好好地死去

这几天读大江健三郎的《M/T的森林不思议物语》,沉浸在一种不思议的氛围里。
大江健三郎的大儿子——阿光接受过脑部手术,智力发育迟缓。在他20岁时,大江带他回去见奶奶。
下午在图书馆读到这一段,眼眶湿了三次。摘三段他们朴素的对话,与你分享。看得懂日文的同志,请忽略我的拙译。看不懂的同志,靠汉字脑补,也请忽略我的拙译。
(一)
奶奶呼唤着:“阿光呀,你回来看奶奶啦……奶奶已经80岁啦!”
阿光寒暄道:“已经80岁啦?啊,奶奶真不容易呀。80岁了,那不是快要死了吗?真不容易呀。”
“是呢,不容易呀。谢谢你担心奶奶。”
——光さん、よく会いに来てくださいましたなあ……私は八十歳になりましたが!
——八十歳になりましたか?ああ、大変なものだなあ!八十歳になったのでは、もう死ぬのではないでしょうか?大変なことだなあ!
——そうです、大変なことですが!心配してくださって、ありがとうございます!
(二)
回城时告别,阿光叮嘱:“奶奶要打起精神,好好地死去。”
奶奶回答:“嗯!奶奶会打起精神,好好地死去的。”
——元気を出して、しっかり死んでください。
——はい、元気を出して、しっかり死にましょう。
(三)
大江的弟弟做出解读:“他的意思是说,活着的时候,要好好地活着。等到没法活了,再好好地死去。死的那一瞬间,划了一条分割线。之后一了百了,精神什么的都不复存在了,想振作也振作不起来了。所以呢,趁着还活着,就要振作起来,坚持下去。”
生きている間しっかり生きて、そしてもう生きていられなくなれば死ぬように。死ぬ、という瞬間に線をひくとするね、死んだあとでは、元気を出してもなにもないでしょう?だからね、生きている間、元気をだしてがんばって。
元気をだして、しっかり生きてください。
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