了第二胎第三胎的分娩。我将所有事情委托给妻子,就上了二楼。坐在书桌前,好不容易才平静下来,不过除了因病虚弱外,自己的神经因为异常兴奋而觉得非常疲劳。


 そのうちに一同が帰宅して留守中に起こった非常な事件に関する私からの報告を聞いているうちに、三毛はまた第二第三の分娩(ぶんべん)を始めた。私はもうすべての始末を妻に託して二階にあがった。机の前にすわってやっと落ち着いてみると、たださえ病に弱っている自分の神経が異常な興奮のためにひどく疲れているのに気がついた。

 

   不久之后出生的三只小猫也都死了。我怀疑自从被放入库房,三毛肉体和精神上的剧烈变动是死胎的原因。这个怀疑,在我的心灵深处留下了一个小小的创伤。与桃树底下三个同胞共眠的那只小猫,一种与它有关的不安或许会会永远在我的良心上留下轻微的刺激。
 あとから生まれた三匹の子猫(こねこ)はみんなまもなく死んでしまった。物置きに入れられてからの三毛のはげしい肉体と精神の劇動がこの死産の原因になったのではないかと疑ってみた。この疑いはいつまでも私の心の奥のほうに小さな傷あとのようになって残っている。桃の木の下に三匹の同胞とともに眠っているあの子猫に関する一種の不安もおそらくいつまでも私の良心に軽い刺激となって残るだろう。

 

   产后的经历也并不寻常。三毛完全失去了食欲,一边无精打采地眨巴着眼睛,一边成天弓着背坐着。我想如果置之不顾的话会很危险的,马上带它到附近的兽医院去。好像还有胎儿残留在腹中,做了手术,然后让它暂且住院治疗。
 産後の経過が尋常でなかった。三毛は全く食欲を失って、物憂(ものう)げに目をしょぼしょぼさせながら一日背を丸くしてすわっていた。さわって見るとからだじゅうの筋肉が細かくおののいているのが感ぜられた。これは打ち捨てておいては危険だと思われたので、すぐに近所の家畜病院へ連れて行かせた。胎児がまだ残っているらしいから手術をして、そしてしばらく入院させたほうがいいという事であった。

 

   住进医院才十天,每天孩子们轮流去看望它。他们从那里回来后,向他们询问三毛的情况怎么样了,却一直不得要领。他们是受到医生的警告回来的,医生说如果频繁地看望,猫的神经会受刺激,对病情有害。
 十日ばかりの入院中を毎日のようにかわるがわる子供らが見舞いに行った。それが帰って来ると、三毛の様子がどういうふうであったかを聞いてみるが、いつも要領を得る事はできなかった。あまり頻繁(ひんぱん)に見に来ると猫の神経を刺激して病気にさわると言って医師から警告を受けて帰ったものもあった。

 

   考虑到医生的职业,我觉得将不会说话的家畜实施寄养治疗是非常神圣的。关于住院期间受到的待遇,无论是判断也好,记忆也好,都毫无负担,回家后人们也不能说什么,对患者施加忠实而亲切的治疗是理所当然的,我总觉得是一件好事。


 物を言わない家畜を預かって治療を施す医者の職業は考えてみるとよほど神聖なもののような気がした。入院中に受けた待遇についてなんらの判断も記憶も持ち得ないし、また帰宅しても人間に何事も話す事のできないような患者に忠実親切な治療を施すという事があたりまえではあるがなんとなく美しい事のように思われた。

 

   出院之后,暂且还需服药。那散装药的包装袋与人的完全一样,在姓名处写着“吉村氏爱猫”,下面还有“号”的铅字。也许是“三毛号”的省略吧。反正从那以后不久,“爱猫号”这个三毛的绰号在孩子们之间流行起来。
 退院後もしばらく薬をもらっていた。その散薬の包み袋が人間のと全く同じであるが、名前の所には吉村氏(よしむらし)愛猫(あいびょう)としてその下に活字で「号」の字があった。おそらく「三毛号」とするところを略したのだろう。とにかくそれからしばらくは愛猫号という三毛のあだ名が子供らの間に流行していた。

 

   有一天,从学校回来的孩子抱回来一只陌生的小猫,也许是在门前经过的哪个人扔在那里的。有黑白的花纹,而且是尾巴很长的那种。它在走廊上学步,脚好像还撑不住似的,纯白纺绸似的脚掌无力地在地板上哧溜哧溜地滑着。我将三毛带来和它见面,三毛感到非常惊恐,脊梁上的毛都竖了起来。可是过了几小时去一看,它俩都在壁橱中的管风琴的凳子上横躺着,在做成的凹坑中,三毛伸长腿仰天横卧着,在它的乳房边,小猫正吸吮着。小猫哩啦哩啦地从喉咙里发出微微的鸣叫,三毛前所未有地一声不吭,遍舔着小猫的头啊,背啊。我想,一旦觉醒就无法中止的母性,暂时被这只陌生的小猫唤醒了。我不禁感慨万分,为了失去了孩子的父母,还有失去父母的孩子,心中不由得生出一种柔和的满足感。
 ある日学校から帰った子供が見慣れぬ子猫(こねこ)を抱いて来た。(うち)の門前にだれかが捨てて行ったものらしい。白い黒ぶちのある、そしてしっぽの長い種類のものであった。縁側を歩かせるとまだ足が不たしかで、羽二重(はぶたえ)のようになめらかな(あしうら)は力なく板の上をずるずるすべった。三毛を連れて来てつき合わせると三毛のほうが非常に驚き恐れて背筋の毛を逆立てた。しかしそれから数時間の後に行って見ると、だれかが押し入れの中にオルガンの腰掛けを横にして作ってやった穴ぼこの中に三毛が横に長くねそべって、その乳房(ちぶさ)にこの子猫が食いついていた。子猫はポロ/\/\とかすかに咽喉(のど)を鳴らし、三毛はクルークルーと今までついぞ聞いた事のない声を出して子猫の頭と言わず背と言わずなめ回していた。一度目ざめんとして中止されていた母性が、この知らぬよその子猫によって一時に呼びさまされたものと思われた。私は子を失った親のために、また親を失った子のために何がなしに胸の柔らぐような満足の感じを禁じる事ができなかった。

 

   在三毛的脑袋里,不会知道这个没有父母的小家伙与自己生的孩子之间的区别。而且这不过是出于本能,完全是为了满足自己的需要,而不是为了哺育这个养子。不过用我们人类的眼睛看来,怎么说也值得反躬自问。看着它用充满炙热爱情的声音一边滴溜溜地叫着,一边舔着小猫,不由得被引入一种温柔情绪所包围的氛围。然而关于人类的情况与这只动物的情况的区别,不能认为相关的学说全都是胡说,我想无论如何也是一件好事。
 三毛の頭にはこの親なし子のちびと自分の産んだ子との区別などはわかろうはずはなかった。そしてただ本能の命ずるがままに、全く自分の満足のためにのみ、この養児をはぐくんでいたに相違ない。しかしわれわれ人間の目で見てはどうしてもそうは思いかねた。熱い愛情にむせんででもいるような声でクルークルーと鳴きながら子猫(こねこ)をなめているのを見ていると、つい引き込まれるように柔らかな情緒の雰囲気(ふんいき)につつまれる。そして人間の場合とこの動物の場合との区別に関する学説などがすべてばからしいどうでもいい事のように思われてならなかった。

 

   有时我有这样的幻觉,这个小家伙好像就是三毛死去的亲生孩子中的一个。如果按照人类的科学,那是不可能明白的事情;不过在猫的精神世界中,这确实可以说是死去的孩子的再生。如果说人类的精神世界是N元的东西,那么缺少“记忆”之类的东西的猫的世界一定被看作是(N-1)元的东西。
 どうかすると私はこのちびが、死んだ三毛の実子のうちの一つであるような幻覚にとらえられる事があった。人間の科学に照らせばそれは明白に不可能な事であるが、しかし(ねこ)の精神の世界ではたしかにこれは死児の再生と言っても間違いではない。人間の精神の世界がN(ディメンジョン)のものとすれば、「記憶」というものの欠けている猫の世界は(N-1)(ディメンジョン)のものと見られない事もない。

 

   随着小家伙一点点长大,越发变得可爱了。它有着三毛也好宝石也好都没有的长尾巴,同时还具备三毛也好宝石也好都没有的性情的另一面。如果说三毛是很早以前的年轻母亲,宝石是乡巴佬出身的书生,那小家伙就好像是都市高岗地区的公子哥儿。总觉得它才气横溢,然而却是个一点不令人讨厌的可爱的小家伙。
 ちびは大きくなるにつれてかわいくなって行った。彼は三毛にも玉にもない長いしっぽをもっていると同時に、また三毛にも玉にもない性情のある一面を備えていた。たとえば三毛が昔かたぎの若い母親で、玉が田舎出(いなかで)の書生だとすれば、ちびには都会の山の手の(ぼっ)ちゃんのようなところがあった。どこか才はじけたような、しかしそれがためのいやみのない愛くるしさがあった。

 

   小小的背竖立着,长长的尾巴蛇字形弯曲着,经常与养母三毛挑衅打架,而作为养母三毛一方,却像母亲似的敷衍了事,真是令人奇怪。如果变得过于厌烦,就成了对手,将小猫的脑袋相当粗暴地勒紧,撂倒后就逃掉了。不过在这样的场合,我觉得比起一味臭骂的人类母亲的某个阶层的人要好多了。还有,小猫一方无论多么粗暴,都会畏缩不前,不任意撒泼,我想这一点比起我们的孩子要出色得多。


 小さな背を立てて、長いしっぽをへの字に曲げて、よく養母の三毛にけんかをいどんだが、三毛のほうでは母親らしくいいかげんにあやしていた。あまりうるさくなると相手になってかなり手荒く子猫の首をしめつけてころがしておいて逃げ出す事もあった。しかしそんな場合に口ぎたなくののしらないだけでも人間の母親のある階級のものよりははるかに感じがよかった。また子猫のほうでもどんなにひどくされてもいじけたり、すねたりしない点がわれわれの子供よりもずっと立派なように思われた。

 

   等到能独立生活时,小家伙被亲戚家里抱去收养了。前来迎接的老头来的时候,孩子们将小猫从三毛的身边带了出来,估计是舍不得离别,各自嘴里不知说着什么,唯独没有想到会发生这样的事。当小家伙永远地走后,三毛像是这个世界上什么事也没有发生似的,在走廊的立柱底下斜眼望着,心情不错似的眨巴着眼睛。那是我们这些罪孽深重的人类看到的格外凄凉的东西。此后一两天期间,时常看到它有想要寻找小猫的举动,但仅此而已,毕竟我们家的猫回到了悠闲平和的日子。与此同时,几乎被忘却了的宝石的存在变得越来越明显了。
 もう一人立(ひとりだ)ちができるようになって、ちびは親戚(しんせき)の内へもらわれて行った。迎いの(じい)やが連れに来た時に、子供らは子猫(こねこ)を三毛のそばへ連れて行って、別れでも惜しませるつもりで口々に何か言っていたが、こればかりはなんの事とも理解されようはずはなかった。ちびが永久に去った後に三毛はこの世界に何事も起こらなかったかのように縁側の柱の下にしゃがんで気持ちよさそうに目をしょぼしょぼさせていた。それが罪業の深いわれわれ人間には妙にさびしいものに見えるのであった。それから一両日の間は時々子猫(こねこ)を捜すかと思われるような挙動を見せた事もあったが、それもただそれきりで、やがて私の家の猫にはのどかな平和の日が帰って来た。それと同時に、ほとんど忘れられかかっていた玉の存在が明らかになって来た。

 

    对于小猫,宝石被授予“伯父”之类的绰号。而且作为相当冷淡而不客气的伯父,一直成为不利于它的批评的焦点,不过这一切都已成为过去,它已经长成了比原来大得多的小猫。对于小猫,一看的确是像分别了的母亲似的三毛,仍然也是如此。抱起我最小的孩子,看着它一边想要逃走似的挣扎着,一边鸣叫着,越发感到这是泥醉的约翰牛。
 子猫に対して玉は「伯父(おじ)さん」というあだ名をつけられていた。そしてはなはだ冷淡でそっけない伯父さんとして、いつもながら不利な批評の焦点になっていたが、もうそれも過去になって、彼もまたもとの大きな子猫になってしまった。子猫に対して見るといかにも分別のある母親らしく見えていた三毛ですらも、やはりそうであった。いちばん小さい私の子供に引っかかえられて逃げようとしてもがきながら鳴いているところを見たりすると、なおさらそういうディスイリュージョンを感じるのであった。

 

   到了夏末,三毛已经是第二次生子了。这也是一次偶然的巧合,在妻子带着孩子外出的时候,因三毛的样子有点奇怪,很少外出,我盯着它看护着。它睡着储藏室角落的阴暗处,一只不知什么时候放着的行李中,我徐徐抚摸着它的腹部,它的喉咙里发出激烈的鸣叫声,似乎很高兴的样子,然后平平安安分娩出四只小猫。
 夏の末ごろになって三毛は二度目の産をした。今度も偶然な吻合(コインシデンス)で、ちょうど妻が子供を連れて出かけるところであったが、三毛の様子がどうも変であったから少し外出を見合わして看護させた。納戸(なんど)のすみの薄暗い所へいつかの行李(こうり)を置いてその中に寝かせ、そしてそろそろ腹をなでてやるとはげしく咽喉(のど)を鳴らして喜んだそうである、そしてまもなく安々と四匹の子猫を分娩(ぶんべん)した。

 

   看起来对人做的睡床怎么也不能放心,母猫不知什么时候将四只小猫拖进库房高高的架子里面。我不听孩子们再三劝阻,搬出了高登子,去那里窥视。我的脑海里不知为什么浮现出契可夫的小品中猫和孩子的对话,对母猫的过于挑剔不免感到担心。
 人間のこしらえてやった寝床ではどうしても安心ができないと見えて、母猫(ははねこ)はいつのまにか納戸(なんど)の高い(たな)の奥に四匹をくわえ込んだ。子供らはいくら止めても聞かないで、高い踏み台を持ち出してそれをのぞきに行くのであった。私はなんとはなしにチェホフの小品にある子猫と子供の話を思い浮かべて、あまりきびしくそれをとがめる気にもなれなかった。

 

   自从小猫的眼睛张开来的时候起,我经常将它们从架子上拿下来,放在地板上让它们到处爬。在这样的时候,整个家中的东西都被收集起来,环视着这个盛大的奇迹。这样的事情一天天重复着,看起来颤悠悠的脚步明显变得稳当了。由单纯的感觉集合起来,构成了经验和知识的做事道理,我觉得与人类生小孩的情况也许是相似的吧。而那进步与人类比较起来又是惊人的迅速,难以阻挡。而接近这样的智能渐近线的动物一方,与那遥远的人类比较其接近的速度是很快的,我想这样的事实应该引起相当的注意。有关物质的科学的领域,也有与此相似的例子吧。
 子猫(こねこ)の目のあきかかるころになってから、時々棚の上からおろして畳の上をはい回らせた。そういう時は家内じゅうのものが寄り集まってこの大きな奇蹟(きせき)を環視した。そのような事を繰り返す日ごと日ごとに、おぼつかない足のはこびが確かになって行くのが目に立って見えた。単純な感覚の集合から経験と知識が構成されて行く道筋はおそらく人間の赤子の場合と似たものではあるまいかと思われた。そしてその進歩が人間に比べて驚くべく急速である事も拒み難い。このように知能の漸近線(アシンプトート)の近い動物のほうが、それの遠い人間に比べてそれに近づく速度の早いという事実はかなり注意すべき事だと思ったりした。物質に関する科学の領域にはこれに似た例はまれであろう。

 

   两只小猫大体上有着与三毛相似的毛色,一只被称为“太郎”,另一只被称为“次郎”。后面两只有宝石那样红黄色的、灰色和茶色的条纹似的斑点,前面一只被称为“小红”,后面一只被称为“小猴”,小猴脸上的条纹好像与猴子相似,就有人给它起了这个名字。而且因为背上的斑点与虎相似,所以还有人叫它“虎斑地鸫”。只有这只虎斑地鸫是雌性的,其他三只都是雄性的。
 二匹の子猫はだいたい三毛に似た毛色をしていた。一つを「太郎」もう一つを「次郎」と呼んでいた。あとの二匹は玉のような赤黄色いのと、灰色と茶の(しま)のような(ぶち)のあるのとで、前のを「あか」あとのを「おさる」と名づけていた、おさるは顔にある縞がいわゆるどこか(さる)ぐまに似ていたからだれかがそう名づけたのである。そうして背中の斑が(とら)のようだから「(ぬえ)」だというものもあった。この鵺だけが雌で、他の三匹はいずれも男性であった。

 

   随着它们的成长,四只小猫的个性的差异也变得显著起来。太郎的可爱之处在于文静,因此也更像个男子汉。次郎像是个小孩子这一点上与太郎相似,不过总觉得它缺少骨气,太单纯。小红从相貌来看有点像神经质的狐狸,实际上胆小或者十分谨慎,却一点也不缺少孩子气。小猴是唯一的一只雌猫,浑身充满了女人味儿,抓东西时发出的尖锐的鸣叫声使人吃惊。
 生長するにつれて四匹の個性の相違が目について来た。太郎はおっとりして愛嬌(あいきょう)があって、それでやっぱり男らしかった。次郎もやはり坊ちゃんらしい点は太郎に似ていたが、なんとなく少し無骨で鈍なところがあった。赤は顔つきからして神経的な(きつね)のようなところがあったが、実際臆病(おくびょう)かあるいは用心深くて、子供らしいところが少なかった。おさるは雌だけにどこか雌らしいところがあって、つかまりでもするとけたたましい悲鳴をあげて人を驚かした。

 

   如果将宝石带来,放入猫群中,小红和次郎就非常害怕,弓着背站着,变得又拘谨又紧张,太郎和小猴则马上习惯了,显得心平气和。宝石和往常一样,像个态度极其冷淡的伯父,嫌麻烦似的不知逃往何处去了。
 玉をつれて来て子猫(こねこ)の群れへ入れると、赤と次郎はひどくおびえて背を丸く立てて固くしゃちこばったが、太郎とおさるはじきに慣れて平気でいた。玉のほうは相変わらずきわめて冷淡な伯父(おじ)さんで、めんどうくさがってすぐにどこかへ逃げて行ってしまった。

 

   对待四只小猫,四个孩子的感情也有着各种各样的差别。这是怎么做也无法改变的自然的法则吧。如果说爱憎是没有功利的,假如存在没有爱憎的世界,不知道那会是多么寂寞的世界啊。
 四匹の子猫に対する四人の子供の感情にもやはりいろいろの差別があった。これはどうする事もできない自然の理法であろう。愛憎はよくないと言って愛憎のない世界がもしあったらそれはどんなにさびしいものかもわからない。

 

   小猫一只只被送出去了。太郎被送到某个在百货商店工作的夫妇家里,次郎被送到一个较远的宅邸,小红被送到一个人居住的隐居先生的家里,最后,小猴被送到附近通电车的冰店,各自都分手而去。我为了想要留作纪念,在之前就把四只小猫睡着的样子用油画工具画了写生,现在放在书屋的搁板上。虽然是极为拙劣的画,可每次看了,我总觉得心中有一种温柔的感觉。
 子猫はそれぞれもらわれて行った。太郎はあるデパートメントストアーへ出ているという夫婦暮らしの家へ、次郎は少し遠方のあるおやしきへ、赤はひとり住みの御隠居さんの所へ、最後におさるは近い電車通りの氷屋へそれぞれ片付いて行った。私は記念にと思ってその前に四匹の寝ている姿を油絵の具でスケッチしておいたのが、今も書斎の(たな)の上にかかっている。まずい絵ではあるが、それを見るたびに私は何かしら心が柔らぐように思う。

 

   太郎去的那家因为多少有点因缘,幼小的孩子们时常去探望。小猴出嫁的冰店因为便宜的缘故,也有顺便去看看的机会。到了秋天,冰店变成了芋店,商店前面的店招做成向阳的香箱,我经常看到小猴睡在里面的样子。每次在店前经过,都想朝店里窥视,觉得自己有点儿可笑。


 太郎の行った家には多少の縁故があるので、幼い子供らは時々様子を見に行った。おさるの片付いた氷屋も便宜がいいので通りがかりに見に行くそうである。秋になってその氷屋は芋屋に変わった。店先の(かまち)日向(ひなた)に香箱を作って居眠りしている姿を私も時々見かける。前を通るたびには、つい店の中をのぞき込みたいような気がするのを自分でもおかしいと思う。

 

   至今家里还不时传出关于猫的流言蜚语。然而对猫来说,难以避免的命运的好坏,一直是一个问题。就以前几天附近的泥沟里垂死哀嚎的小猫为例,由于同样的命运,被捡起来送到富裕家庭由三毛养育的那只小猫如果说是幸运的话,那么被送到隐居先生家的小红是最快乐的猫。妻子好像在为特别喜爱的太郎没有遇到好运而遗憾,而我不知为什么为睡在芋店的店招里的小猴将来的命运而揪心。
 今でも時々家内で子猫のうわさが出る。そして猫にも免れ難い運命の順逆がいつでも問題になった。このあいだ近所の泥溝(どぶ)に死んでいた哀れなのら(ねこ)の子も引き合いに出て、同じ運命から拾い上げられて三毛に養われ豊かな家にもらわれて行ったあのちびがいちばんの幸運だというものもあれば、御隠居さんばかりの家に行った赤がいちばん楽でいいだろうというものもあった。妻は特にかわいがっていた太郎がわりに好運でなかった事を残念がっているらしかったが、私はどういうものか芋屋の店先に眠っているおさるの運命の行く末に心を引かれた。

   某天夜里,我在拂晓回家路上来到芋店的拐角,看到正在小巷的垃圾箱边慢慢走过的小猴的身影。我走近去抚摸它的头,它也不逃走,非常温顺。不知为什么总觉得它的背脊竖了起来,摸着它那毫无光泽的毛,我感到十分悲哀。
  ある夜夜ふけての帰り道に芋屋の(かど)まで来ると、路地のごみ箱のそばをそろそろ歩いているおさるの姿を見かけた。近づいて頭をなでてやると逃げようともしないでおとなしくなでられていた。背中がなんとなく骨立っていて、あまり光沢のないらしい毛の手ざわりも哀れであった。

 

   我一边想着女儿出嫁后的情况下父亲的心情,一边穿过月光朦胧的小巷,急匆匆地朝不太远的家中走去。

 娘を片付けて後のある場合の「父」の心を思いながら私は月のおぼろな路地を抜けてほど近いわが家へ急いで行った。

 

   对于猫,我感到了纯粹而热烈的爱情,对人类不能抱一抱它而感到遗憾。由于这样的事情是有可能的,我认为存在比人类更高的感情也许是必要的。不过那又是无论如何不可能的,假如到了那可以实现的时候,我恐怕一定会感受到超人的孤独和悲哀。作为凡人的我,也喜爱小猫,而且作为人类,对它更怀有尊敬、亲近、害怕,顾忌,或许只有憎恶除外。

(大正十二年一月,女性)
 私は(ねこ)に対して感ずるような純粋なあたたかい愛情を人間に対していだく事のできないのを残念に思う。そういう事が可能になるためには私は人間より一段高い存在になる必要があるかもしれない。それはとてもできそうもないし、かりにそれができたとした時に私はおそらく超人の孤独と悲哀を感じなければなるまい。凡人の私はやはり子猫でもかわいがって、そして人間は人間として尊敬し親しみ恐れはばかりあるいは憎むよりほかはないかもしれない。

(大正十二年一月、女性)

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