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初秋一日  夏目漱石

(2014-10-13 11:05:38)
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夏目漱石

游记

日本散文

分类: 日本随笔

初秋一日

夏目漱石

翻译:王志镐

  正从火车车窗瞧着那靠不住的天空,便开始下起雨来。那是蒙蒙细雨,与其说是雨,不如说是一派草木被淋湿的景象印入了我的眼帘。三个人担心这时节的天气,都准备了橡皮的雨披。虽然这会有帮助,却断然不能让大伙儿的脸上高兴起来。他们从那冷清的天气推断,想象到两天后将是昏暗的夜景。

 

 汽車の窓から怪しい空を覗(のぞ)いていると降り出して来た。それが細(こま)かい糠雨(ぬかあめ)なので、雨としてよりはむしろ草木を濡(ぬ)らす淋(さび)しい色として自分の眼に映った。三人はこの頃の天気を恐れてみんな護謨合羽(ゴムがっぱ)を用意していた。けれどもそれがいざ役に立つとなるとけっして嬉(うれ)しい顔はしなかった。彼らはその日の佗(わ)びしさから推(お)して、二日後(ふつかご)に来る暗い夜(よる)の景色を想像したのである。

 

  “十三日如果下雨就坏了。”O君一个人自言自语地说。

  “由于这样的天气,病人当然要增加了。”我也无精打采地回答。

  Y君沉湎于阅读在月台前买的报纸,一句话也不说。雨不知什么时候下大了,窗户玻璃上开始看到四溅的露珠般的雨滴。在娴静的车厢里,我想起了那一年英国爱德华皇帝出葬时发生了五千人昏倒的事情。

 

「十三日に降ったら大変だなあ」とOが独言(ひとりごと)のように云った。

「天気の時より病人が増えるだろう」と自分も気のなさそうに返事をした。

 Yは停車場(ステーション)前で買った新聞に読み耽(ふけ)ったまま一口も物を云わなかった。雨はいつの間(ま)にか強くなって、窓硝子(まどガラス)に、砕けた露(つゆ)の球(たま)のようなものが見え始めた。自分は閑静な車輛(しゃりょう)のなかで、先年英国のエドワード帝を葬(ほうぶ)った時、五千人の卒倒者を出(いだ)した事などを思い出したりした。

 

  从下了火车,乘人力车时开始,我便感到了秋意的强劲。从车篷之间看出去,人力车前面的山峦绿色尽染。在青山中凿开的道路上,载着三人的人力车正静静地走着。车夫既不穿草鞋也不穿布袜的赤脚踏在柔软的土路上,用腰部力量拉着人力车,踮着脚尖往上坡走。于是从封锁左右遍布的芒草根部可以听到爽朗的虫鸣声,它胜过了敲打在车篷上的雨滴声,当它在我的耳边高高响起时,我在那无边无际的虫鸣声的带领下,想象着那无穷尽的芒草丛中眼所不及的远处。由此尤其感到自己就是此刻被包围着的秋天的代表者。

 

 汽車を下りて車に乗った時から、秋の感じはなお強くなった。幌(ほろ)の間から見ると車の前にある山が青く濡(ぬ)れ切っている。その青いなかの切通(きりどお)しへ三人の車が静かにかかって行く。車夫は草鞋(わらじ)も足袋(たび)も穿(は)かずに素足(すあし)を柔かそうな土の上に踏みつけて、腰の力で車を爪先上(つまさきのぼ)りに引き上げる。すると左右を鎖(とざ)す一面の芒(すすき)の根から爽(さわや)かな虫の音(ね)が聞え出した。それが幌(ほろ)を打つ雨の音に打ち勝つように高く自分の耳に響いた時、自分はこの果(はて)しもない虫の音(ね)に伴(つ)れて、果しもない芒の簇(むらが)りを眼も及ばない遠くに想像した。そうしてそれを自分が今取り巻かれている秋の代表者のごとくに感じた。

  在这苍茫的秋色之中,三个人还发现了红红的鸡冠花。在那鲜艳的花朵旁边是路旁小茶棚的板条屋。长板凳上面堆积着晾晒的豆壳。到处可见洁白的花,我想是木槿吧。

 

 この青い秋のなかに、三人はまた真赤(まっか)な鶏頭(けいとう)を見つけた。その鮮(あざ)やかな色の傍(そば)には掛茶屋(かけぢゃや)めいた家があって、縁台の上に枝豆の殻(から)を干したまま積んであった。木槿(むくげ)かと思われる真白な花もここかしこに見られた。

 

  不一会儿,车夫放下了车把。我们从昏暗的车篷中走出来,在高高的石阶上看见草顶小屋的山门。0君在登上石阶之前,立在门前的稻田边上小便。我为了解手,也马上在他的旁边效颦起来。然后三个人一面先后踏上了潮湿的石阶,一面在写着“典座寮”的标记牌的显眼的厨房那里请人引导,登上了客厅。

 

 やがて車夫が梶棒(かじぼう)を下(おろ)した。暗い幌の中を出ると、高い石段の上に萱葺(かやぶき)の山門が見えた。Oは石段を上(のぼ)る前に、門前の稲田(いなだ)の縁(ふち)に立って小便をした。自分も用心のため、すぐ彼の傍へ行って顰(ひん)に倣(なら)った。それから三人前後して濡れた石を踏(ふ)みながら典座寮(てんぞりょう)と書いた懸札(かけふだ)の眼につく庫裡(くり)から案内を乞(こ)うて座敷へ上った。

 

  与老师相会还是大约二十年前的事情。从东京特意来拜访的我能否与老师见面,在未即席之前马上就明白了,刚才是他把我全忘了。还未与我谈话寒暄时,老师竟然没认出我来,重叙久别之后的陈年旧事,我说这大约有二十年了吧。虽然在二十年后的今天,出现在我眼前的身材矮小的老师与二十年前没有什么大的变化,只是脸色略微变白了,由于年龄的原因,总觉得他的脸上带着亲切感,与我预想的有点不一样,除此之外,他还是从前的那个S禅师。

 

 老師に会うのは約二十年ぶりである。東京からわざわざ会いに来た自分には、老師の顔を見るや否や、席に着かぬ前から、すぐそれと解ったが先方では自分を全く忘れていた。私はと云って挨拶(あいさつ)をした時老師はいやまるで御見逸(おみそ)れ申しましたと、改めて久濶(きゅうかつ)を叙したあとで、久しい事になりますな、もうかれこれ二十年になりますからなどと云った。けれどもその二十年後の今、自分の眼の前に現れた小作(こづく)りな老師は、二十年前と大して変ってはいなかった。ただ心持色が白くなったのと、年のせいか顔にどこか愛嬌(あいきょう)がついたのが自分の予期と少し異(こと)なるだけで、他は昔のままのS禅師であった。

 

 “我马上要到五十二岁了。”

 我听到老师说这话时,看上去就像是小伙子,作为修道僧是很好理解的。说实在的,到现在为止,在我心里老师的年龄估计有六十岁了。可是现在如果才勉勉强强五十一二岁,当初和我相见致礼的时候还是刚超过三十岁的壮年呢。尽管如此,老师是有知识的。从有知识来看,我的眼光看上去是比较老迈的。

 

「私ももう直(じき)五十二になります」

 自分は老師のこの言葉を聞いた時、なるほど若く見えるはずだと合点(がてん)が行った。実をいうと今まで腹の中では老師の年歯(とし)を六十ぐらいに勘定(かんじょう)していた。しかし今ようやく五十一二とすると、昔自分が相見(しょうけん)の礼を執(と)った頃はまだ三十を超(こ)えたばかりの壮年だったのである。それでも老師は知識であった。知識であったから、自分の眼には比較的老(ふ)けて見えたのだろう。

 

  将一起结伴而行的两人介绍给老师,在做完了事先商量好的携锡云游等之后,又闲聊了一会儿,期间老师告诉我们缘切寺的由来,时赖夫人的开基事宜,还解释了为什么住在那样的尼姑庵,许多许多事情。告别时一直送到了玄关,说:“今天好像是二百二十日……”三个人在那二百二十日的雨中,穿越了开辟的山路,向小镇的方向下山。

 

 いっしょに連れて行った二人を老師に引き合せて、巡錫(じゅんしゃく)の打ち合せなどを済ました後(あと)、しばらく雑談をしているうちに、老師から縁切寺(えんきりでら)の由来(ゆらい)やら、時頼夫人の開基(かいき)の事やら、どうしてそんな尼寺へ住むようになった訳やら、いろいろ聞いた。帰る時には玄関まで送ってきて、「今日は二百二十日だそうで……」と云われた。三人はその二百二十日の雨の中を、また切通(きりどお)し越(ごえ)に町の方へ下(くだ)った。

 

  第二天早上,没费事就从高高的二楼上面下来,天也放晴了,只看见梦一般的烟雾缭绕的K镇就在眼下。三个人到达并列着黄包车的停车场时,站台上穿着雨衣的五六个西洋人和日本人正等待着七点二十分的上行列车,无言地徘徊着。

 

 翌朝(あくるあさ)は高い二階の上から降るでもなく晴れるでもなく、ただ夢のように煙るKの町を眼の下に見た。三人が車を並べて停車場(ステーション)に着いた時、プラットフォームの上には雨合羽(あまがっぱ)を着た五六の西洋人と日本人が七時二十分の上り列車を待つべく無言のまま徘徊(はいかい)していた。

 

  在御大葬和乃木大将的记事中,这是在东京都内发行的所有堆满了的报纸上面,从那时起于一天内到次晨发生的事情。

 

 御大葬と乃木大将の記事で、都下で発行するあらゆる新聞の紙面が埋(うず)まったのは、それから一日おいて次の朝の出来事である。

 

 

 

 

 

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