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分类: 个人论文 |
はじめに:集団主義とは団体で行動することを好むことである。日本人はほかのどの国の人々よりも集団志向が強いと言われている。一つの集団に属することによって具体的な利益を得るだけでなく、精神的な安心も得られるため、意識的に、あるいは無意識に集団に属し、まとまって行動することを目指すという考え方が根強い。しかし、現代の社会の発展に伴って、日本の集団志向は変化が発生する。この文章は主に日本人の集団主義の情況を紹介することと私がこれに対して小さい考えを発表することである。
一、集団重視:
日本人の集団重視は過去、第二次世界大戦における玉砕や集団自決の悲劇、一億一心のスローガン、また今日、企業経営、サラリーマン社会などにおける集団の和の重視、果ては学校の生徒の制服に至るまで、広く深く根を張っている。「出る釘は打たれる」ということわざは日本人の処生術を端的に表しているし、集団に異を唱えたり、背を向けた者には「村八分」という処罰があった。例外はむろんあるが、日本の社会は個我の主張より、集団あっての個、個は集団にあって生かされると了解してきた言える。
二、集団主義の形成:
集団主義の成立は、日本の歴史的背景と無縁ではない。第一に、はるか弥生時代に始まる稲作文化の影響がある。農村では今日もなお、田植えや稲刈り期には近隣同士が助け合い、共同作業を行う習慣が一部に残っている。狩猟文化と異なり、そこでは集団作業と共同秩序とが必要であり、生活共同体なのである。儒教思想の影響も無視できない。忠孝を重んずるその道徳は江戸時代以降特に広まり、「家」制度にもつながった。家長は絶対の権限を持ち、家族は「家」に従わねばならず、武士階級にあっては一朝事あれば御家断絶と、連帯責任を取らされた。
狭い国土に多くの人口ということも有力な一因だろう。朝晩の通勤電車の殺人的ラッシュは外国人のしばしば瞠目するところだが、当の日本人は甘受せざるを得ないし、そこから集団の調和という社会生活の知恵を身に付けるのである。住宅事情しかり。学校教育しかり。
三、集団主義の功罪:
集団主義には当然ながらプラス、マイナスの両面がある。戦前の無批判な軍国主義化は後者であろうし、戦後の高度経済成長の原動力となったニッポン式経営は、たとえ一部にエコノミック・アニマルと批判を浴びても、全般的にはプラスの集団主義であり、外国から「日本に学べ」の声も出るわけである。しかし、当の日本ではこれとは逆に個性化、多様化への志向が年々強まっており、集団主義を日本人の永久不変の特性とする見方が見直される時代も来るかもしれない。
四、現代の集団帰属意識:
「家」はもともと厳しい経済生活を前提とした共同防衛組織であった。しかし、戦後の経済成長に伴い農村の都市化や家内労働の企業化などが進み、さまざまな組織は変革をとげてきた。それにもかかわらず、日本人の思考方法や倫理規範は、閉鎖的な社会構造の中で人間関係を重視するという従来の傾向から容易に抜け出ることは出来なかった。
今日では、企業だけでなく、労働者も、農家も、医者も、それぞれが業種ごとに全国組織を作り、それぞれの規範の下で結束を保っている。企業や各種の組織が形を変えて、従来の「家」の機能を果たしているわけだ。旧来の「家」制度は崩壊し、社会構造も大きく変化したが、今日でもなお、個人の考え方や行動は、それぞれの「集団」の意思に影響されることが多い。
日本の「家」制度の特徴は、現代の企業という社会集団の中に生き続けている。最も特徴的なのは企業や官公庁の終身雇用制である。終身雇用制によって会社員や職員は閉鎖的な社会的集団の一員を構成することになる。企業・官公庁は会社員・職員に対し、給料・賃金だけでなくさまざまな特典や給付を与えて最大限の面倒をみる。ほとんどの企業・官公庁は安い家賃で住宅を提供し、社員旅行を行い、家族も参加する運動会を催したりする。結婚や出産のお祝い金や親族の法事の弔慰金の制度もある。また、結婚式や葬儀などのいわゆる冠婚葬祭では会社や官公庁の上司、同僚、後輩が出席してそれぞれの役割を果たす。会社員・職員の私生活に会社や官公庁の機能が広く組織的に入り込んでいるのである。
会社員や職員は、一度採用されたらほとんどの人が定年(大体、55歳から60歳ぐらい)まで働く。この間、雇用関係は終身雇用制と年功序列制が一体となって機能している。年功序列制というのは勤続年数に従って賃金が上昇し、地位も昇進するという制度である。一般に、日本の集団においては、その集団に加わってからの年数がその人の地位と発言力を決定する重要な要素になっている。従って、転職する場合、その人は多きな損失を覚悟しなければならない。
企業などの集団に所属する期間が意味を持つ日本の社会では、就職する時期が大切になってくる。人生の早い時期に集団の中で生き延びていく基礎が築かれる。中途採用者より新規採用者が歓迎されるのもこうした理由からだ。新規採用者はある一定期間、研修や訓練を重ねて、仕事上必要な基本知識や技能を身に付けさせ、企業や官公庁の経営・運営・業務の方針を学ぶことになる。
日本の企業経営を特徴付ける終身雇用制、年功序列制と手厚い福利厚生を通して社員は会社への帰属意識を強め、自分の会社に忠誠心を持つようになった。経営者と社員が一丸となって会社の発展のために懸命に仕事をし、一人一人が働くこと自体に生き甲斐を感じるという姿が当たり前になってきた。このような献身的な労働が戦後に日本経済の飛躍的な発展をもたらしたのである。
しかし、近年は経済・産業の国際化に伴って、日本の企業でも能力主義が台頭し、派遣労働者が急増する状況のなかで、伝統的な終身雇用制や年功序列制は徐徐に変質している。同時に、日本人の「集団」に対する意識も変わりつつある。
五、私の考え:
集団主義の利点は集団で行動することによって、チームワークがうまくできるようになる。また、一緒に働く人々の意見を聞き、仕事などに取り入れることによってよりよい結果を見つけ出すことができるかもしれない。それだけではなく、多くの人達と働くことによって仕事が分割されて、一人の負担が軽くなる。責任も同じように多くの人のものとなる。
しかし、集団主義には大きな落とし穴がある。それは皆が平等であるように、協調性が必要とされる。結果として、個性が殺されてしまう。また「ほかの皆と違うから」と仲間はずれにされたり、個性を認めないことも十分にありえる。それだけではなく、集団で行動したからといって、仕事や責任が平等に分割されることはある。団体で行動するためには、人々が全体として行動できるようにまとめ役が必要とされる。これによって上下関係が生まれると私は思う。
たとえば、日本の学校では先輩・後輩という関係が成り立ってくる。部活などでは3年生が主役である。そして、実力は関係なく1・2年生は3年生の練習相手のためだけに夏休みも毎日学校に通っているところもあるようだ。日本では当たり前のことであるが、イギリス育ちの私にとってはくだらなくさえ思えた。年もたいして変わらない人々の集まりなのに、なぜここまでの違いが生まれるのかと疑問に思った。日本が「集団主義の社会を形成している」のは、幼いころからそういう環境にいるからだと思う。常に「集団」の一部で上下関係が出来上がるので、それ以外のことをするのが困難になってしまうのではないかと考える。
日本では、「力をあわせて」などという言葉がある。確かにチームになってやれば、同じ立場にいる人がほかにいると思えて、心の支えになることだろう。しかし、行動を他多数の人達と共にしていることにより、他人に知らず知らずのうちに頼りすぎてしまったり、協調性がある代わりに自分の考えに自信がもてなく、判断力に欠けてひとりで行動できなくなる人もいると思う。
おわりに:集団主義の特徴は、排他的であることだと私は考える。「集団」は「個人」に対して常に優位にたつような全体主義的支配原理ではない、と考えている。日本的「集団主義」の特徴は、対他的ないし対外的な場面にはっきりと表れてくるのではないだろうか。すなわち、自分が属する集団の構成員ではない者に対して排他的になるということ、閉鎖的であるということである。しかし、今や世界はボーダーレス化し、多数の「外国人」が日本に滞在し、また定住してもいるのだから、日本的「集団主義」を開かれたものに変えていかざるをえないだろう。文化や価値観の多様性を容認しつつ共通のルールを模索し、「市民的公共性」を育成していかなければならない。一人の「市民」として「公共的空間」の中で生きていくために要求されることは、特定の地域、企業、政党など自分が所属する集団の私的な利益のためだけに行動することではなく、「市民運動」、ボランティア活動、NGOなどにも自発的に参加するということに他ならないのである。
参考文献:
1.「日本国概况」P159
2.「日本」を学ぶ日本語教材(上)P241 大森和夫など 外語教学与研究出版社 2004年11月
3.「史料が語るカナダ」 P.301 日本カナダ学会
4.「多文化主義」 P.9 多文化社会研究会
「日本」を学ぶ日本語教材(上)のまとめ:
E.O.ライシャワーは「ザ・ジャパニーズ」の中で、日本人と欧米人との一番顕著な違いを、日本人の集団重視に見ている。日本人といえどもこの見方に異論はないだろう。
日本の稲作農業は西暦紀元前後に始まったと考えられている。それと並行する形で、弥生時代以降に、村落での定住が行われるようになった。村落社会では「家」が重要な存在となり、その構成員は緊密な結合関係にあり、同時に、倫理規範を伴う閉鎖的な共同体が形成され、そこでは、感情的で情緒的な人間関係が出来上がっていった。
日本人の道徳や倫理規範は、村落を基盤とした閉鎖的な人間共同体での習慣や風俗が理念として根を下ろしたものである。こうしたことから、日本人は自分の属する家や主従関係、国家に対する忠誠心は発達してきたが、個人としての主張や個人として守るべき道徳の観念は十分に養われなかった、という見方がある。
家はもともと厳しい経済生活を前提とした共同防衛組織で