日本语文法论====摘抄
(2008-10-09 13:00:10)
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助词单语文法述语山田日本杂谈 |
大槻文彦(おおつき?ふみひこ
1847-1928)の文法
こうした状況のなかで、国学以来の伝統的な研究の成果と西洋文法の方法?成果とをたくみに調和させ、一応の体系化に成功したものとして登場したのが、大槻文彦『広日本文典』『同別記』(別記というのは、本文の考証や論拠や余論などを集めたもの)である。これが出版されたのは明治三〇1897年であるが、それ以前明治二二1889年に出た『言海』(第一冊)の巻頭をかざった「語法指南(日本文典摘録)」は、本書のもとの原稿から摘録したものというから、その年までにはおおよそ出来上がっていたものと思われる。本書は、民族語としての国語の統一?標準語の制定に資することをめざし、また、そのための教育用に編まれたものであり、また、辞書の見出し語の品詞表示のためという実用上の目的ももっていたため、<単語とはなんぞや>とか<文とはなんぞや>とかいった本質論はないが、日本語の全体を見渡した上での穏当な結論に達している。
品詞としては、「名詞、動詞、形容詞、助動詞、副詞、接続詞、弖爾乎波(てにをは)、感動詞」の八つの品詞が立てられている。「弖爾乎波」というのは、現行のいわゆる助詞のことだが、これは当時「助詞」という言葉が、いわゆる助動詞をも指すことがあったためらしい。名詞につくもの(格助詞に相当)、用言につくもの(接続助詞に相当)、種々の語につくもの(副助詞?係助詞に相当)、の三類に分けて説明している。終助詞?間投助詞に相当するものは、感動詞の中に入れられている。その他、形容動詞?連体詞が立てられていないなど、細かい点は異なるが、現在の学校文法の基礎はここに築かれた、と言っていい。
従来、「咲く花」「流るる水」のような動詞の連体形も、連体(=形容詞的)修飾語だからということで、品詞としても(動詞の分詞形から転成した)形容詞とする傾向があったが、そうした文の中での職能と語の性質としての品詞とは区別すべきことを明らかにした。また、日本語の形容詞は、活用し単独で述語にもなりうる点で、西欧語の adjectiveと異なっており、同一に考えるべきではないと主張して、「善き?-く?-し」を形容詞の活用として統一したことも重要である。(ただし、述語用法をあまり強調し過ぎるのも危険であろう。形容詞は、「-く?-き(-い)」の連用形?連体形の修飾用法の方が基本的であり、終止形「-し(-い)」の述語用法は二次的だと思われる。それは発生論的に、連用?連体がカ行音で、終止のみがサ行音であることからそう推定されるばかりでなく、古代語や現代語の共時論的な分析(たとえば使用頻度)からもいえることである。)
文の中での職能と品詞との関係については、副詞の扱いの部分ではまだはっきりしないところが残されている。形容詞連用形の副詞法や、時?数を表わす名詞などを、「副詞に用ゐる」とか「変じて副詞となるもの」とか言っているのは、品詞として副詞だとしているのか、用法として副詞的な用法だとしているのか、ややはっきりしないところがある。(はっきりしないのは、じつは副詞の品詞論的扱いが大問題だからだ、というべきかもしれない。単純に文の中での職能と品詞とを峻別して、「雨がいま、ひどく降っている」の「いま」や「ひどく」を名詞や形容詞の副詞法として、副詞ではないとするのが本当にいいのかは、現在でも議論の余地がある。語論と文論との関係というのは、永遠の、最初にして最後の問題なのかもしれない。)
「 -れる・-せる・-たい」など動詞に膠着する接辞を、単語とみなし「助動詞」という一品詞としたことは、現在の学校文法にも受け継がれているわけだが、はやく山田孝雄や松下大三郎が批判したように、理論的には問題である。しかし、実際の動詞の活用表や助動詞の扱いにおいては、述語の法 mood、時 tense、相 voice 等の文法的なカテゴリーを組織的に扱っていて、助動詞を動詞から切りはなしたことがそれほど大きな欠陥にはなっていない。助動詞が動詞?形容詞の直後に配置されている、という点にも注意すべきだろう。こうした点が、のちの橋本進吉や時枝誠記と大きく異なるところである。
<図2>
西洋文典の conjugationと、日本語の「活用」との性格の違いを説き、「助動詞」を立てざるをえないと主張するあたりには、先駆者の「産みの苦しみ」を感じとらざるをえない。西洋語と異なる日本語独自の、述語の複雑な階層的な構造が十分には明らかになっていなかった当時としては、チャンブレン流の活用表が、「活用に活用を生じて、章魚(たこ)の八脚あるに、脚毎に、又、八脚を生ずる如き図」(『別記』自跋)に見えて、修正不可能に思えたとしても、やむをえないことであったと言うべきなのであろう。世の人はとかく「折衷文典」と気軽に言いがちだが、折衷とは、なまなかの業ではないのである。
文章篇(いわゆる構文論にあたる)には、とくに言うべきこともないが、「呼応」の部分には、複文における自動詞?他動詞の呼応、時テンスの呼応、特性副詞の呼応など、おもしろい指摘がある。
なお、国語調査委員会の名で出た『口語法』『同別記』は、実質的には大槻の手になるものである。また、大筋において大槻文法に従いながら、その名詞の格の扱いをはじめ、いくつかの記述を修正し、松下文法への橋渡し的な位置を占めるものとして、三矢重松『高等日本文法』(明治四一1908年)がある。
山田孝雄(やまだ?よしお 1873-1958) の文法
山田孝雄の研究領域は、広範囲にわたり、国語学のみならず国文学?国史学にも及んでおり、まさに「最後の国学者」と呼ぶにふさわしいが、その中でも、中核を占めるのが文法である。富士谷成章(ふじたに?なりあきら)をはじめとする国学の成果を受け継ぎ、スヰートの英文典やハイゼの独文典をも十分に吸収したうえで、豊かな言語事実の分析を基にし、しかも理論的にも整合性の高い、雄大な文法体系を築きあげたのである。主要著書としては、『日本文法論』(明治四一1908年)と『日本文法学概論』(昭和一一1936年)があげられ、口語を扱ったものとしては『日本口語法講義』(大正一一1922年)があるが、主たる関心は文語にあった。
言語の基本的単位である<語>と<文>とに対応して、論も大きく「語論」と「句論」とに分かれる。語論と句論は、それぞれ性質論と運用論とに分けられる。
図3 <山田文法の構成>
文法論─┬─語論─┬─性質論……品詞?下位品詞の分類?記述
│ └─運用論……語の転成?複合 語の位格 語の用法
└─句論─┬─性質論……句の分類(喚体と述体) 下位分類
└─運用論……単文と複文(重文?合文?有属文)
品詞としては、富士谷成章の四分類(名な?装よそひ?挿頭かざし?脚結あゆひ)を受け継ぎながら、「厳密なる二分法」にしたがって、<図4>のように整然と組織した。
図4 <山田文法の語の大分類>
語─┬─観念語─┬─自用語─┬─概念語………体言(代名詞?数詞を含む)
│ │ └─陳述語………用言(形式用言?複語尾を含む)
│ └─副用語………………………副詞(接続詞?感動詞を含む)
└─関係語………………………………………助詞
山田は、大槻の「助動詞」を、「独立してなんらかの思想を代表するもの」としての単語ではないと批判して、正当に動詞(用言)の語形の一部分としての<複語尾>と認定したが、その山田も、助詞は「独立観念を有せざる」にもかかわらず、単語(関係語)と認定した。この不徹底は、ただちに松下大三郎1908(書評)に批判された。それに対して山田は『日本文法学概論』p.397 で、
<図5> (概論p.404)
先の図4にもどって、「自用語」は文の骨子たる主語?述語になるもの、「副用語」は自用語に依存するものである。いわゆる接続詞?感動詞をも、副詞の一種としている。動詞?形容詞、それにいわゆる助動詞にあたる複語尾?形式用言(存在詞)をも含めた「用言」の本質は、<陳述の力>をもつこと、つまり述語になれることだとしている。
山田文法では、いわゆる文論を「句論」と呼ぶが、その句?文を定義するのに「統覚」あるいは「陳述」という用語をもってしたこと、また、句を大きく述体の句と喚体の句に分けたことが、特色としてあげられる。
「文」とは「統覚作用によりて統合せられたる思想が、言語といふ形式によりて表現せられたるもの」であり、「一の句」とは「統覚作用の一回の活動によりて組織せられたる思想の言語上の発表」である。文は句から構成される構成体、句は文を構成する素という関係にあるとされる。単文は一つの句からなる文、複文は二つ以上の句からなる文、というわけである。ここでいう<統覚作用>とは思想の統合作用のことで、一つの思想には一つの統合点があるという考えにもとづいている。この「統覚」と類義的な用語として「陳述」があり、のちに特異な意味をもった文法用語に変身させられるのだが、山田の言う<陳述>は、「述べる= predicateする」という、文字どおりの意味をもった用語として使われているようである。これは「陳述」が文法用語でないということではない。山田は、「陳述」つまり述べることの本質を、いわゆる主語と述語との統合(統覚)に見ているのである。「陳述といふ精神的作用の対象とするものは主位観念と賓位観念との関係といふ現象」である。「用言が陳述をなすに用ゐらるるときの位格」を<述格>と呼び、この陳述の能力のみが言語として表わされるものを論理学でcopulaというが、それにあたるのは、日本語では、「存在詞」(なり?たり、である?だ?ですetc.) だけだという。「述格に立てる語をふつう述語といふ」が、述語としての用言は、ふつう属性(いわゆる語彙的な意味)の面(格としては賓格)をも混一して存するものである、という。
いわゆる文の成分にあたるものは、<語の運用論>のうちの<語の位格>で説かれる。「呼格?述格?主格?賓格?補格?連体格?修飾格」の七種が立てられるが、このうち、「用言の根本的用法は述格に存し、体言の根本的用法は呼格に存す」という。つまり、用言=述格を中心とするのが<述体の句>(いわゆるふつうの文)であり、「妙なる笛の音かな」のように、体言=呼格を中心とするのが<喚体の句>だというのである。述体の句は、さらに説明体?疑問体?命令体の三つに分けられ、主語の人称との関係にも触れられている。喚体の句は、希望喚体と感動喚体とに分けられ、また、述体と喚体との交渉(相互関係?移行関係)にも触れられている。
<句の運用論>において、複文が、二つ以上の句が相集まって一体となった文として扱われる。「花も咲き、鳥も鳴く」のように、前後対等の資格で並立関係(混合的関係)にあるものを「重文」と呼び、「花は咲けども、鳥は鳴かず」のように、対等の資格でしかも合同関係(化合的関係)にあるものを「合文」と呼び、「花の咲く庭が良い」のように、「独立性を奪はれ他の文中に於いて一の語と同じやうに用ゐられ」る附属句(花の咲く)をもち、主従関係にあるものを「有属文」と呼んで、区別している。
山田孝雄の文法研究は、田舎で国語教師をしていた時代に、生徒から出された「は」についての質問に答えられなかったことから始まるという。このエピソードは、たしかに彼の文法研究の特徴をよく伝えている。係結びを中心として、助詞の研究と文の研究とに彼の本領があり、助詞をあくまでも単語だと主張したのも、故なしとしない。
ちなみに、松尾捨治郎『国語法論攷』(昭和一一1936年)は、係り-結びを中軸にして文法論を組織したものとして、注目に値する。また、山田文法に基本的に従いながら、いくつかの修正を試みたものに、安田喜代門『国語法概説』(昭和三1928年)がある。名詞の格や動詞の法の扱い、感動詞や代名詞の品詞論上の位置づけにすぐれたところがある。さらに、いろいろ奇抜な着想を示した三宅武郎の「音声口語法」(『国語科学講座』昭和九1934年)も、山田文法を継承するところがある。
松下大三郎(まつした?だいさぶろう 1878-1935) の文法
松下大三郎は口語文法から出発した。少年の頃読んだ『中等教育日本文典』(落合?小中村共著)とスヰントンの英文典とを比べて、その体系の優劣のはなはだしいのに驚いた彼は、「英米人に日本文典と英和辞典とを与えれば日本の文が作れる」ような、そんな日本文典の完成に任じようと志を立てた。彼には現代の実用が問題であった。始めから、古代語の体系に目を雲らされることなく、現代語の体系化をめざすことができた。山田孝雄との差はここにある。また、先達として大槻文彦もいた。彼はすなおに西洋文典に学びつつ、日本語の現実に立ちむかうことができた。本格的な形態論的体系を構想しえたのである。
言語に「原辞?詞?断句」の三階段があるとし、「詞」を<文の構成部分 parts of speech>としての単語 word と考えることによって、<詞の副性論>という画期的な試みが可能になり、日本語の重要な文法的カテゴリーのほとんどが取り出された。そこには、西欧語にはない日本語独自の、敬語や利益態や題目態などのカテゴリーも、もちろん含まれている。大槻が試みて失敗に終わった理論的体系化に、いちおう成功したのである。
「原辞」とは、接頭辞や接尾辞、それにいわゆる助動詞や助詞のことであり、詞=単語を構成する単位を指す。原辞論は、形態素論であり、語構成論である。「断句」とは、いわゆる文のことであり、したがって、断句論はいわゆる文(構文)論に当たるはずだが、そうはなっておらず、構文論に当たるのは「詞の相関論」である。松下には、文(断句)は単語(詞)の算術的総和に等しいという考えが強く、断句は詞の連なり(連詞)に等しい。詞と断句とを二つの「階段」だと言いながら、両者の質的な違いには無頓着である。断句それ自体の性質を扱う断句論は、実質的にはないに等しい。しかし、その分だけ<詞論>は内容豊かである。原辞論を含めた文法学の部門の構成は次の通りである。
図6 <松下文法の構成>
┌─原辞論………………………………………………………形態素論?語構成論
└─詞論─┬─単独論─┬─詞の本性論……………………品詞?下位品詞の分類
│ └─詞の副性論─┬─相の論……文法的派生体のカテゴリー
│ └─格の論……屈折(語形)のカテゴリー
└─相関論…………………………………………構文論
<詞の本性論>において、品詞としては、「名詞?動詞?副体詞?副詞?感動詞」の五つが立てられる。いわゆる助詞?助動詞は、原辞であって単語=詞ではないから、品詞ではもちろんない(原辞論においてそれぞれ、静助辞?動助辞として扱われる)。松下の言う「動詞」とは、いわゆる動詞のほか、形容詞?形容動詞をはじめ、擬音語?擬態語などの状態副詞をも含めたもので、「叙述性のある」もの、簡単に言えば、主語をとりえて述語になれる品詞である。したがって、たとえば「学生だ」のような名詞述語の形も「名詞性の(変態)動詞」であり、「堂々と」も「選手団が威風堂々と行進する」と言えるから動詞(無活用の象形動詞)だ、ということになる。
<詞の副性論>のうち、<相>とは、「連詞または断句(=文)中における立場に関係しない詞の性能」つまり、文法的な派生のことをいい、<格>とは「断句における立場に関する性能」つまり、屈折(文法的な語形)のことをいう。あるいは、現代言語学の用語で言い換えて、相とはparadigmaticな関係のカテゴリーであり、格とはsyntagmatic な関係のカテゴリーだと言ってもいいかもしれない。
たとえば、動詞の相として、原動(する)と使動(させる)、原動(する)と被動(される)との対立(ヴォイス)とか、「してやる?してもらう?してくれる」のような利益態(やりもらい)とか、「する?した?しよう」の時相、「している?してある」の既然態、「してしまう」の完全動(といったテンス?アスペクト)とか、「すべきだ?していい?してはいけない」などの可然態(ムード)とか、いわゆる尊敬?謙譲を含む尊称や、卑称、荘重態といった敬語関係など、さまざまな文法的カテゴリーが扱われている。
名詞の格と、動詞の格は、<図7?8>のように、整然と組織されている。
<図7?8>
名詞の一般格とは「月明らかなり」「ぼく、パン、食べたよ」など格助辞を伴わないもの(ゼロ格?なまえ格nominative)で、これを主格などと別に立てたのは注目される。
さらに「格の間接運用」として、
「格の実質化(≒名詞化)」:「人との争い」のようなもの、
「提示態」:題目態?係の提示態?特提態など、いわゆる副助詞?係助詞のついたもの、
「感動態」:いわゆる終助詞?間投助詞のついたもの、
「格の含蓄」:いわゆる省略、
の四つが説かれる。
<詞の相関論>(いわゆる構文論)においては、成分の統合?配列?照応の三つが説かれる。<成分の統合>においては、関係自体は「従属と統率の一関係だけ」だとするが、その関係のし方に「主体?客体?実質?修用?連体」の五種があるとし、これは「世界人類に共通普遍の範疇」だという。なお提示態(いわゆる副助詞?係助詞のついた形)はすべて修用語の一種とされる。<成分の配列>では、意識の流れの方向によって正置法と倒置法とがあるという。<成分の間接関係>とは、たとえば「こどもが大きくなる」における「子ども」と「大きく」との関係のことで、その先後=語順は<述語との統合の親疎>に起因するのが原則だが、この原則は<概念の新旧>によって崩されるといい、さらに、題目語(-は)は「旧概念の最も著しいもの」だとも指摘している。たとえば、「日曜日にはあの人を訪ねる」と「あの人は(=をば)日曜日に訪ねる」。最近流行している「情報理論的分析」の先駆である。<成分の照応>としては、係結び法と未然法を説いている。
前述したように、文としての独自性、つまり文の陳述性の研究が手うすなのはさびしいが、狭義のsyntax(統語論)としては、当時の研究の最先端を行っていると言っても過言ではない。
<原辞論>は詞の材料である原辞の性質やその結合を扱う。原辞の分類は<図9>のようになっている。
<図9> (p.47)
このほか、用言や動助辞の活用や、原辞の相関=結合(いわゆる語構成論)を説く。この原辞論と詞論がアメリカ構造言語学流の形態論の先駆をなすことは、すでに指摘されていることだが(森岡健二1965)、それと同時に、論理主義だとする古くからの評価も当たっている。この二つの評価が両立しうるのが松下の特徴なのであって、論理=意味と、形態との一対一的な対応が信じられていた「古き佳き時代の大文典」と言うべきなのである。
口語に関して『日本俗語文典』(明治三四1901年)で新機軸を打ち出した松下も、『標準日本口語法』(昭和五1930年)では、原辞論を中軸にすえて記述し、外見上の組織としては学校文法とたいして変わらないものに見えるが、これは、普及のためのやむをえない妥協だったと言うべきかもしれない。記述のなかみは、体系性を失ってはおらず、豊かである。
こうした状況のなかで、国学以来の伝統的な研究の成果と西洋文法の方法?成果とをたくみに調和させ、一応の体系化に成功したものとして登場したのが、大槻文彦『広日本文典』『同別記』(別記というのは、本文の考証や論拠や余論などを集めたもの)である。これが出版されたのは明治三〇1897年であるが、それ以前明治二二1889年に出た『言海』(第一冊)の巻頭をかざった「語法指南(日本文典摘録)」は、本書のもとの原稿から摘録したものというから、その年までにはおおよそ出来上がっていたものと思われる。本書は、民族語としての国語の統一?標準語の制定に資することをめざし、また、そのための教育用に編まれたものであり、また、辞書の見出し語の品詞表示のためという実用上の目的ももっていたため、<単語とはなんぞや>とか<文とはなんぞや>とかいった本質論はないが、日本語の全体を見渡した上での穏当な結論に達している。
品詞としては、「名詞、動詞、形容詞、助動詞、副詞、接続詞、弖爾乎波(てにをは)、感動詞」の八つの品詞が立てられている。「弖爾乎波」というのは、現行のいわゆる助詞のことだが、これは当時「助詞」という言葉が、いわゆる助動詞をも指すことがあったためらしい。名詞につくもの(格助詞に相当)、用言につくもの(接続助詞に相当)、種々の語につくもの(副助詞?係助詞に相当)、の三類に分けて説明している。終助詞?間投助詞に相当するものは、感動詞の中に入れられている。その他、形容動詞?連体詞が立てられていないなど、細かい点は異なるが、現在の学校文法の基礎はここに築かれた、と言っていい。
従来、「咲く花」「流るる水」のような動詞の連体形も、連体(=形容詞的)修飾語だからということで、品詞としても(動詞の分詞形から転成した)形容詞とする傾向があったが、そうした文の中での職能と語の性質としての品詞とは区別すべきことを明らかにした。また、日本語の形容詞は、活用し単独で述語にもなりうる点で、西欧語の adjectiveと異なっており、同一に考えるべきではないと主張して、「善き?-く?-し」を形容詞の活用として統一したことも重要である。(ただし、述語用法をあまり強調し過ぎるのも危険であろう。形容詞は、「-く?-き(-い)」の連用形?連体形の修飾用法の方が基本的であり、終止形「-し(-い)」の述語用法は二次的だと思われる。それは発生論的に、連用?連体がカ行音で、終止のみがサ行音であることからそう推定されるばかりでなく、古代語や現代語の共時論的な分析(たとえば使用頻度)からもいえることである。)
文の中での職能と品詞との関係については、副詞の扱いの部分ではまだはっきりしないところが残されている。形容詞連用形の副詞法や、時?数を表わす名詞などを、「副詞に用ゐる」とか「変じて副詞となるもの」とか言っているのは、品詞として副詞だとしているのか、用法として副詞的な用法だとしているのか、ややはっきりしないところがある。(はっきりしないのは、じつは副詞の品詞論的扱いが大問題だからだ、というべきかもしれない。単純に文の中での職能と品詞とを峻別して、「雨がいま、ひどく降っている」の「いま」や「ひどく」を名詞や形容詞の副詞法として、副詞ではないとするのが本当にいいのかは、現在でも議論の余地がある。語論と文論との関係というのは、永遠の、最初にして最後の問題なのかもしれない。)
「 -れる・-せる・-たい」など動詞に膠着する接辞を、単語とみなし「助動詞」という一品詞としたことは、現在の学校文法にも受け継がれているわけだが、はやく山田孝雄や松下大三郎が批判したように、理論的には問題である。しかし、実際の動詞の活用表や助動詞の扱いにおいては、述語の法 mood、時 tense、相 voice 等の文法的なカテゴリーを組織的に扱っていて、助動詞を動詞から切りはなしたことがそれほど大きな欠陥にはなっていない。助動詞が動詞?形容詞の直後に配置されている、という点にも注意すべきだろう。こうした点が、のちの橋本進吉や時枝誠記と大きく異なるところである。
<図2>
西洋文典の conjugationと、日本語の「活用」との性格の違いを説き、「助動詞」を立てざるをえないと主張するあたりには、先駆者の「産みの苦しみ」を感じとらざるをえない。西洋語と異なる日本語独自の、述語の複雑な階層的な構造が十分には明らかになっていなかった当時としては、チャンブレン流の活用表が、「活用に活用を生じて、章魚(たこ)の八脚あるに、脚毎に、又、八脚を生ずる如き図」(『別記』自跋)に見えて、修正不可能に思えたとしても、やむをえないことであったと言うべきなのであろう。世の人はとかく「折衷文典」と気軽に言いがちだが、折衷とは、なまなかの業ではないのである。
文章篇(いわゆる構文論にあたる)には、とくに言うべきこともないが、「呼応」の部分には、複文における自動詞?他動詞の呼応、時テンスの呼応、特性副詞の呼応など、おもしろい指摘がある。
なお、国語調査委員会の名で出た『口語法』『同別記』は、実質的には大槻の手になるものである。また、大筋において大槻文法に従いながら、その名詞の格の扱いをはじめ、いくつかの記述を修正し、松下文法への橋渡し的な位置を占めるものとして、三矢重松『高等日本文法』(明治四一1908年)がある。
山田孝雄(やまだ?よしお 1873-1958) の文法
山田孝雄の研究領域は、広範囲にわたり、国語学のみならず国文学?国史学にも及んでおり、まさに「最後の国学者」と呼ぶにふさわしいが、その中でも、中核を占めるのが文法である。富士谷成章(ふじたに?なりあきら)をはじめとする国学の成果を受け継ぎ、スヰートの英文典やハイゼの独文典をも十分に吸収したうえで、豊かな言語事実の分析を基にし、しかも理論的にも整合性の高い、雄大な文法体系を築きあげたのである。主要著書としては、『日本文法論』(明治四一1908年)と『日本文法学概論』(昭和一一1936年)があげられ、口語を扱ったものとしては『日本口語法講義』(大正一一1922年)があるが、主たる関心は文語にあった。
言語の基本的単位である<語>と<文>とに対応して、論も大きく「語論」と「句論」とに分かれる。語論と句論は、それぞれ性質論と運用論とに分けられる。
図3 <山田文法の構成>
文法論─┬─語論─┬─性質論……品詞?下位品詞の分類?記述
│ └─運用論……語の転成?複合 語の位格 語の用法
└─句論─┬─性質論……句の分類(喚体と述体) 下位分類
└─運用論……単文と複文(重文?合文?有属文)
品詞としては、富士谷成章の四分類(名な?装よそひ?挿頭かざし?脚結あゆひ)を受け継ぎながら、「厳密なる二分法」にしたがって、<図4>のように整然と組織した。
図4 <山田文法の語の大分類>
語─┬─観念語─┬─自用語─┬─概念語………体言(代名詞?数詞を含む)
│ │ └─陳述語………用言(形式用言?複語尾を含む)
│ └─副用語………………………副詞(接続詞?感動詞を含む)
└─関係語………………………………………助詞
山田は、大槻の「助動詞」を、「独立してなんらかの思想を代表するもの」としての単語ではないと批判して、正当に動詞(用言)の語形の一部分としての<複語尾>と認定したが、その山田も、助詞は「独立観念を有せざる」にもかかわらず、単語(関係語)と認定した。この不徹底は、ただちに松下大三郎1908(書評)に批判された。それに対して山田は『日本文法学概論』p.397 で、
……助詞は一層それ(引用注:副詞のこと)よりも抽象的形式的になれるものなり。然れども、単語たることを失はず。その単語たることを失はざる所以は、文法上他の品詞と対立するに足る職分、寧ろ、他のものが助けらるゝ地位にありてこれが助くる地位にあるを以てなり。<中略>これを観念よりいへば、助詞は他の補助たるに止まる如くなれど、職能よりいへば、他の語が助詞の助を乞ひてはじめてその地位を保ちうることを見る。されば、これらは、決して他の品詞以下の価値を有するものにあらざるを知るべし。と弁明しているが、この点は、山田自身すぐつづけて、助詞は「用言の活用複語尾と相待ちて」日本民族の思想運用上の様式を網羅していて重要だ、と言っているように、複語尾も同じであるはずで、単語以下の単位でも「他品詞に対立するに足る職分」を持つことは出来るのである。単語以下の単位であることは、「他の品詞以下の価値を有するもの」であることを、必ずしも意味しない。助詞を単語だと主張するためには、もっと別の、形態的独立性などをもってしなければならない。おそらく山田の頭には、英語やドイツ語の単語としての前置詞のイメージとともに、副助詞?終助詞など形態的独立性の高いものが、浮かんでいたのであろう。それはともかく、助詞は<図5>のように分類される。
<図5> (概論p.404)
先の図4にもどって、「自用語」は文の骨子たる主語?述語になるもの、「副用語」は自用語に依存するものである。いわゆる接続詞?感動詞をも、副詞の一種としている。動詞?形容詞、それにいわゆる助動詞にあたる複語尾?形式用言(存在詞)をも含めた「用言」の本質は、<陳述の力>をもつこと、つまり述語になれることだとしている。
山田文法では、いわゆる文論を「句論」と呼ぶが、その句?文を定義するのに「統覚」あるいは「陳述」という用語をもってしたこと、また、句を大きく述体の句と喚体の句に分けたことが、特色としてあげられる。
「文」とは「統覚作用によりて統合せられたる思想が、言語といふ形式によりて表現せられたるもの」であり、「一の句」とは「統覚作用の一回の活動によりて組織せられたる思想の言語上の発表」である。文は句から構成される構成体、句は文を構成する素という関係にあるとされる。単文は一つの句からなる文、複文は二つ以上の句からなる文、というわけである。ここでいう<統覚作用>とは思想の統合作用のことで、一つの思想には一つの統合点があるという考えにもとづいている。この「統覚」と類義的な用語として「陳述」があり、のちに特異な意味をもった文法用語に変身させられるのだが、山田の言う<陳述>は、「述べる= predicateする」という、文字どおりの意味をもった用語として使われているようである。これは「陳述」が文法用語でないということではない。山田は、「陳述」つまり述べることの本質を、いわゆる主語と述語との統合(統覚)に見ているのである。「陳述といふ精神的作用の対象とするものは主位観念と賓位観念との関係といふ現象」である。「用言が陳述をなすに用ゐらるるときの位格」を<述格>と呼び、この陳述の能力のみが言語として表わされるものを論理学でcopulaというが、それにあたるのは、日本語では、「存在詞」(なり?たり、である?だ?ですetc.) だけだという。「述格に立てる語をふつう述語といふ」が、述語としての用言は、ふつう属性(いわゆる語彙的な意味)の面(格としては賓格)をも混一して存するものである、という。
いわゆる文の成分にあたるものは、<語の運用論>のうちの<語の位格>で説かれる。「呼格?述格?主格?賓格?補格?連体格?修飾格」の七種が立てられるが、このうち、「用言の根本的用法は述格に存し、体言の根本的用法は呼格に存す」という。つまり、用言=述格を中心とするのが<述体の句>(いわゆるふつうの文)であり、「妙なる笛の音かな」のように、体言=呼格を中心とするのが<喚体の句>だというのである。述体の句は、さらに説明体?疑問体?命令体の三つに分けられ、主語の人称との関係にも触れられている。喚体の句は、希望喚体と感動喚体とに分けられ、また、述体と喚体との交渉(相互関係?移行関係)にも触れられている。
<句の運用論>において、複文が、二つ以上の句が相集まって一体となった文として扱われる。「花も咲き、鳥も鳴く」のように、前後対等の資格で並立関係(混合的関係)にあるものを「重文」と呼び、「花は咲けども、鳥は鳴かず」のように、対等の資格でしかも合同関係(化合的関係)にあるものを「合文」と呼び、「花の咲く庭が良い」のように、「独立性を奪はれ他の文中に於いて一の語と同じやうに用ゐられ」る附属句(花の咲く)をもち、主従関係にあるものを「有属文」と呼んで、区別している。
山田孝雄の文法研究は、田舎で国語教師をしていた時代に、生徒から出された「は」についての質問に答えられなかったことから始まるという。このエピソードは、たしかに彼の文法研究の特徴をよく伝えている。係結びを中心として、助詞の研究と文の研究とに彼の本領があり、助詞をあくまでも単語だと主張したのも、故なしとしない。
ちなみに、松尾捨治郎『国語法論攷』(昭和一一1936年)は、係り-結びを中軸にして文法論を組織したものとして、注目に値する。また、山田文法に基本的に従いながら、いくつかの修正を試みたものに、安田喜代門『国語法概説』(昭和三1928年)がある。名詞の格や動詞の法の扱い、感動詞や代名詞の品詞論上の位置づけにすぐれたところがある。さらに、いろいろ奇抜な着想を示した三宅武郎の「音声口語法」(『国語科学講座』昭和九1934年)も、山田文法を継承するところがある。
松下大三郎(まつした?だいさぶろう 1878-1935) の文法
松下大三郎は口語文法から出発した。少年の頃読んだ『中等教育日本文典』(落合?小中村共著)とスヰントンの英文典とを比べて、その体系の優劣のはなはだしいのに驚いた彼は、「英米人に日本文典と英和辞典とを与えれば日本の文が作れる」ような、そんな日本文典の完成に任じようと志を立てた。彼には現代の実用が問題であった。始めから、古代語の体系に目を雲らされることなく、現代語の体系化をめざすことができた。山田孝雄との差はここにある。また、先達として大槻文彦もいた。彼はすなおに西洋文典に学びつつ、日本語の現実に立ちむかうことができた。本格的な形態論的体系を構想しえたのである。
言語に「原辞?詞?断句」の三階段があるとし、「詞」を<文の構成部分 parts of speech>としての単語 word と考えることによって、<詞の副性論>という画期的な試みが可能になり、日本語の重要な文法的カテゴリーのほとんどが取り出された。そこには、西欧語にはない日本語独自の、敬語や利益態や題目態などのカテゴリーも、もちろん含まれている。大槻が試みて失敗に終わった理論的体系化に、いちおう成功したのである。
「原辞」とは、接頭辞や接尾辞、それにいわゆる助動詞や助詞のことであり、詞=単語を構成する単位を指す。原辞論は、形態素論であり、語構成論である。「断句」とは、いわゆる文のことであり、したがって、断句論はいわゆる文(構文)論に当たるはずだが、そうはなっておらず、構文論に当たるのは「詞の相関論」である。松下には、文(断句)は単語(詞)の算術的総和に等しいという考えが強く、断句は詞の連なり(連詞)に等しい。詞と断句とを二つの「階段」だと言いながら、両者の質的な違いには無頓着である。断句それ自体の性質を扱う断句論は、実質的にはないに等しい。しかし、その分だけ<詞論>は内容豊かである。原辞論を含めた文法学の部門の構成は次の通りである。
図6 <松下文法の構成>
┌─原辞論………………………………………………………形態素論?語構成論
└─詞論─┬─単独論─┬─詞の本性論……………………品詞?下位品詞の分類
│ └─詞の副性論─┬─相の論……文法的派生体のカテゴリー
│ └─格の論……屈折(語形)のカテゴリー
└─相関論…………………………………………構文論
<詞の本性論>において、品詞としては、「名詞?動詞?副体詞?副詞?感動詞」の五つが立てられる。いわゆる助詞?助動詞は、原辞であって単語=詞ではないから、品詞ではもちろんない(原辞論においてそれぞれ、静助辞?動助辞として扱われる)。松下の言う「動詞」とは、いわゆる動詞のほか、形容詞?形容動詞をはじめ、擬音語?擬態語などの状態副詞をも含めたもので、「叙述性のある」もの、簡単に言えば、主語をとりえて述語になれる品詞である。したがって、たとえば「学生だ」のような名詞述語の形も「名詞性の(変態)動詞」であり、「堂々と」も「選手団が威風堂々と行進する」と言えるから動詞(無活用の象形動詞)だ、ということになる。
<詞の副性論>のうち、<相>とは、「連詞または断句(=文)中における立場に関係しない詞の性能」つまり、文法的な派生のことをいい、<格>とは「断句における立場に関する性能」つまり、屈折(文法的な語形)のことをいう。あるいは、現代言語学の用語で言い換えて、相とはparadigmaticな関係のカテゴリーであり、格とはsyntagmatic な関係のカテゴリーだと言ってもいいかもしれない。
たとえば、動詞の相として、原動(する)と使動(させる)、原動(する)と被動(される)との対立(ヴォイス)とか、「してやる?してもらう?してくれる」のような利益態(やりもらい)とか、「する?した?しよう」の時相、「している?してある」の既然態、「してしまう」の完全動(といったテンス?アスペクト)とか、「すべきだ?していい?してはいけない」などの可然態(ムード)とか、いわゆる尊敬?謙譲を含む尊称や、卑称、荘重態といった敬語関係など、さまざまな文法的カテゴリーが扱われている。
名詞の格と、動詞の格は、<図7?8>のように、整然と組織されている。
<図7?8>
名詞の一般格とは「月明らかなり」「ぼく、パン、食べたよ」など格助辞を伴わないもの(ゼロ格?なまえ格nominative)で、これを主格などと別に立てたのは注目される。
さらに「格の間接運用」として、
「格の実質化(≒名詞化)」:「人との争い」のようなもの、
「提示態」:題目態?係の提示態?特提態など、いわゆる副助詞?係助詞のついたもの、
「感動態」:いわゆる終助詞?間投助詞のついたもの、
「格の含蓄」:いわゆる省略、
の四つが説かれる。
<詞の相関論>(いわゆる構文論)においては、成分の統合?配列?照応の三つが説かれる。<成分の統合>においては、関係自体は「従属と統率の一関係だけ」だとするが、その関係のし方に「主体?客体?実質?修用?連体」の五種があるとし、これは「世界人類に共通普遍の範疇」だという。なお提示態(いわゆる副助詞?係助詞のついた形)はすべて修用語の一種とされる。<成分の配列>では、意識の流れの方向によって正置法と倒置法とがあるという。<成分の間接関係>とは、たとえば「こどもが大きくなる」における「子ども」と「大きく」との関係のことで、その先後=語順は<述語との統合の親疎>に起因するのが原則だが、この原則は<概念の新旧>によって崩されるといい、さらに、題目語(-は)は「旧概念の最も著しいもの」だとも指摘している。たとえば、「日曜日にはあの人を訪ねる」と「あの人は(=をば)日曜日に訪ねる」。最近流行している「情報理論的分析」の先駆である。<成分の照応>としては、係結び法と未然法を説いている。
前述したように、文としての独自性、つまり文の陳述性の研究が手うすなのはさびしいが、狭義のsyntax(統語論)としては、当時の研究の最先端を行っていると言っても過言ではない。
<原辞論>は詞の材料である原辞の性質やその結合を扱う。原辞の分類は<図9>のようになっている。
<図9> (p.47)
このほか、用言や動助辞の活用や、原辞の相関=結合(いわゆる語構成論)を説く。この原辞論と詞論がアメリカ構造言語学流の形態論の先駆をなすことは、すでに指摘されていることだが(森岡健二1965)、それと同時に、論理主義だとする古くからの評価も当たっている。この二つの評価が両立しうるのが松下の特徴なのであって、論理=意味と、形態との一対一的な対応が信じられていた「古き佳き時代の大文典」と言うべきなのである。
口語に関して『日本俗語文典』(明治三四1901年)で新機軸を打ち出した松下も、『標準日本口語法』(昭和五1930年)では、原辞論を中軸にすえて記述し、外見上の組織としては学校文法とたいして変わらないものに見えるが、これは、普及のためのやむをえない妥協だったと言うべきかもしれない。記述のなかみは、体系性を失ってはおらず、豊かである。
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