千曲川的素描之一 岛崎藤村
(2014-07-06 15:18:11)
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岛崎藤村情感千曲川日本随笔 |
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その一
学生の家
知久節には、私は二三の同僚と一緒に、御牧ヶ原の方へ山遊びに出掛けた。松林の間なぞを猟師のように歩いて、小松の多い岡の上では大分蕨を採った。それから鴇窪(とぎくぼ)という村へ引返して、田舎の中の田舎とでも言うべきところで半日を送った。
知久节,我和两三个同事一起,朝御牧平原方向的山上去游玩。在神秘的松林间,像猎手似的走着,在布满小松树的山岗上采大分蕨。然后返回了名叫鸨窪的村庄,在农舍中一个无论怎样也称得上农舍的地方呆了半天。
私は今、小諸の城址に近いところの学校で、君と同年位な学生を教えている。君はこういう山の上へ春がいかに待たれて、そしていかに短いものであると思う。四月の二十日頃に成らなければ、花が咲かない。梅も桜も李(すもも)も殆ど同時に開く。城址の懐古園には二十五日に祭りがあるが、その頃が花の盛りだ。すると、毎年きまりのように風雨がやって来て、一時にすべての花を浚(さら)って行って了う。私達の教室は八重桜の樹で囲繞(いにょう)されていて、三週間前ばかり前には、丁度花束のように密集したやつが教室の窓の近く咲き乱れた。休みの時間に出て見ると、濃い花の影が私達の顔にまで映った。学生等はその下を遊び廻って戯れた。殊(こと)に小学校から来たての若い生徒と来たら、あっちの樹に隠れたり、こっちの枝につかまったり、まるで小鳥のように。どうだろう、それが最早(もう)すっかり初夏の光景に変わって了った。一週間前、私は昼の弁当を食った後、四五人の学生と一緒に懐古園へ行って見た。荒廃した、高い石垣の間は、新緑で埋れていた。
目前,我在靠近小诸古城旧址的学校,教与您同样年龄的学生。我想,您在这样的山上无论怎样等待着春天,都会感到春天是如何短暂。不到四月二十日前后,花是不会开的。梅花,樱花,李花(李子)几乎同时开放。在古城旧址的怀古园举行了二十五日的祭典,这个时节是花的盛期。于是,一旦每年惯例的风雨来到,一时间所有的花都凋零了,一切都结束了。我们的教室被八重樱树围绕着,三个星期前,如同花束般的密集的花蕾在教室的窗前怒放,休息时出去一看,浓浓的花影映衬着我们的脸颊,学生们在树下游戏玩耍。就连小学校低年级学生也来了,有的藏在这边的树荫里,有的抓住那边的枝桠,简直像小鸟一样。一个星期之前,我吃过中午饭的便当,便与四五个学生一起去怀古园瞧瞧。荒芜的高大石墙之间,长满了新生的绿草。
私の教えている生徒は小諸町の青年ばかりでは無い。平原(ひらはら)、小原(こはら)、山浦、大久保、西原、滋野(しげの)、その他小諸附近に散在する村落から、一里も二里もあるところを歩いて通って来る。こういう学生は多く農家の青年だ。学校の日課が済むと、彼らは各自家路を指して、松林の間を通り鉄道の線路に添い、あるいは千曲川の岸に随(つ)いて、蛙(かわず)の声などを聞きながら帰って行く。山浦、大久保は対岸にある村々だ。牛蒡、人参などの好い野菜を出す土地だ。滋野は北佐久の領分でなく、小県(ちいさがた)の傾斜にある農村で、その附近の村々から通ってくる学生も多い。
我教的学生不止是小诸镇的青年。有的来自平原,小原,山浦,大久保,西原,滋野,从这些散落在小诸镇附近的村落,步行一二里地的光景就可以到达这里。这些学生大多是农家子弟。他们白天在学校上完了课,就各自朝自家的路走去,他们或者沿着穿过松树林的铁道,或者沿着千曲河岸,一边听着蛙鸣,一边走回家去。山浦,大久保是就在对岸的村落。那里是牛蒡,人参等上好蔬菜的出产地。滋野不是北佐久的领地,而是位于小县的有倾坡的乡村,从那附近的村落来上学的学生很多。
ここでは男女(なんにょ)が烈しく労働する。君のように都会で学んでいる人は、養蚕休みなどということを知るまい。外国の田舎にも、小麦の産地などでは、学校に収穫(とりいれ)休みというものがあるとか。何かの本でそんなことを読んだことがあった。私達の養蚕休みは、それに似たようなものだろう。多忙(いそが)しい時季が来ると、学生でも家の手伝いをしなければ成らない。彼等は又、少年の時からそういう労働の手助けによく慣らされている。
这里的男人女人都要参加繁重的体力劳动。像您那样在都市学习的人,不会知道诸如养蚕假之类的事情。外国的农村,如小麦产地都等,学校在收获期间也有休假吧,我曾在哪本书中读到过这样的事情。我们的养蚕假,就是与此类似的假期。一到农忙季节,学生必须回家帮忙。他们从小就习惯了在这样的劳动中帮一把手。
Sという学生は小原村から通って来る。ある日、私はSの家を訪ねることを約束した。私は小原のような村が好きだ。そこは生々とした樹蔭(こかげ)が多いから。それに、小諸からその村へ通う畠の間の平かな道も好きだ。
名叫S的学生来自小原村。有一天,我和他约好去他家拜访。我对小原村那样的村庄很喜欢,因为那里有许多郁郁葱葱的树丛。另外,还喜欢从小诸镇通向该村的田间平坦的小道。
私は盛んな青麦の香を嗅ぎながら出掛けて行った。右にも左にも麦畠がある。風が来ると、緑の波のように動揺する。その間には、麦の穂の白く光るのが見える。こういう田舎道を歩いて行きながら、深い谷底の方で起る蛙の声を聞くと、妙に私は圧(お)しつけられるような心持に成る。可怖(おそろ)しい繁殖の声。知らない不思議な生物の世界は、活気づいた感覚を通して、時々私達の心へ伝わって来る。
我闻着茂盛的绿油油的小麦发出的清香,出门上了路。右边是麦田,左边也是麦田。春风吹来,绿波荡漾。在这田间,可以看见麦穗上白泽的光芒。我一边在这乡间的小道上步行,一边听着深邃的峡谷方向传来的蛙鸣,按捺不住心中的喜悦之情。这是惊人的繁殖之声,这是不为人所知的不可思议的生物世界,通过充满活力的感觉,不时向我们的心头传来。
近頃Sの家では牛乳屋を始めた。可成(かなり)大きな百姓で父も兄も土地では人望がある。こういう田舎へ来ると七人や八人の家族を見ることは別にめずらしくない。十人、十五人の大きな家族さえある。Sの家では年寄から子供まで、田舎風に慇懃な家族の人達が私の心を惹(ひ)いた。
近来S家创办了养牛场,不愧是大家族,父兄们都有土地,是德高望众的人家。到这样的农舍来,看到拥有七,八人的家族是不希奇的,还有十人,十五人的大家族。S家从老人到小孩,都是乡村打扮的殷勤家族里的人,使我心仪不已。
君は農家を訪れたことがあるか。入口の庭が広く取ってあって、台所の側から直(じか)に裏口へ通り抜けられる。家の建物の前に、幾坪かの土間のあることも、農家の特色だ。この家の土間は葡萄棚などに続いて、その横に牛小屋が作ってある。三頭ばかりの乳牛(ちちうし)が飼われている。
我曾去过农家访问,入口处的庭院占地很宽,从厨房的一侧直接通向后门。家里的房间前面,有几坪左右的土地未铺地板,(一坪=3.3平方米)叫做土间,这是农家的特色。这家的土间与葡萄棚等连着,侧面盖着养牛的小屋,仅养着三头乳牛。
Sの兄は大きなバケツを提げて、牛小屋の方から出て来た。戸口のところには、Sが母親と二人で腰を曲めて、新鮮な牛乳を罎詰にする支度をした。暫時(しばらく)、私は立って眺めていた。
S的哥哥提着硕大的牛奶桶从养牛的小屋那里出来。S的母亲和其他两人在门口弯着腰,准备将新鲜牛奶装罐。我暂且站在那儿看着。
やがて私は牛小屋の前で、Sの兄から種々な話を聞いた。牛の性質によって温順しく乳を搾らせるのもあれば、それを惜むのもある。アバレるやつ、沈着(おちつ)いたやつ、いろいろある。牛は又、非常に鋭敏な耳を持つもので、足音で主人を判別する。こんな話が出た後で私はこういう乳牛を休養させる為に西の入りの牧場(まきば)なぞが設けてあることを聞いた。
过了不多会儿,我在养牛的小屋前面听着S的哥哥讲起他们家的各种事情。根据牛的脾气,如果很温顺地让挤牛奶,这样的牛就很值得珍惜。有胡闹的家伙,也有沉静的家伙,各种各样的牛都有。另外,牛有着非常灵敏的耳朵,会根据脚步声判断主人。说了这样的话后,我还听说:为了让这样的乳牛得到休养,还设有从西面进入的牧场。
晩の乳を配達する用意が出来た。Sの兄は小諸を指して出掛けた。
晚上投递的牛奶准备好了。S的哥哥让小诸引路送我回去。
(译于2003年7月)