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小松拓也
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Komatsu Takuya
Komatsu Takuya
小松拓也的故事…
130【译文】http://komatsutakuya.com/534
在上海开始的另一场挑战

这次我真的落选了。

但是心情却十分明朗,没有一丝一毫的沮丧。

留在我心里的只有对始终支持着我的歌迷们的感谢之情以及想要报答歌迷们的强烈愿望。

落选的第二天,我离开了在出演节目期间住着的宿舍,搬到了经理的亲戚家里。我以前也在那里住过。

就在这之后的一天,我便开始了在上海的另一场挑战。

和经理一起对各类企业、媒体及相关人群开始了营销、宣传活动。

虽然通过出演”加油!好男儿”获得了一定的知名度,但是退出节目的时候,关于今后的规划、工作等等都还是一张白纸。

如果不能在这儿找到可以让演艺活动得以持续下去的工作或者机会,那么迄今为止的两个月时间便只能成为美好回忆,而我也不得不返回日本。

原本参加超级选秀的目的是想以此作为契机,今后在中国展开演艺活动。所以,从某种意义上讲,也许选秀结束后的那段时期才是最重要的。

再加上原本我在上海即没有经纪公司,也没有人脉,所以状况非常严峻。因为得从零开始开拓自己的市场。

营销宣传活动开展了近一个月,却没有收获。而就在刚开始半个多月的时候,我便开始感到焦虑,开始和经理产生意分歧,并且彼此之间的矛盾日渐表面化。

我们的营销活动的对象大半是本地的日资企业或日本人,但是当初我们没能认识到,从选秀赛所拥有的影响力的角度看,这种做法是导致营销、宣传活动一无所获的重要原因之一。

我们对上海的状况太不了解了。

上海驻在的日本人当中几乎没有人会去看本地的电视节目。

所以那个时候,本地的上海人当中知道我的人很多,但在上海的日本人却没有人知道我的存在。

在上海的日本人认识小松和本地的人认识小松,这之间有半年乃至一年的时间差。而当时就连这点,
我们都没能很好地认识清楚。

待续

Published on 2011年6月15日 3:45 AM。
Filed under: 小松拓也自伝「俺と中国」



130【原文】
上海で始まった第二の挑戦

今度こそ本当に俺はオーディションに落選した。

だが心から晴れ晴れした気持ちだったし悔しさなど微塵もなかった。

俺の心に残ったのは最後まで真剣に俺を応援し続けてくれたファン達への感謝とそれに応えたい強い思いだけだった。

オーディション落選の翌日、俺は番組出演中お世話になった宿舎を離れ以前住ませてもらったマネージャーの親戚の家に引っ越しをする。

そしてその翌日から自分にとって上海での第二の戦いをスタートさせる事になる。

マネージャーと一緒に様々な企業やメディア関係者に営業を開始したのだ。

加油!好男児に出演して一定の知名度を獲得したからと言っても番組降板後のスケジュールや仕事はあの時点で全く決まっていなかった。

ここで芸能活動を続けていける何かしらのきっかけを作る事が出来なければ今までの二ヶ月はただの良い思い出と化してしまい俺は日本に帰らざるを得なくなるだろう。

そもそもオーディションに参加をした目的は中国で芸能活動を展開出来るきっかけ作りが欲しかったからなのだから、オーディション終了後からのあの時期がある意味で一番大変で大切な時期だったのかもしれない。

それに元々所属事務所を含め、俺は上海に一切のパイプやコネもなかったわけだから、ゼロから自分の市場を開拓していかなければならない厳しい状況だった。

その活動は約一ヶ月に及んだのだが当初はなかなか良い反応を周りから得る事が出来ず、半月も過ぎる頃になると次第に焦りを感じた俺とマネージャーの間に細かい意見の食い違いなどから生まれる衝突も目立つようになり出す。

俺達が営業をかけた半分以上は現地の日系企業や日本人相手だったから、実はその事自体がオーディションの影響力を考えると反響の少なさの大きな要因の一つになっていたのだと気付かされるまで俺達二人はこの後もう少し時間を費やしてしまう事になる。

俺達はあまりに上海の状況に疎かったのだ。

上海に駐在している日本人駐在員達でローカルテレビ番組を見ている人間などほぼ皆無だったのだ。

だからあの時期上海ではローカルの上海人はほとんどが俺を知っているのに対して日本人は誰も俺を知らないという現象が生まれていた。

上海にいる日本人が「小松拓也」という人間を一般的に認知するようになるまで約半年から一年のタイムラグがローカルとの間に生まれるのだがあの時期はまだそんな事すらもよく理解していなかった。

つづく

Published on 2011年6月15日 3:45 AM.
Filed under: 小松拓也自伝「俺と中国」
 
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