日本人的唐山大地震观后感

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分类: 唐山大地震观后感 |
国际在线1+1观影团邀请来自不同国家的朋友观看了IMAX电影《唐山大地震》。以下这篇影评是来自日本的吉野绫子女士在观看电影后完成的一篇日语的唐山大地震观后感,由国际在线的网友张伶小姐翻译。国际在线1+1观影团倡导“多一度观电影精彩”,我们将会从来自不同国家的友人视角来探寻电影中的魅力。
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地震の物語かと思っていたら、これはある家族を通じて人間の苦悩が表現されたものだった。確かに災害が起きなければ、多くの人は悲しむことも、人生を変えられることはなかったかもしれない。しかし、これは何も災害に限らない。人と別れる悲しみや、互いにすれちがったり、憎んだり、妬んだり、孤独を感じる寂しさは私たちの生活のあちこちに顔をのぞかせているのだ。
災害で廃墟となった街も再建されて、どんどん発展していくのに、人間の心は壊れたままだ。母は自分を責め続け、息子の愛情を受け入れられない。娘は捨てられたことを許せず、悲しみも癒されない。人間の心のねじれは、その人の一生にも色濃く影を落とす。32年もの長い間、家族は真実を知らないまま、すれちがっていく。
登場人物はそれぞれの思いを内に秘めたまま、多くは語らないがひしひしと伝わってくるものがあった。特に母親の心情を思うと、彼女の人生の重さをも感じるようだった。亡くなった人たちも無念だったにはちがいないが、大切な人を亡くして生きなければならない人もつらい。自分を許せず、幸せになってはいけないと思い日々を送る。娘が生きていると知った時、彼女は嬉しいと思ったにはちがいないが、同時に怖かったとも思う。
翻译:
想起那个关于地震的故事,是通过某个家庭展现了人类的烦恼忧伤。确实,如果没有灾害,那么也许人们就不会有悲伤,人生也不会被改变。但是,悲伤并不仅限于灾害带来的。和某人离别的悲伤,擦肩而过,感受着憎恨,妒忌,孤独于我们的生活处处可见。
灾害过后,在废墟上可以重建家园,可以不断地发展,但是人们心灵的创伤却无法抹平。母亲继续着责备自己,无法接受儿子的爱情。不能原谅自己丢弃了女儿,悲伤也无法痊愈。人们心灵的扭曲,将会烙下一生的阴影。32年间,家里人都不谙真相,擦肩而过。
登场人物都有着自己深藏于内心的秘密,诸多难于启齿的话题一部部为我们揭开。体会着母亲的心情,她的人生也倍感沉重。逝去的人们毫无挂念了,但是失去了重要的人还必须要活下去的人们却是痛苦的。怀揣着不能原谅自己,不能得到幸福的心情度日。当得知女儿还活着的那一刻,内心的喜悦是一定的,但同时却又伴随着一分恐惧。