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马戏团的马-安冈章太郎(无责任翻译)

(2008-01-29 17:46:03)
标签:

日本小说翻译

安冈章太郎

日语

文学

 

闲来无事

恰逢现在学的教材没有翻译

所以尝试翻译自己喜欢的文

本文选自新编日语教程第6册第21课

话说光把原文打电脑里就用了一天的工夫

简直要了我的命

而且有数处都不太确定

尤其是倒数第5段最后一句话、倒数第2段最后一句话

我就按照我的理解来了

如果有任何错的地方请立刻展开讨论

我先声明这翻译无责任,无责任哦!

不过因为本人语文知识匮乏

所以忠于原著完全没有润色

大概有点不自然吧

当然请不要随便转载原文造成什么纠纷

谢谢合作

以上。


                      第21課 サーカスの馬

                      第21课 马戏团的马

                 安岡章太郎

安冈章太郎

  僕の行っていた中学校は九段の靖国神社の隣にある。

    我上的中学在九段(地名,位于日本东京都千代田区西北部)的靖国神社的隔壁。

  鉄筋コンクリート三階建ての校舎は、そのころモダンで明るく健康的といわれていたが、僕にとってはそれは、いつも暗く、重苦しく、陰気な感じのする建物であった。

    三层的钢筋水泥混凝土的校舍在那个时候被认为是既现代又明亮稳定的,然而对于我来说总觉得是种昏暗,郁闷,阴沉的建筑。

  僕は、全くとりえのない生徒であった。成績は悪いが絵や作文にはずば抜けたところがあるとか、模型飛行機や電気機関車の作り方に長じているとか、らっぱかハーモニカがうまく吹けるとか、そんな特技らしいものは何一つなく、なかでも運動ときたら学業以上の苦手だった。野球、テニス、水泳、鉄棒、などもだが、マラソンのように不器用でも誠実に頑張りさえすればなんとかなる競技でも,中途で休んで落伍してしまう。体操の時間にバスケットボールの試合でもあると、僕は最初からチームの外の四人の邪魔にならぬよう、飛んでくる球をよけながら、両手をむやみに振り回して、「ドンマイ、ドンマイ。」などと、訳も分からず叫んで、どかどかコートの周りを駆け回っていた。おまけに僕は、全く人好きのしないやつであった。地下室の食堂で、全校生徒が黒い長いテーブルについて食事するとき、僕は独りでだれよりも先に、お汁の実のいちばんいいところをさらってしまう、そんなときだけはだれよりもすばしこくなる性質だった。そのくせ食べ方は遅くてきたなく、ソースのついたキャベツの切れ端や飯粒などが僕の立った跡にはいちばん多く残っていた。

    我是完全没有长处的学生。成绩又差,画画呀作文有拔彩的地方啦、模型飞机呀电力机车的制作方法很擅长啦、喇叭啊口琴吹得好啦,像那样的特长一个也没有,在这当中说起运动,比起学习更不擅长。棒球、网球、游泳、单杠等等不说,甚至像马拉松那样即使笨手笨脚只要诚实地努力说不上来就能成的竞技,我也会因为在中途休息而落伍。一到体操时间还有篮球比赛的时候,我从一开始就不想成为队伍中其他四人的累赘,一边躲着飞过来的球,两手胡乱地来回挥着,口里不知为何地叫着“Don't mind、Don't mind”等等,一边毫无顾忌地在赛场周围到处跑。而且我是完全不受人欢迎的家伙。在地下室的食堂,全校学生围着黑色长桌吃饭的时候,我一个人比谁都先把汤里最好的东西盛走,只有在那种时候我才变得比谁都敏捷。尽管如此我的吃法却又慢又脏,沾着酱汁的圆白菜边料呀饭粒什么的残迹在我站的地方总是剩的最多。

  僕はまた、あの不良少年というものでさえなかった。朝礼の後などに、ときどき服装検査というものが行われ、ポケットの中身を担任の先生に調べられるのだが、他の連中は、たばこの粉や、喫茶店のマッチや、けんかの武器になる竹刀のつばを削った道具や、そんなもののか見つかりはしないかと心配するのに、僕ときたら同じびくびくするのでも、全く種が違うのだ。僕のポケットからは、折れた鉛筆や零点の数学の答案に交じって、白墨のでよごれた古靴下、パンの食いかけ、鼻くそだらけのパンカチ、そういった種類の思いがけないものばかりが、ひょいひょいととび出して、担任の清川先生や僕自身を驚かせるのだ。

    我甚至还不是所谓的叫做不良少年的家伙。早会之后常常进行所谓的服装检查,由担任的老师检查口袋里面,别的伙伴担心的是会不会被发现烟灰、茶点的火柴、能成为打架武器的削过的竹刀护手的工具等那样的东西,相反说到我,即使也同样战战兢兢,却是完全不同的种类。从我口袋里找出来的是,混在一起的断了的铅笔呀零分的数学答卷、沾了白炭的又脏又旧的袜子、吃了一半的面包、净是鼻屎的手绢,如此意想不到的种类的东西只是轻巧地从我兜里出现,担当的清川老师和我自己都吓一跳。

  そんなとき、清川先生はもう怒りもせず、分厚い眼鏡の奥から冷たい目つきでじっと僕の顔を見る。すると僕は、悔しい気持ちにも、悲しい気持ちにも、なることができず、ただ心の中をからっぽにしたくなって、目をそらせながら、(まあいいや、どうだって。)と、つぶやいてみるのである。

    那种时候,清川老师也不发火,只是从厚厚的眼镜深处目不转睛地看着我的脸。于是我,悔恨也好,悲伤也好,并没有这样的心情,只是想把心清空,所以一边避开这眼神,一边“算了吧,怎样都好”地嘟囔着。

    教室でも僕は、他の予習をしてこなかった生徒のようにそわそわと不安がりはしなかった。どうせ僕に当てたってできっこないと思っているので、先生は、めったに僕に指名したりはしない。しかし、たまに当てられると僕は必ず立たされた。教室にいては邪魔だというわけか、しばしば廊下に出されて立たされることもあった。けれども僕は、教室の中にいるよりは、かえってだれもいない廊下に一人で出ているほうが好きだった。たまたまドアの内側で、先生がおもしろい冗談でも言っているのか、級友たちの「わっ」という笑い声の上がったりするのが気になることはあったけれど……。そんなとき、僕は窓の外に目をやって、やっぱり、(まあいいや、どうだって。)と、つやいていた。

    即使在教室,我也和其他没预习的学生一样没有慌张或不安的劲头。想着反正绝对不会点到我,因为老师几乎不点我名。但是,偶尔被点到肯定会被罚站。大概是在教室里站着被认为很碍事,老师也常常让我站到走廊里去。不过我比起在教室中反而更喜欢在空无一人的走廊里呆着。偶尔在门后,也会意识到先生或许是讲了有趣的玩笑话,同学们“哇”地笑出来这样的事……。那种时候,我就注视着窗外,还是“算了吧,怎样都好”地嘟囔着。

  校庭は、一周四百メートルのトラックでいっぱいになって。樹木は一本も生えていなかったが、「小路」を一つ隔てた靖国神社の木立が見えた。朝、遅刻しそうになりながら人通りのないその「小路」を、急ぎ足に横切ろうとすると不意に、冷たい、甘いにおいがして、足下に黄色い粒々のくりの花が散っていた。

    校园里一圈足有400米的跑道,树木却一棵也没有长,倒是能看到只隔一条“小路”的靖国神社的树丛。早上眼看就要迟到的时候,打算快走横穿过没有人经过的那条小路时,不经意地感觉到散落在脚下黄色的一粒粒的栗子花的凉凉的甜甜的味道。

  春と秋、靖国神社のお祭りがくると、辺りの様子は一変する。どこからともなく丸太の材木が運び込まれて、あちらこちら積み上げてあるが、それが一日のうちに組み上げられて境内全体が大小さまざまの天幕の布に覆われてしまう。それは僕らにとって「休み」のやってくる前ぶれだ。やがて、オートバイの曲乗りや、楽隊の音や、少女の合唱や、客を呼ぶ声が、参詣人の雑踏に交じって毎日、絶え間なく響き、それらの物音が、土ぼこりにまじった食べ物のにおいの漂う風に送られてくると、校庭で叫ぶ教官の号令の声さえ聞き取れなくなってしまうのだ。そして、教室の校庭に面するすべての窓からは、そうしたテントの街の裏側をすっかり見渡すことができたのである。

    春天和秋天,靖国神社的祭典的时候一到,周围的情况就完全改变。不知从哪运来的圆木到处堆积着,在在寺院内一天之内被编排搭建起来,被大小形色不同的帐篷布覆盖好。那个对于我们来说是“休假”到来的预告。不久,摩托车表演、乐队的音乐、少女的合唱、来客的叫声、参拜人的喧闹混杂在一起,每天不绝于耳,那些响动、尘土夹杂着食物的味道从远处随风飘来,甚至听不清楚校园里喊着的教官的口令声。并且,从教室面对校园的全部窗户都能看到那样的帐篷的街道里侧。

  いつか僕は、目立って大きいサーカス団のテントの陰に、一匹の赤茶色い馬がつながれているのを目に止めた。それは肋骨が透けて見えるほどやせた馬だった。年取っていれらしく、毛並みにもつやがなかった。けれどもその馬の一層大きな特徴は、背骨のちょうどくらの当たる部分がたいそう湾曲してへこんでいることだった。一体、どうしてそんなに背骨がへこんでしまうことになったのか、僕には見当もつかなかったが、それはみるからに、痛々しかった。

    不知何时我的目光停在一匹系在显眼的很大的马戏团的帐篷背后的红褐色的马。那是一匹瘦到能看到突出的肋骨的马。好像上了年纪,毛色也没有了光泽。那匹马最大的特征就是在脊柱正好在对着鞍的地方非常弯曲地凹陷下去。究竟为什么脊柱会凹陷成那样,我虽然不明白,但是每次看到那个都觉得它很可怜。

  自分一人、廊下に立たされている僕に、その馬について、いろいろに考えることが好きになった。彼はたぶん、僕のように怠けて何もできないものだから、曲馬団の親方にひどく殴られたのだろうか。殴った後で親方はきっと、死にそうになった自分の馬を見てびっくりしたに違いない。それで、ああやっと殺しもできないで毎年連れてきては、御客の目につかない裏の方へないでおくのだろう。……そんなことを考えていると僕は黙ってときどき自分のつながれたくりの木のこずえの葉を、首を上げて食いちぎったりしているその馬が、やっぱり、(まあいいや、どうだって。)と、つぶやいているような気がした。

    独自一人在走廊罚站的我,开始喜欢考虑各种各样关于那匹马的事。它大概像我似的因为懒惰什么也做不成,被马戏团的老板非常狠地打过吧?打完它以后老板看到自己这匹快死了般的马一定被吓一跳。所以,因为也不能杀了它,只好每年都带着,把它拴在客人看不到的帐篷里面吧。……一想到那样的事我总觉得那匹默默地,偶尔使劲地仰着脑袋吃与自己拴在一起的栗子树梢上的叶子的马好像在“算了吧,怎样都好”地小声自言自语着。

  実際、僕は何事によらず、ただ眺めていることが好きだったのである。ひなたの縁台にふとんが干してあると僕はその上に寝転びながら、こうしてぽかぽかと暖まりながら一生の月日がたってしまったら、どんなにありがたいだろうと、そんなことを本気で念願する子供だった。学校ではときどき生徒を郊外へ運れていき、そこで木の根を掘ったり、もっこをかついだりすることを教えられたが、そんなときでも僕は、我知らず赤土の上に腰を下ろしてほおつえを突きながら、遠くを流れている大きな川の背にちかちかと日を反射させているありさまを、いつまでも眺めているといったふうだった。「おい、やすおか!」と名前を呼ばれて、清川先生から、「お前は一体、そんな所で何をしているのだ。みんなが一生懸命働いているときに自分一人が休んでいて、それでいいのか。」と、そんなふうに言われても僕は何も答えることがない。別に見ようと思って何かを見ていたわけでも、休もうと思って休んでいたわけでもないのだから。

     实际上,我什么事也没有,只是喜欢远眺。我是那种常常真心地祈愿,假如要是能一边随便躺在向阳的长凳上晒着的被子,一边这样暖和起来,就这么度过一生的岁月,该多么高兴的那样的事的小孩。学校偶尔会把学生带到郊外去,在那里教学生挖掘树根或是担畚箕,即使在那种时候我也是那样的状态,会不知不觉地就在红土堆上蹲下托着腮,始终眺望着在远处流动的大河的河面上反射着的太阳的样子。“喂,安冈!”地被叫着名字,清川老师“你到底在那种地方干什么呢。大家都在拼命努力的时候自己一个人歇着,这样好吗?”即使那样地被说我也什么都不回答。是因为既不是因为特别地想要看而看着什么,也不是因为想要休息才休息。

  「……。」仕方なしに、黙っていると、清川先生の唇は三角形に曲がり、目がいらだたしそうに光って、分厚いてのひらが音をたてながら僕のほっぺたにとんでくる。

    “……”没有办法,沉默着的清川先生的嘴唇曲成三角形,眼睛冒着烦躁的光,厚厚的手掌一边发出声音一边朝我的脸飞来。

  靖国神社の見せ物小屋の周りをぶらつくことにしてもそうだった。もう、そのころの僕らの年ごろでは、いんちきに決まっているろくろ首のお化けや、拳闘対柔道の大試合なんかにたいした興味はない。お祭りで学校は休みになれば、気のきいた連中は日比谷か新宿へレビューか映画を見に行ってしまう。僕だって、どうせ遊ぶのならそっちのほうがいいに決まっていると思うのだ。けれども僕はなんということもなしに境内をあちらこちら人波にもまれながら歩いていた。

    曾经好像在靖国神社的杂耍小屋周围闲逛过。那个时候我们已经处在对于化作成一看就知道是假的怪物啦拳击对柔道的大对决之类的没有兴趣的年龄。祭典的时候学校放假的话,就会和要好的伙伴去日比谷(地名,位于日本东京都千代田区东南部)或新宿(地名,位于日本东京都新宿区西南部)看轻歌舞剧或电影。我觉得无论怎样要玩的话一定是那里比较好。即使如此,我只是无所事事地在院内随着人流到处走着。

  だからその日、僕がサーカスの小屋へ入っていったのも別段、何の理由もなかったのだ。僕はむしろ敷きの床の上に、よごれた湿っぽい座布団を敷いて、熊の相撲や少女の綱渡りなど同じようなことが果てもなく続く芸当を、ぼんやり眺めていた。が、ふと場内を見渡しながら僕は、はっとして目を見張った。……あの馬が見物席の真ん中に引っ張り出されてくるのだ。僕は団長の親方が憎たらしくなった。いくら、ただ食べさせておくのがもったいないからといって、なにもあんなになった馬を見世物にしなくたっていいじゃないか。

    所以那天,我走进马戏团的小屋也没有特别的理由。我宁可在铺着又脏又湿的坐垫的床上,没完没了地发呆地看着狗熊相扑呀少女走钢丝等同样的事。但是,无意中扫视场内的我因惊讶而瞪大了双眼……那匹马被拉到舞台最中央。我开始憎恶起马戏团的老板来。不管怎样,虽说仅仅让它吃东西养着它是浪费,即使什么也不做让变成了那样的马去杂耍好吗?

  馬は、ビロードに金モールの縫い取りのある服を着た男にくつわを引かれながら、申し訳なさそうに下を向いて、あの曲がった背骨をがくがく揺らすぶりながらやって来る。くらも着けずに、今にも針金細工のかごのような胸とおしりとが、ばらばらに離れてしまいそうな歩き方だ。しかし、どうしたことか彼が場内を一回りするうちに、楽隊の音が大きく鳴り出した。と、見ているうちに馬はとことこと走り出した。

    马一边被穿着带金线装饰带刺绣的天鹅绒的样子的衣服的男子牵引着,一边像觉得不好意思似地低着头、颤颤悠悠地摇着那个弯曲的脊柱的样子走来。鞍也没有带着,用一种眼看像金属丝网般的胸和屁股晃晃悠悠地就要分家似的走法。然而,不知怎么趁着它绕场一周的时候,突然乐队开始大奏音乐。于是,马开始碎步快跑起来。

  周りの人は皆、目を見張った。楽隊がテンポの速い音楽をやりだすと、馬は勢いよく駆け出したからだ。すると高いポールの上がっていた曲芸師が、馬の背中に——ちょうどあの弓なりにへこんだ所に——飛びついた。拍手が起こった。

    周围的人都瞪大了双眼。乐队一开始奏节奏快的音乐,马就振奋地跑起来。于是在高高的竹竿上的杂技师向马的背中扑过去——正好落在那个弓形凹陷的地方。掌声响起。

  驚いたことに馬はこのサーカス一座の花形だったのだ。人間を乗せると彼は見違えるほど生き生きした。馬本来の勇ましい活発な動作、そのうえに長年鍛え抜いた巧みな曲芸を見せ始めた。楽隊の音についてダンスしたり、片側の足で拍子をとるように奇妙な歩き方をしたり。後足をそろえて台の上に上がったり……。一体これはなんとしたことだろう。あまりのことに僕はしばらくあっけにとられていた。けれども、思い違いがはっきりしてくるにつれて僕の気持ちは明るくなった。

    令人惊讶的事是马原来是这个马戏团团里的明星。使人起劲得简直认不出来的生气勃勃。马开始展现出原本的生气活泼的动作再加上长年训练出的出众巧妙的杂技。随着乐队的音乐跳舞、用一侧的蹄子打着拍子似的奇妙地走路、聚齐后腿跳上台子……这到底是怎么回事呢。对剩下的事我一直发呆了很久。但是,清楚了一直以来伴随着误解的我的心情变得明朗起来了。

  息を詰めて見守っていた馬が、今火の輪くぐりをやり終わって、やぐらのように組み上げた三人の少女を背中に乗せて悠々と駆け回っているのを見ると、僕は我に帰って一生懸命手をたたいている自分に気がついた。

    看到屏住呼吸凝视着的马,正钻过了火轮,像箭楼般编排搭起的三位少女骑上它的背悠闲地到处跑着,我意识到了自己清醒过来、拼命地拍着手。

 

                                                   

                                                     以上

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