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综合日语第五册第十二课  岁时记(二)

(2010-10-12 18:32:54)
标签:

渡边淳一

十一月

阴郁

日语综合教程

日本散文

分类: 综合日语第五册

综合日语第五册第十二课  岁时记(二)

翻译:王志镐 


(二)十一月的忧郁

作者介绍:渡边淳一,1933年出生于北海道上砂川镇,小说家。毕业于札幌医大,医学博士。从中学时代起爱好短歌,之后立志于医学和文学。以医生的目光抓住“母亲之死”而写的《死化妆》获得直木奖。其他作品有《小说. 心脏移植》、《紫丁香凋谢的街道》、《雪舞》、还有以植物人安乐死的医学伦理为主题的《神灵的晚霞》等许多著作。

课文翻译:

十一月的北海道阴沉沉的,凄凉而使人阴郁。

不过说到阴郁的天气,并不仅限于十一月。隆冬,大雪整天不断下着,天昏地暗;就连盛夏也有被厚厚的阴云笼罩着的时候。

无论哪个月都有阴暗的日子。

然而,一年之中唯有十一月的阴暗与众不同,只须瞧一眼那涂满铅灰色的天空,就会心灰意冷。

估计那一定是因为,十一月是通向冬季的入口。这个月一结束,冬季就真的来了。这种精神郁闷,使十一月变得越发阴暗、难以忍受。

从前我住在札幌的时候,一到十一月就会心神不定。

刚晴了一天,第二天又笼罩在黑压压的乌云底下,整天冷雨不断。这雨时而会转变成雨夹雪,入夜则气温骤然下降,又下起了雪。

早上,即使天晴了,院子里也被冰霜覆盖着,在那底下,枯萎的草木正在冬眠,看上去就像是一个只有黑白两色的死亡世界。

仅剩的葡萄架朝天而立,当朝阳照射在那黑色的颗粒上时,才知道还残存着活着的东西。花楸树殷红的萌芽是漂浮在天上的唯一色彩。

即使是万里晴空,已失去了秋日的柔和色彩。说起来也是蓝色,不过已接近死人嘴唇的带有灰色的苍白了,全然失去了秋天晴朗天空的透明感。

短暂的放晴之后,又下起了冷雨,并变成了雨夹雪。再次偶尔放晴,第二天却下起了雪。

十一月的天空瞬息万变,令人一刻也不得安心。

一边瞧着那阴暗的、确实临近冬天的天空,一边心里却盼望着:“倒不如早点进入冬天吧!”

假如到了冬天,最好完全进入冬天。原野也好,山上也好,街道也好,最好都彻底被皑皑白雪覆盖。

半途而废、有头无尾可不行!

北国的十一月,正是有头无尾的季节。虽然不指望转暖,不过不时突然见晴,让人抱着或许会放晴这样的期待,却又被一阵冷雨浇了个正着。

好不容易下决心截断对夏天的留恋,却不时反复无常地阳光普照。每当阳光露面,好不容易坚定了的迎接冬天的决心便发生了动摇。

这焦躁的情绪,恰如从已分手的对象那儿偶尔接到一个电话似的。已经决定再也不见面了,却还要发出召唤,惹得人心七上八下的。

不错,十一月一定是“作女”。或是应该叫“恶男”吧?

总之,我讨厌十一月的北海道。虽然我生于兹长于兹,却无法接受十一月。

所以一到这个月份,我就想“去南国走一走。”我宁可到阳光更加明媚、色彩更加丰富的南国街道去走一走。

现在我住在东京,偶尔也回北海道,这种心情却还未改变。十一月的反复无常,如今依然使我坐立不安。

如果有人去北海道,我一定会说“十一月份请不要去。”面对着一点点走近的冬天,我不能容忍那貌似故弄玄虚、实质上却冷酷无情的季节变化。

晴了又雨,雨了又晴,天空昏暗,道路泥泞。这与融雪季节的三月如出一辙。

不过三月尚可饶恕,原因是季节准是在向着春天迈进,与面向冬天的忧郁的十一月截然不同。

无论札幌如何现代化,高楼比比皆是,暖气系统完备,居住环境舒适,可是这种感觉却无改变。自然可不管那一套,每年准时送上那阴暗而使人不爽的季节。

恐怕任何地方都有使人不爽的季节。而只有这个季节,是不应该推荐给初次造访者的。比如说东京,也许梅雨的六月,酷热的八月,就是这样的季节。说到京都,八月份和寒冷彻骨的一二月份是没人喜欢的。

东北和北陆自不用说,说到气候适宜的湘南和山阳道,也一定各有各令人厌烦的季节。

有这样的季节,住在那里的人们无论如何也不喜欢,也许其原因除了住在那里的人之外,谁也不能明白。

(摘自文艺春秋杂志《日本的著名随笔 20 岁月记》)

(二)十一月の憂鬱(ゆううつ)

十一月の北海道は暗い。寒々といて、陰鬱(いんうつ)である。

もっとも陰鬱なのは、なにも十一月にかぎったわけではない。真冬(まふゆ)で、終日(しゅうじつ)、雪の降り続く日も暗いし、真夏にも雨雲(あまぐも)に厚く閉ざされているときもある。

いつの月でも暗い日はある。

だが、一年のうちで、十一月の暗さだけは特別である。鉛色(なまりいろ)でぬりこめられた空を見ているだけで気が滅入(めい)る。

それはおそらく、十一月が冬への入り口であるからに違いない。この月が終わると、間違いなく冬が訪(おとず)れる。その気の重さが、十一月をいっそう暗く、やりきれないものにさせる。

かつて僕が札幌(さっぽろ)に住んでいたころ、十一月になるときまって心が揺れた。

一日、晴れたかと思うと、翌日(よくじつ)はもう低い雲の下、終日冷雨(れいう)が訪れる。それがときに霙(みぞれ)になり、夜からさらに冷え込んで雪になったりする。

朝、晴れていても庭は霜で覆われ、その下で立ち枯れ草木が眠っている。それは白と褐色(かっしょく)だけの、死の世界そのものとも見える。

わずかに葡萄棚(ぶどうだな)が空に向かい、その黒い粒(つぶ)に朝の陽がさすとき、辛(かろ)うじて生きているものが残っているのを知る。ななかまどの赤い芽が、空に浮かぶただ一つの色である。

晴れても空の色には、もう秋のやわらかさはない。蒼といっても、それは死人の唇(くちびる)の灰色がかった蒼に近く、秋空の透明感にはほど遠い。

みじかい晴れ間のあと、また冷雨(れいう)がきて、霙がくる。再(ふたた)び思い出したように晴れた日がきて、翌日(よくじつ)はもう雪に変える。

十一月の空は目まぐるしく動き、いっときといえども安心できない。

暗く、確実に冬へむかう空を見ながら、「いっそ早く、冬になって欲しい」と願った。

冬になるなら、さっかりと冬になるといい。野も山も街も、思い切り白い雪で覆われるといい。もしや、という期待を射抱かせて、また冷雨を浴びせる。

折角、夏への愛着を断ち切ろうと心を決めたのに、ときに気まぐれのように陽光を届ける。それが訪れる度に、ようやく固まった冬を迎える決心が鈍る。

この苛々した気持ちは、あきらめかけた人から、時に電話をかけられるのに似ている。もう別れようと決心がついたのに、その心を弄ぶ(もてあそぶ)ように声をかけてくる。

まさしく、十一月は「悪女」に違いない、あるいは「憎男」というべきか。

ともかく、僕は十一月の北海道は嫌いである。僕が生まれ育った土地ではあるが、十一月だけはいただけない。

この月になると、僕はいつも「南の国へ行きたい」と思った。もっと太陽の明るい、色彩の豊かな南の街へいきたいと願った。

いま東京に住んで、ときに北海道に帰っても、その気持ちは変らない。十一月の定めのなさは、やはりいまも僕を苛立たせる。

北海道に行く人がいると、僕は決まって「十一月だけやめなさい」という。あの一寸刻みみ冬へ向かう、思わせぶりで冷酷(れいこく)な季節の移ろいは許せない。

晴れては降り、降っては晴れる、空は暗く道は汚(よご)れる。それは雪どけどきの三月も同じである。

だが三月のほうはまだ許(ゆる)せる。それは間違いなく季節が春に向かうからだ。冬に向かい、なお陰鬱な十一月とは違う。

この感覚は札幌がいかに近代化し、ビルが立ち並び、暖房(だんぼう)が完備(かんび)し、住みやすくなったとしても変らない。自然はそんなことにかまわず、毎年確実に暗く、重い季節を送り届けてよこす。

そそらくどこの土地にも、感心しない季節というものがあるに違いない。このときだけは、初めて行く人にすすめたくないという季節である。東京でいえば、梅雨の六月とか、酷暑の八月とかがそうかもしれない。京都(きょうと)も八月とか、底(そこ)冷(ひ)えの一、二月は感心しない。

東北や北陸はもちろん、気候のいいといわれる湘南や山陽道にも、それぞれに厭な季節があるに違いない。

その土地に住む人々が、どうして感心しないという季節がある。そしてそれは、その土地に住んだ人にしか、わからないものかもしれない。

(『日本の名随筆 20冬 歳時記』文芸春秋より)

 

 

 

 

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