学生的家(一)
(2009-02-19 18:52:29)
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岛崎藤村日本散文千曲川情感 |
分类: 岛崎藤村专辑 |
その一
知久節には、私は二三の同僚と一緒に、御牧ヶ原の方へ山遊びに出掛けた。松林の間なぞを猟師のように歩いて、小松の多い岡の上では大分蕨を採った。それから鴇窪(とぎくぼ)という村へ引返して、田舎の中の田舎とでも言うべきところで半日を送った。
知久节,我和两三个同事一起,朝御牧平原方向的山上去游玩。在神秘的松林间,像猎手似的走着,在布满小松树的山岗上采大分蕨。然后返回了名叫鸨窪(baowa)的村庄,在农舍中一个无论怎样也称得上农舍的地方呆了半天。
私は今、小諸の城址に近いところの学校で、君と同年位な学生を教えている。君はこういう山の上へ春がいかに待たれて、そしていかに短いものであると思う。四月の二十日頃に成らなければ、花が咲かない。梅も桜も李(すもも)も殆ど同時に開く。城址の懐古園には二十五日に祭りがあるが、その頃が花の盛りだ。すると、毎年きまりのように風雨がやって来て、一時にすべての花を浚(さら)って行って了う。私達の教室は八重桜の樹で囲繞(いにょう)されていて、三週間前ばかり前には、丁度花束のように密集したやつが教室の窓の近く咲き乱れた。休みの時間に出て見ると、濃い花の影が私達の顔にまで映った。学生等はその下を遊び廻って戯れた。殊(こと)に小学校から来たての若い生徒と来たら、あっちの樹に隠れたり、こっちの枝につかまったり、まるで小鳥のように。どうだろう、それが最早(もう)すっかり初夏の光景に変わって了った。一週間前、私は昼の弁当を食った後、四五人の学生と一緒に懐古園へ行って見た。荒廃した、高い石垣の間は、新緑で埋れていた。
目前,我在靠近小诸城址的学校,教与您同样年龄的学生。我想,您在这样的山上是如何等待着春天,就越发感到春天是如何短暂。不到四月二十日前后,花是不会开的。梅花,樱花,李花(李子)几乎同时开放。在城址的怀古园举行了二十五日的祭典,这个时节是花的盛期。于是,一旦每年惯例的风雨来到,一时间所有的花都凋零了,一切都结束了。我们的教室被八重樱树围绕着,三个星期前,如同花束般的密集树枝在教室的窗前百花怒放,休息时出去一看,浓浓的花影映衬着我们的脸颊,学生们在树下游戏玩耍。就连小学校低年级学生也来了,有的藏在这边的树影里,有的抓住那边的树枝,简直像小鸟一样。一个星期之前,我吃过中午饭的便当,便与四五个学生一起去怀古园瞧瞧。荒芜的高大石墙之间,长满了新生的绿草。
私の教えている生徒は小諸町の青年ばかりでは無い。平原(ひらはら)、小原(こはら)、山浦、大久保、西原、滋野(しげの)、その他小諸附近に散在する村落から、一里も二里もあるところを歩いて通って来る。こういう学生は多く農家の青年だ。学校の日課が済むと、彼らは各自家路を指して、松林の間を通り鉄道の線路に添い、あるいは千曲川の岸に随(つ)いて、蛙(かわず)の声などを聞きながら帰って行く。山浦、大久保は対岸にある村々だ。牛蒡、人参などの好い野菜を出す土地だ。滋野は北佐久の領分でなく、小県(ちいさがた)の傾斜にある農村で、その附近の村々から通ってくる学生も多い。
我正在教的学生都是小诸镇的青年。平原,小原,山浦,大久保,西原,滋野,从这些散落在小诸镇附近的村落,步行一二里地的样子就可以到达这里。这些学生大多是农家子弟。他们白天在学校上完了课,就各自朝自家的道路走去,他们或者沿着穿过松树林的铁道,或者沿着千曲河岸,一边听着蛙鸣,一边走回家去。山浦,大久保就在对岸的村落。那里是牛蒡,人参等上好蔬菜的出产地。滋野不是北佐久的领地,而是本县倾斜山坡的农村,从那附近的村落来上学的学生很多。
ここでは男女(なんにょ)が烈しく労働する。君のように都会で学んでいる人は、養蚕休みなどということを知るまい。外国の田舎にも、小麦の産地などでは、学校に収穫(とりいれ)休みというものがあるとか。何かの本でそんなことを読んだことがあった。私達の養蚕休みは、それに似たようなものだろう。多忙(いそが)しい時季が来ると、学生でも家の手伝いをしなければ成らない。彼等は又、少年の時からそういう労働の手助けによく慣らされている。
这里的男女都要做繁重的体力劳动。像您一样在都市学习的人,不会知道诸如养蚕假之类的事情。外国的农村,如小麦产地,学校在收获期间也有休假吧,在哪一本书中读到过这样的事。我们的养蚕假,就是与此类似的假期。一到农忙季节,学生必须回家帮忙。他们从小就习惯了在这样的劳动中帮一把手。
Sという学生は小原村から通って来る。ある日、私はSの家を訪ねることを約束した。私は小原のような村が好きだ。そこは生々とした樹蔭(こかげ)が多いから。それに、小諸からその村へ通う畠の間の平かな道も好きだ。
名叫S的学生来自小原村。有一天,我与他约好去他家拜访。我对小原村那样的村庄很喜欢,因为那里有生气勃勃的树木绿荫。另外,还喜欢从小诸镇通向该村的田间的平坦小道。
私は盛んな青麦の香を嗅ぎながら出掛けて行った。右にも左にも麦畠がある。風が来ると、緑の波のように動揺する。その間には、麦の穂の白く光るのが見える。こういう田舎道を歩いて行きながら、深い谷底の方で起る蛙の声を聞くと、妙に私は圧(お)しつけられるような心持に成る。可怖(おそろ)しい繁殖の声。知らない不思議な生物の世界は、活気づいた感覚を通して、時々私達の心へ伝わって来る。
我闻着茂盛的绿油油的小麦发出的清香,出门上了路。右边是麦田,左边也是麦田。春风吹来,绿波荡漾。在这田间,可以看见麦穗上白泽的光芒。我一边在这乡间的小道上步行,一边听着深邃的峡谷方向传来的蛙鸣,按捺不住心中的喜悦之情。这是惊人的繁殖之声,这是不为人所知的不可思议的生物世界,通过充满活力的感觉,时时向我们的心头传来。
近頃Sの家では牛乳屋を始めた。可成(かなり)大きな百姓で父も兄も土地では人望がある。こういう田舎へ来ると七人や八人の家族を見ることは別にめずらしくない。十人、十五人の大きな家族さえある。Sの家では年寄から子供まで、田舎風に慇懃な家族の人達が私の心を惹(ひ)いた。
附近一带,S家从牛奶场开始,不愧是大家族,父兄们都有土地,是德高望众的人家。到这样的农舍来,看到有七,八人的家族是不希奇的,还有十人,十五人的大家族。S家从老人到小孩,都是富有农村风情的殷勤的家族的人,使我心仪不已。
君は農家を訪れたことがあるか。入口の庭が広く取ってあって、台所の側から直(じか)に裏口へ通り抜けられる。家の建物の前に、幾坪かの土間のあることも、農家の特色だ。この家の土間は葡萄棚などに続いて、その横に牛小屋が作ってある。三頭ばかりの乳牛(ちちうし)が飼われている。
我曾去过农家访问,入口处的庭院占地很宽,从厨房的一侧直接通向后门。家里的房间前面,有几坪左右的土地未铺地板,(一坪=3.3平方米)叫做土间,这是农家的特色。这家的土间与葡萄棚等连着,侧面盖着养牛的小屋,仅养着三头乳牛。
Sの兄は大きなバケツを提げて、牛小屋の方から出て来た。戸口のところには、Sが母親と二人で腰を曲めて、新鮮な牛乳を罎詰にする支度をした。暫時(しばらく)、私は立って眺めていた。
S的哥哥提着硕大的牛奶桶从养牛的小屋那里出来。S的母亲和其他两人在门口弯着腰,准备将新鲜牛奶装罐。我暂且站在那儿看着。
やがて私は牛小屋の前で、Sの兄から種々な話を聞いた。牛の性質によって温順しく乳を搾らせるのもあれば、それを惜むのもある。アバレるやつ、沈着(おちつ)いたやつ、いろいろある。牛は又、非常に鋭敏な耳を持つもので、足音で主人を判別する。こんな話が出た後で私はこういう乳牛を休養させる為に西の入りの牧場(まきば)なぞが設けてあることを聞いた。
过了不多会儿,我在养牛的小屋前面听着S的哥哥讲起他们家的各种事情。根据牛的脾气,如果很温顺地让挤牛奶,这样的牛就很值得珍惜。有胡闹的家伙,也有沉静的家伙,各种各样的牛都有。另外,牛有着非常灵敏的耳朵,会根据脚步声判断主人。说了这样的话后,我还听说:为了让这样的乳牛得到休养,还设有从西面进入的牧场。
晩の乳を配達する用意が出来た。Sの兄は小諸を指して出掛けた。
晚上投递的牛奶准备好了。S的哥哥让小诸引路送我回去。
鉄砲虫
この山の上で、私はよく光沢のない茶色な髪の娘に逢う。どうかとすると、灰色に近いのもある。草葺(くさぶき)の小屋の前や、桑畠の多い石垣の側なぞに、そういう娘が立っているさまは、いかにも荒い土地の生活を思わせる。
「小さな御百姓なんつものは、春秋働いて、冬に成ればそれを食うだけのものでごわす。まるで鉄砲虫――食っては抜け、食っては抜け――」
学校の小使が私にこんなことを言った。
烏帽子(えぼし)山麓の牧場
水彩画家B君は欧米を漫遊して帰った後、故郷の根津村に画室を新築した。以前、私達の学校へは同じ水彩画家のM君が教えに来てくれていたが、M君は沢山信州の風景を描いて、一年ばかりで東京の方へ帰って行った。今ではB君がその後を受けて生徒に画学を教えている。B君は製作の余暇に、毎週根津村から小諸まで通って来る。
水彩画家B君从欧美漫游回来后,在故乡的根津村新建了画室。从前,在我们学校曾有过同样是水彩画家的M君前来执教,M君画过沢山信州的风景,仅教了一年就回东京去了。现在,由B君在他之后收徒教画。B君在创作之余的空暇时间,每周从根津村来小诸镇。
土曜日に、私はこの画家を訪ねるつもりで、小諸から田中まで汽車に乗って、それから一里ばかり小県の傾斜を上った。
星期天,我打算拜访这位画家,从小诸镇乘火车去根津村田中家,然后走一里路爬上本县的斜坡。
根津村には私達の学校を卒業したOという青年が居るOは兵学校の試験を受けたいと言っているが、最早一人前の農夫として恥ずかしからぬ位だ。私はその家へも寄って、Oの母や姉に逢った。Oの母は肥満した、大きな体格の婦人で、赤い艶々とした頬の色なぞが素撲(そぼく)な快感を与える。一体千曲川の沿岸では女がよく働く、随って気象も強い。恐らく、これは都会の婦人ばかり見慣れた君なぞの想像もつかないことだろう。私は又、この土地で、野蛮な感じのする女に遭遇(であ)うこともある。Oの母にはそんな荒々しさが無い。何しろこの婦人は驚くべき強健な体格だ。Oの姉も労働に慣れた女らしい手を有っていた。
根津村住着从我们学校毕业的某青年,他说想接受士兵学校的考试,最初,在人面前作为一介农夫,是感觉很羞耻的事情。我顺便去过他家,遇到过他的母亲和姐姐。他的母亲是个很肥胖的,体格巨大的女人,红艳艳的脸庞,给人一种朴素的感觉。究竟为什么千曲河沿岸的妇女由于经常劳动,因此气色也好?也许见惯了都市妇女的您是无法想象的。不过我还在这片土地上遭遇过感觉十分野蛮的女人。他的母亲倒没有这样的粗野感觉,这个女人有着多么惊人的强健体格啊!他的姐姐也是个习惯于劳动的女人,很能干。
私はB君や、B君の隣家の主人に誘われて、根津村を見て廻った。隣家の主人はB君が小学校時代からの友達であるという。パノラマのような風光は、この大傾斜から擅(ほしいまま)に望むことが出来た。遠くの谷底の方に、千曲川の流れて行くのも見えた。
我应B君以及B君的邻居邀请,到根津村去转转看看。据说,邻居家的主人是B君小时候的朋友。全景画似的景色,从这大斜坡上可以尽情了望。远处的谷底方向,可以看见千曲河在蜿蜒流淌。
私達は村はずれの田圃道を通って、ドロ柳の若葉のかげへ出た。谷川には鬼芹(おにぜり)などの毒草が茂っていた。小山の裾を選んで、人とも草の上に足を投出した。そこでB君の友達は提げて来た焼酎を取出した。この草の上の酒盛の前を、時々若い女の連れが通った。草刈に行く人達だ。
我在村子尽头的田圃小路上通过,在河柳的嫩叶树影下穿过。谷底河边茂盛地长着鬼芹等毒草。我选中了山脚下的一处地方,一行人在草地上歇了脚,B君的朋友在这里取出了带来的烧酒。在这草地上摆开的酒席前,不时有年轻的女人相伴走过,她们是去刈草的。
B君の友達は思出したように、
「君とここで鉄砲を撃ちに来て、半日飲んでいたっけナ」
と言うと、B君も同じように洋行以前のことを思出した調子で、
「もう五年前だ――」
B君的朋友像突然想起似的说:
“与您一起在这儿就遭到了蝗虫的袭击,请您喝半天酒呢!”
这么一说,B君似乎同样想起了留学以前的事情,说:
“已经是五年前的事了……”
と答えた。B君は写生帳を取出して、灰色なドロ柳の幹、風に動くそのやわらかい若葉などを写し写し話した。一寸散歩に出るにも、この画家は写生帳を離さなかった。
这么说着,B君拿出了写生簿,一边画着这些灰色的河柳的枝干,被风吹动的柔软的嫩叶,一边与我们说话。我去散了一会儿步,这个画家都没离开过写生簿。
翌日は、私はB君と二人ぎりで、烏帽子ヶ岳の麓を指して出掛けた。私が牧場のことを尋ねたら、B君も写生かたがた一緒に行こうと言出したので、到頭私は一晩厄介に成った。尤も、この村から牧場のあるところへは、さらに一里半ばかり上がらなければ成らない。案内なしに、私などの行かれる場処では無かった。
翌日,我与B君一起出门朝黑帽山麓方向走去。我询问了牧场的事情,B君说顺便去写生,一起去吧。到头来我们这一晚遇到了麻烦。尤其是开始说从该村到有牧场只有一里半,可实际上并非如此。因为没有向导,我们要去的地方无法寻找。
夏山――山鶺鴒(やませきれい)――こういう言葉を聞いただけでも、君は私達の進んで行く山道を想像するだろう。「のっぺい」と称する土は乾いていて灰のよう。それを踏んで雑木林の間にある一条の細道を分けて行くと、黄勝なすずしい若葉のかげで、私達は旅の商人に逢った。
你也许听说过夏山——山鶺鴒——之类的故事,你就可以想像到我们前进方向走过的山路。被称作“平板”的又干又黑的土,踏着它沿着杂木林中间的一条小道穿行而过,嫩黄而清澈的嫩叶丛中,我们与商旅客不期而遇。
更に山深く進んだ。山鳩なぞが啼いていた。B君は歩きながら飛騨の旅の話を始めて、十一という鳥を聞いた時の寂しかったことを言出した。「十一……十一……十一……」とB君は段々声を細くして、谷を渡って行く鳥の啼声を真似て聞かせた。そのうちに、私達はある岡の上へ出て来た。
向山谷的更深处进发。山鸠在啼叫,B君边走边开始说起飛騨之旅。当听到名叫十一的鸟时,孤独之感便一扫而尽。随着B君模仿的一声声鸟叫“十一……十一……十一……”,真的听到了对岸传来的鸟叫声。这时候,我们从某个山岗上走了出来。
君、白い鈴のように垂下がった可憐な草花の一面に咲いた初夏の光に満ちた岡の上を想像したまえ。私達は、あの香気(かおり)の高い谷の百合がこんなに生えている場処があろうかとは思いもよらなかった。B君は西洋で、この花のことを聞いて来て、北海道とか浅間山脈とかにあるとは知っていたが、なにしろあまり沢山あるので終には採る気もなかった。二人とも足を投出して草の中に寝転んだ。まるで花の臥床(しとね)だ。谷の百合は一名を君影草(きみかげそう)とも言って、「幸福の帰来」を意味するなどと、花好きなB君が話した。
你想象一下,一面是像白色的铃铛那样下垂的可爱的花草,一面是绽放的初夏的阳光洒满山岗,我们连想都没想过会有香气扑鼻的高原峡谷的百合花那样生气勃勃的场面。B君在西洋听见过这种花的由来,北海道也好,浅间山脉也好,知道那里会有这种花,但无论怎么说也太多了,多得使人没想到要采。两个人歇下脚来,在草丛中躺了下来,完全淹没在花的卧铺中。说起谷底的百合,喜欢花的B君说,有一种叫君影草,意思是“幸福回来”。
話の面白い美術家と一緒で、牧場へ行き着くまで、私は倦むことを知らなかった。岡の上には到るところに躑躅(つつじ)の花が咲いていた。この花は牛が食わない為に、それでこう繁茂しているという。
与说话风趣的美术家一起,一直到走到牧场,我都不感到疲倦。山岗上所到之处开满了杜鹃花。据说因为牛不吃这种花,所以在这里长得特别茂盛。
一周すれば二里あまりもあるという広々とした高原の一部が、私達の眼にあった。牛の群が見える。何と思ったか、私達の方を眼掛けて突進してくる牛もある。こうして放し飼にしてある牛の群の側を通るのは、慣れない私には気味悪く思われた。私達は牧夫の住んでいる方へと急いだ。
转了一圈,两里多宽的高原的一部分便呈现在我们眼前。见到了牛群,牛群意识到什么似的,突然朝着我们的方向奔来。就这样从放养的牛群一侧通过,我闻到一股恶臭,感到很不习惯。我们匆匆地往牧牛人住的方向走去。
番小屋は谷を下りたところにあった。そこへ行く前に沢の流れに飲んでいる小牛、蕨を採っている子供などに逢った。牛が来て戸や障子を突き破るとかで、小屋の周囲には柵が作ってある。年をとった牧夫が住んでいた。僅かばかりの痩せた畑もこの老爺が作るらしかった。破れた屋根の下で、牧夫は私達の為に湯を沸かしたり、茶を入れたりしてくれた。
小屋在山谷下面的地方,我们朝前走的时候,遇到了在溪流边饮水的小牛,还有采蕨的小孩。为了防止牛群撞破小屋的窗户和门,周围埋下了栅栏。年迈的牧牛人就住在这里,只有一小块贫瘠的薄地,看样子是老爷子开垦出来的。在破烂的屋檐下,牧牛人为我们烧了开水,放入了茶叶招待我们。
壁には鋸(のこぎり)、鉈(なた)、鎌の類を入れた「山猫」というものが掛けてあった。こんな山の中までよく訪ねてくれたという顔付で、牧夫は私達に牛飼の経験などを語り、この牧場の管理人から月に十円の手宛を貰っていることや、自分は他の牧場からこの西の入の沢へ移って来たものであることなどを話した。牛は角がかゆい、それでこすりつけるようにして、ものを破壊(こわ)して困るとか言った。今は草も短く、少ないから、草を食い食い進むという話もあった。
屋里墙壁上挂着名叫 “山猫”的工具箱,里面放着锯,劈柴刀,镰刀之类的工具。牧牛人的脸上呈现出一副即使在这样的大山里也经常有人来拜访的表情,向我们说起了饲养牛的经历等事情。他从该牧场的管理人那里每月拿到十元津贴,说自己是从其他牧场,也就是从这西面流入的溪谷那里移居来的。又说牛的犄角发痒,得什么在什么上磨蹭,造成破坏,让人头疼。由于现在的草还又少又短,所以牛们吃着吃着就朝前走了。
牧夫は一寸考えて、見えなくなった牛のことを言出した。あの山間の深い沢を、山の湯の方へ行ったかと思う、とも言った。
牧牛人考虑短浅,说起了已经不见踪影的牛的事情。我们对他说,想朝那山峦之间的深深的峡谷方向走。
「ナニ、あの沢は裾まで下りるなんてものじゃねえ。柳の葉でもこいて食ってら」
こう復た考え直したように、その牛のことを言った。
“什么,那溪谷就在山脚下面的地方呀。那里的柳树叶牛爱吃着哪!”
他又说起了牛的事情,真是一个直脑筋。
間もなく私達は牧夫に伴われて、この番小屋を出た。牧夫は、多くの牛が待っているという顔付で、手に塩を提げて行った。途次(みちみち)私達に向って、「この牧場は芝草ですから、牛の為に好いです」とか「今は木が低いから、夏はいきれていけません」とか、種々な事を言って聞かせた。
不一会儿,我们在牧牛人的陪伴下,走出了小屋。牧牛人的脸上显出一副有许多牛等着他的神情,手里提着里面装着盐巴的口袋。途中他对我们说了各种各样的事情,什么“那个牧场因为有灵芝草,牛很喜欢吃”啦,什么“现在树木还很低矮,活不过夏天”啦。
ここへ来て見ると、人と牛との生涯が殆んど混り合っているかのようである。この老爺は、牛が塩を嘗めて清水を飲みさえすれば、病も癒えるということまで知悉していた。月経期の牝牛の鳴声まで聞き分ける耳を持っていた。
来到这里一看,人和牛的一生几乎混合在一起了。这个老爷子看着牛尝着盐巴喝着清水的样子,就知道牛的病已经治愈了。月经期间母牛的叫唤声,他竖起耳朵就听出来了。
アケビの花の紫色に咲いている谷を越して、復た私達は牛の群の見えるところへ出た。牧夫が近づいて塩を与えると、黒い小牛が先ず耳を振りながらやって来た。つづいて、額の広い、目付の愛らしい赤牛や、首の長い斑(ぶち)なぞがぞろぞろやって来て、「御馳走」と言わないばかりに頭を振ったり尻尾を振ったりしながら、塩の方へ近づいた。牧夫は私達に、牛もここへ来たばかりには、家を懐かしがるが、二日も経てば慣れて、強い牛は強い牛と集り、弱い牛は弱い牛と組を立てるなどと話した。向こうの傾斜の方には、臥(ね)たり起きたりして遊んでいる牛の群も見える……
翻过开着紫红色野木瓜花的峡谷,我们在再次见到牛群的地方走了出来。牧牛人走近去给它们盐巴吃,黑色的小牛犊率先摇着耳朵走了过来。紧跟着的是额头宽宽的面目可爱的红牛,还有头上长着斑点的牛,都一头接一头走过来了。虽说不上是“山珍海味”,它们却一边摇头摆尾,一边向盐巴靠近去。牧牛人对我们说,牛群还刚刚到这里,有点想家,经过两天就习惯了,体力强壮的和体力强壮的集中在一起,体力弱小的和体力弱小的编为一组。对面斜坡的方向,可以看见卧着站着互相戏耍的牛群……
この牧場では月々五十銭ずつで諸方(ほうぼう)の持主から牝牛を預かっている。そういう牝牛が今五十頭ばかり居る。種牛は一頭置いてある。牧夫が勤めの主なるものは、牛の繁殖を監督することであった。礼を言って、私達はこの番人に別れた。
该牧场每月向诸多寄养母牛的主人收取五十钱,这样的母牛现在共有五十头。种牛只有一头。牧牛人为其主人服务,将牛的繁殖置于监督之中。道谢之后,我们告别了这位牧牛人。