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幸田露伴  水

(2013-11-16 15:10:00)
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幸田露伴

日本随笔

分类: 幸田露伴专辑

幸田露伴

翻译:王志镐

 

一切味觉若不借助于水,便不能发散其味。人若突然口干舌燥,虽有熊掌鱼翅,又有可用?唯有唾液才能解其味,投其所好,才能为人感知。唾液不存,五味皆成无用之物。唾液由水而成,根据粘蛋白之存在而发粘,其实是弱碱性之水,只含有酶的酵母菌。其中酵母菌只是起帮助消化作用,粘蛋白可以缓和外物的强烈刺激作用,所以让感觉存在。解味并传达给人,其实是水的功力。体内水之用途亦如此。而身外之水也起着解味并传达给人的重大作用。譬如,各种颜色如青黄红黑,毕竟得水之功力而染色素。于是,善染之物,皆因水而论;善味之物;皆因水而品。蜀地之锦著名,宜用蜀水染之,有加茂之水,以京染之名而得以流传。染色工可借水做大。而借美味之水,亦可做得更大。

 

一切の味(あぢはひ)は水を藉(か)らざれば其の味を発する能はず。人若し口の渇くこと甚しくして舌の燥(かわ)くこと急なれば、熊の掌(たなそこ)も魚の腴(あぶらみ)も、それ何かあらん。味は唾液の之を解き之を親ましむるによつて人の感ずるところとなるのみ。唾液にして存せざれば、五味もまた無用のものたらん。唾液は水なり、ムチンの存在によつて粘(ねば)きも、其実は弱アルカリ性の水にして、酵素のプチアリンを含めるのみ。此中プチアリンは消化作用の一助をなすに止まり、ムチンは蓋し外物の強烈の刺激を緩和する為に存せりと覚しく、味を解きて人に伝ふるものは、実に水の力なり。体内の水の用是(かく)の如し。而して身外の水も亦、味を解きて人に伝ふるの大作用をなす。譬へば青黄赤黒の色も畢竟水の力を得て素(しろ)を染むるが如し。水無ければ、絢爛の美、錦繍の文(あや)、竟(つひ)に成らざるなり。こゝに於て善く染むるものは水を論じ、善く味はふものは水を品す。蜀の錦の名あるは、蜀の水の染むるに宜しければなり。加茂の水ありて、京染の名は流るゝなり。染むる者の水に藉(よ)るも亦大なりといふべし。而して味の水に藉る、亦いよ/\大なり。

 

 

在此其中,酒与茶尤其借助水之功力。酒由水之体而构成,茶因水之缘而发力。滩酒其实积酿酒之技巧,精益求精而成,然必得其上佳之水,方得冠名天下,此乃不争事实。酿家之水,确是贵水,爱水,重水,吝啬之水,实有所为也。剑工因造剑而淬之,若水不佳,则屡造屡败。酿家酿制美酒,虽有方法与技术、材料与工具,若水不佳,亦得不到佳酿。制作豆腐虽无酿造之麻烦,但如酒一样,皆因水而成体。故水佳则得佳品;水不佳则不得佳品。京城之袛园豆腐,盖因其水佳而得名。至于茶,其味亦在细微之间。于是,需要水之处,其作用变得更深奥更大。东山氏用园内之清泉,丰臣氏汲水于宇治桥间。予宁可左袒丰臣氏。小泉虽清,或不胜长流之水。坚田祐庵精于品水之味。据说琵琶湖之水,甲处汲之与乙处汲之,经辨别无差错。够得上茶博士之人,确实应如此做也。关于中国西泠之水,天下著名。为士者特此汲之,为文者特此记之,甚多。长江之水,自然又有佳处与不佳处,而郭墓之周边取之甚佳。凡是论水味之书,自唐张又新,庐仝等始,及宋元明清,好事之士,时有撰著。如苏东坡之赏真君泉,葛懒真之赞蓝家井,诗词杂记,多有提及,为数甚多。而在我邦,除乘化亭之书以外,寥寥无几,少有听闻。千氏片桐氏等,以茶技闻名,虽不吝品水,却只面授,并不笔传。故其言散见,未见其书完成。

 

中に就て酒と茶とは殊に水の力に藉る。酒は水に因つて体を成し、茶は水に縁(よ)つて用を発す。灘の酒は実に醸※の技の巧を積み精を極むるによつて成ると雖(いへども)、其の佳水を得るによつて、天下に冠たるに至れるもまた争ふべからず。醸家の水を貴び水を愛し水を重んじ水を吝(をし)む、まことに所以(ゆゑ)ある也。剣工の剣を鍛ひて之を※(さい)するや、水悪ければ即ち敗る。醸家の酒を醸す、法あり技あり材あり具ありと雖、水佳ならざれば遂に佳なるを得ざるなり。豆腐は※醸の事無しと雖、水に因つて体を成すこと猶酒の如し。故に水佳なれば佳品を得、水佳ならざれば佳品を得ず。京の祇園豆腐も蓋し其の水の佳なるによつて名を得るなり。茶に至つては、其味もと至微の間に在り。こゝに於て水に須(ま)つ処のもの甚深甚大なり。東山氏は園内の清泉を用ゐ、豊臣氏は宇治の橋間に汲ましむ。予むしろ豊臣氏に左袒せん。小泉清しと雖、長流或は勝らんなり。堅田の祐菴は水の味を知るに於て精(くは)し。琵琶湖の水、甲処に於て汲む者と乙処に於て汲む者とを弁じて錯(あや)まらざりしといふ。茶博士たるもの、固(まこと)に是の如くなるべき也。支那に於ては西冷の水、天下に名あり。士の特に此を汲むもの、文の特に此を記するもの、甚だ多し。長江の水、おのづから又佳処あり不佳処ありて、而して郭墓(くわくぼ)の辺(あたり)、もつとも佳なるならん。凡そ水味を論ずるの書、唐の張又新(ちやういうしん)、盧仝(ろどう)等より始まりて、宋元明清に及び、好事の士、時に撰著あり。蘇東坡の真君泉を賞し、葛懶真(かつらいしん)の藍家井を揚ぐるが如き、詩詞雑述のこれに及ぶもの、また甚(はなはだ)少からず。我邦に於ては、乗化亭(じようくわてい)の書以外、寥※聞くところ無し。千氏片桐氏等、茶技を以て名あるもの、水を品せざるにあらずと雖、面授して而して筆伝せず。故に其の言散見するありて、其書の完成せる無きならん。

 

正当江户盛世,泉井以外,西有玉川之水,北有绫濑之水。玉川之水,今市民犹据此而活。虽明澄有之,却乏真味。精于味者曰:水管自来水,多有明矾气。绫濑之水,今不堪饮,溷濁汚腐,而昔日地方志对此称道,则不得不怀疑。江户川之水,若久旱无雨,御熊野周边,今犹觉古人之评价不欺我也。然而上游人家渐多,亦渐有绫濑水之忧。好事之人,如就此汲水者,终究为往日一梦而已。利根川之水,“我慢”为甚佳。而“我慢”之义,忍耐是也,以其“流急水快,忍耐方能溯流行舟”之意而命名。地属挖地三尺,乃鬼怒川入利根川、两股水冲击交汇之处也。水品之美,真如赤松氏《利根川图志》所记。予曾数次尝试,山本氏之《清风》虽非为至美者,然其神味陡然增加,痛感灵气沁于心胸。而今鬼怒川之河口,因河身改建,在其以下一里之余,不知“我慢”之水味,是否依旧。

 

 江戸の盛(さかん)なるに当つて、泉井以外、西に玉川の水あり、北に綾瀬の水あり。玉川の水、今猶市民これによりて活く。而れども明澄はこれ有り、真味は乏し。味に精(くはし)き者曰く、水道の水、礬気(ばんき)ありと。綾瀬の水、今は飲むに堪へず、溷濁汚腐、昔日の地志の此を称せしを疑はざるを得ざるなり。江戸川の水、久旱雨無ければ、御熊野の辺、今猶古人の評の我を欺かざるを覚ゆ。然れども上流漸く人家多くして、亦漸く綾瀬のごとくならんとするの虞(おそれ)あり。好事の人の就て汲む者の如き、終(つひ)に往時の一夢たらんのみ。利根川の水、「がまん」甚だ佳なり。がまんは忍耐の義にして、流(ながれ)急に水駛(はや)く、忍耐せざれば舟を溯(さかのぼ)らしむる能はざるを以て名づく。地は三ッ堀に属し、鬼怒川の利根川に入り、両水衝撃滾混して流るゝの処たり。水品の美、真に赤松氏利根川図志の記するところの如し。予かつて数(しば/\)これを試みしに、山本氏の「清風」は茶の至美なる者にあらずと雖、神味頓(とみ)に加はりて、霊気心胸に沁むものあるを覚ゆ。而して今鬼怒川の河口、河身改修によりて下つて一里余に在り、知らず我慢の水の味の旧に依るや否やを。

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