《麦秸草帽》 (西條八十)
(2010-11-27 13:08:33)
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ぼくの帽子西條八十 |
分类: 译 |
听完上篇里的草帽歌,下面来看看西條八十的草帽诗原作。诗人用草帽来象征母爱,以孩子的口吻向妈妈倾诉草帽丢失(象征母爱的消逝)带来的失落和忧伤,因为这个原因,这首诗常被作为儿童诗载录。诗作抄自『西條八十100選』,东京「春陽堂」出版,第一百一十七页。汉译是我参考原文与其他翻译版本写下的,断句时有所变化。鉴于本人日语水平,错漏之处难免,还望高手指正。诗名「ぼくの帽子」,也有版本为「麦わら帽子」,所以博客标题用了《麦秸草帽》而译文里用了《我的帽子》。
「ぼくの帽子」
西條八十
母さん、僕のあの帽子、どうしたでしょうね?
ええ、夏、碓氷から霧積へゆくみちで、
谿底へ落としたあの麦稈帽子ですよ。
母さん、あれは好きな帽子でしたよ、
僕はあの時、ずいぶんくやしかった、
だけど、いきなり風が吹いてきたもんだから。
母さん、あのとき、向から若い薬売りが来ましたっけね。
紺の脚絆に手甲をした。
そして拾おうとして、ずいぶん骨折ってくれましたっけね。
けれど、とうとう駄目だった、
なにしろ深い谿で、それに草が
背たけぐらい伸びていたんですもの。
母さん、ほんとにあの帽子、どうなったでしょう?
あのとき傍に咲いていた、車百合の花は
もうとうに、枯れちゃったでしょうね。そして
秋には、灰色の霧があの丘をこめ、
あの帽子の下で、毎晩きりぎりすが啼いたかも知れませんよ。
母さん、そして、きっと今頃は、今夜あたりは、
あの谿間に、静かに雪がつもっているでしょう、
昔、つやつやひかった、あの以太利麦の帽子と、
その裏に僕が書いた
Y.Sという頭文字を
埋めるように、静かに、寂しく。
注:碓冰,即碓冰岭,在日本群马县横川和长野县轻井泽之间。
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我的帽子
妈妈,我的那顶草帽,不知怎么样了
嗯,就是夏天,从碓冰到雾积的路上
掉进山谷的那顶麦秸草帽
妈妈,那帽子是我的最爱
你可知那时,我有多么懊悔呀
因为那不期而至的风暴
妈妈,当时迎面走来个年轻人,兜售着草药
脚缠着蓝裹腿,手上戴着护套
他想帮我捡回那顶帽子,可用尽了辛苦,
还是徒劳
因为那峡谷太深太深,还长满了野草
伸出来比人还高
妈妈,那顶帽子到底怎么样了
那开在路边的百合
也许入冬时就已经枯老
更何况,秋天的雾霭早将山底笼罩
也许那帽子的下面会有蟋蟀
在一个个夜晚鸣叫
妈妈,就是今夜,就是现在
那静静地山谷里
就要大雪飘飘
我那曾经光滑明亮的草帽
还有写在上面的字母
就要被一起埋掉,静静地,形断身消
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西条八十(1892—1970)是上一世纪三十年代前后日本诗人,曾与日夏耿之介、萩原朔太朗、佐藤春夫等组成大正诗坛上的艺术诗派。其诗风受象征主义的影响,但其风格又与象征主义诗人不同,多冥想、空幻,作品大都明快、华丽,而无一般象征诗的幽暗。诗人1915年毕业于早稻田大学英文科,1931年至1934年任早稻田大学法文科教授。1919年出版第一部诗集《砂金集》,后又出版了译诗集《白孔雀》(1920),诗集《蜡人形》(1922)、《一把玻璃》(1947)。

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