逐字逐句解释,深刻理解课文(三)
(2011-05-16 19:05:14)
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片段心理治疗リズム効き目 |
分类: 综合日语第五册 |
逐字逐句解释,深刻理解课文(三)
庭院与心理治疗
(课文翻译)我想庭院对感情的巨大作用,也许就在于这样的(心理)治疗效果吧。为了达到这个目的,最低限度的必要条件是它们与住宅相连接,哪怕没有特别美丽的风景与极好的眺望条件也无妨。它们足以接纳我们的视线,并有围拢私密空间的自然片段存在。
思うに庭の大きな効用(こうよう)の一つは、このような治癒効果(ちゆこうか)にあるのではないだろうか。そのために最低限り必要なのは、住まいに接(せつ)して、特に美しいものや素晴らしい眺めではなくとも、視線を受けとめてくれるに足る私的に囲われた自然の断片が存在することである。
断片(だんぺん):;きれぎれになった一部分。切れはし。これは私に囲われた庭の一部分、それは自然の一部分がある。少なくとも、私と庭の一部分接して、私の身体や思いは自然の一部分になって、精神や肉体は一つになって、更に美しい風景を眺めるので、とても楽しい。そうして、このような治癒効果にあるのではないだろうか。
(课文翻译)凝视庭院可以使人的心情平和下来,其原因在于,尽管是大自然活动的一些“片段”,但它们与人们日常生活中偶发的喜怒哀乐(无涉),以其独立的规律在活动。我们可以通过感受这些规律,使自己的感情在某种程度上可以相对地变得客观一些。也就是说,在这种场合下,我们的视线被接纳,也就等同于我们的感情被接纳。
由课文内容而想象一下,如果你拥有一小片庭院,那里种着一些花草树木,当你想对它们寄托哀思的时候,不妨想象一下你已故的亲人是如何热爱这些大自然的造物,尽管他们在另一个世界,可是他们从前曾经,现在也在与你一起看着这些树木花草。冬去春来,他们一样为它们的细微变化而倾心。
それを見て心が和む(なごむ)のは、自然の営み(いとなみ)というものが、いかに断片であっても、人間の日常生活の偶発的(ぐうはつ)な喜怒哀楽(きどあいらく)と独立(どくりつ)したリズムを持って動いており、僕たちはそのリズムを感じ取ることで自分の感情をなにがしか相対化(そうたいか)できるからではないか。つまりこの場合、視線を受け止めてくるということは感情を受け止めてくるというのにぼば等しい(ひとしい)。
和む:思わず表情が和む。
営み:自然の営みの変化ははっきり。
感じ取る(かんじとる):危険を感じ取る。
受けとめる:学生の要求を受けとめて、改良案を検討することにした。
等しい:ほとんどないひとしい。
リズム:律動(りつどう)。進行(しんこう)の調子(ちょうし)。生活の一が狂う(くるう)。生活のリズムを感じない人立ちは、魂(たましい)ない人だ。ただ、人間の日常生活に、偶発的なこと多いです。そうして、僕達の喜怒哀楽は変りになている。僕達はそのようなリズムを感じ取ることで、自分の感情をなにがしか相対かできるからではないか。
(课文翻译)当然,这样的功能在庭院外瞭望风景和公共绿地也并非做不到。但是,这就是微妙之处,属于私人领域的庭院和在外面的效果是不同的。这也许是因为我们托付感情一方的意识自然而然是不同的吧。
もちろん、こうした効用(こうよう)は庭の外に遠望(えんぼう)する風景や公共緑地(こうきょうりょくち)にもないことはない。しかし、ここが微妙(びみょう)なところで、私的領域(してきりょういき)である庭とその外とではどうも効きめが違うようだ。
効き目があるのは,効果てきめんである。効き目がないのは,効果がない。私的な領域、たとえば,私の庭、どうして小さいても、樹木が少しても、粗末ても、貧弱ても、私的な領域がある。公園や公共緑地にも眺めがいい。しかしここがひとつ微妙なところで,私的な領域ではない。私の庭に、これを私の亡き親をしのぶよすがとしよう。公園や公共緑地に、どうも効き目が違うようだ。
(课文翻译)通过释放给外部对象的方法来最终治疗的情绪波动,即使不特别严重,但对当事人本人来说,一般都是一种想要隐藏在内心,不想让人知道的高度隐私。因此,为了允许自己释放这样的感情,人们有必要处于一种尽量不受别人干扰,在心理上感到安全和受到保护的环境中。因此,凝望自家庭院便是最为合适的了。不可思议的是,既是对庭院以外的草木寄托感情,其实也不会轻易被别人察觉。不过,且不说那些远离村落的单户独幢房子周围的大自然,就是对公园里的绿地或林荫树释放感情,也总觉得有些难为情。这好像就是人类,至少是都市人的一般心理。
それはたぶん、感情を託(たく)す側の意識が自ずから異なるからだろう。外の対象に投げかけることによって結果的に治癒する感情の波というものは、たいてい、取り立てて深刻なものとは限らぬにせよ、当の本人にとっては他人に知られずに秘めておきた、高度にプライベートな類(たぐい)のものである。だから、そうおした感情の放電を自分に許すためには、人間は他人の干渉(かんしょう)をあたう限り免(まぬか)れた、心理的に安全に保護(ほご)された境地(きょうち)にいる内にあるほうが有利なので、自宅を眺めている状態が一番適(てき)していることになる。不思議なもので、庭の外の草木に感情を託してもそうたやすく他人に悟(さと)られるわけはないのだが、人里(ひとざと)離れた一軒家(いっけんや)の周囲(しゅうい)の大自然ならともかく、公園の緑や街路樹(がいろじゅ)が相手では感情を放電するのがちょっと恥ずかしい、というのが、人間の、少しなくとも都会人の一般的心理であるたしい。
託す(たくす):心情(しんじょう)を詩歌に託す。
異なる:その点が他人とことなるところだ。
投げかける:子どもたちにやさしい視線を投げかける。
免(まぬが)れる:あやういところで死を免れる。
悟(さと)る:あやまちを悟る。
一軒家:野中の一軒家、樹木もない。
恥ずかしい:廊下に立たされて恥ずかしい思いをした。
(つづく)