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读书八境(五)悲哀的鼷鼠

(2019-12-28 19:21:53)
标签:

读书

日本随笔

分类: 读书八境


あはれなる廿日鼠 

倉田百三 

お手紙を有難う御座いました。この頃は春らしくなりお天気つづきで東京もたのしさうになつたことでしょう。私は今朝本当に久しぶりに二分間程干棚に出て街の上にかかる青空と遠い山脈の断片とを偸み見ましたが、もう春が地上に完全に支配してゐるのを見て驚いた程でした。あなたはミルトンについての論文で忙しいのですね。やはり身を入れて丁寧にお仕上げなさるやうにお勧めします。学校時代の了る時の記念ですからね。私はだんだんと健康を恢復して行きますから、悦んで下さい。安静にして何もしないでゐれば熱も出なくなりました。併し尐し何かするとすぐに尐し発熱するので、やはり読み書きも許されず無聊に苦しみます。併しあせらずに養生してゐます。私の気質として物事を不足に不幸にばかり考へる悪い癖があるので、こうやうな場合には生き難い気がします。私は一人の友もなく、まつたく淋しいので四、亓日前から廿日鼠を三疋飼つてゐます。よく車を廻します。尐しの米を食つて何の不足もなささうに遊戯して暮らしてゐます。時々小さな声を立てて鳴きます。私は寝床に横になつて、そのさまを見てゐます。これだけが私の一日のなぐさみです。あはれんで下さい。私の心はどうしても不幸の意識から自由になることができません、やはり死に脅かされるのが一番原因になつてゐます。血の出る時の本能的な不安は実にいやなものです。私は死に身を任せる覚悟のできてゐない生活はたしかなものではないと思ひだしました。そして人間の幸福はやはり安息にあると思ひます。エピクロスなどの考へたのもそのやうな気持だつたのであらうと思ひます。様々の悲哀や心配の絶え間のない人生の終りに来る死、それをreliefのやうに、迎へることはできないものでしょうか。私は故郷の父のことなど思ふと、さうであつてほしいと切に思ひます。私は墓場の彼方に平和を希む生活を一番いいやうな気がします。やはり此の世は仮りの宿といふやうなテンポラルな気がします。トルストイやナポレオンは今どうしてるだらう。夏目さんや魚住さんは? と思ふと私は変な、淋しい気がしてなりません。今から百年経てば私らのうち一人も生きてる人間はゐないのですね。その癖此の世は私たちに強い強い愛著を持たせるのですね。私は長生きができないのが情なくてなりません。そして死ぬる時の肉体的苦痛が今から気にかかります。私の初子が十日以内に生れる筈です。私は実際何と思つてこの子の誕生を迎へていいか自分に解りません。不思議といふ外はありません。生れた赤ん坊を見たら急にかはゆくなるのでしょうか。皆かはゆいと申しますから、私もさうなるのでしょう。男子ならば地三、女子ならば桑子と名をつけようと、お絹さんと相談しました。いまだ孵らぬ卵をかぞへるやうな愚かなことですけれど、天香さんが遥々私を見舞に来て下さるさうで、勿体なく思つてゐます。私は、四月中旬まで病院に居なくてはなりますまい、私の書物が出るのは亓月初旬でしょう。まだ自分で書くと手がふるへて尐し無理です。 
久保謙氏宛 三月十八日夜。中村病院より


「日本の名随筆 99?哀」作品社 
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悲哀的鼷鼠 

[日]仓田百三 著 蒋家义 译 

非常感谢您的来信。近来春意盎然,天气一直都很好,东京也变得怡人了吧。今天早上我来到晒台,偷偷对久违了的街市上空的蓝天和远方隐隐约约的山脉望了两分钟,惊讶地发现春天已经完全支配了大地。您一定在忙于写关于弥尔顿的论文吧。我劝您仍要认真仔细地完成。因为这是学校时代结束时的纪念啊。我渐渐恢复健康,祝福我吧。安静下来什么也不做的话就不发烧了。但是稍微做些什么马上就发烧了,所以还是不能够读写,苦于无聊。但我仍耐心地养病。我的禀性有尽把事物往不足和不幸考虑的坏习惯,因此在这种情况下我感到难以生活。我一个朋友也没有,万分孤寂,所以四五天前饲养了三只鼷鼠。踩车很灵活。喂一点米就非常知足地嬉戏度日。还不时小声地吱吱叫唤。我躺在床上,看着它们的样子。这是一天中我仅有的一丝安慰。请不要为我悲哀。我的心怎么也无法摆脱不幸的意识,主要的原因是我仍然受着死亡的威胁。出血时本能地感到的不安实在是令人厌恶。我不禁想到下不了决心将生命交给死亡的生活是靠不住的。于是我想人的幸福还是在于安息。伊壁鸠鲁等人所思考的也是那种心情吧。随着种种悲哀和忧虑不断的人生的终结而来的死亡,能否像relief一样来迎接它呢?我想起故乡的父亲,深深地希望他能如此。我觉得向着坟墓那头祈求平和的生活是最美好的。我不由得产生了今生只是暂时的宿处这种世俗的想法。托尔斯泰和拿破仑现在在做什么?夏目先生和鱼住先生呢?想着,我禁不住感到异常的孤寂。百年以后我们中仍然活着的人一个也没有了。所以今生才会让我们抱有如此强烈的依恋。我十分遗憾不能长寿。而且也开始担心死时肉体的痛苦。我的第一个孩子十天内要出生了。我真的不知道该用什么样的心情欢迎这孩子的诞生。只是感到不可思议。看到出生的婴儿便会喜欢的吧。大家都说喜欢,我也会喜欢吧。我和阿绢商量说,如果是男孩就叫地三,是女孩就叫桑子。这就像数尚未孵化的鸡蛋一样愚蠢。天香先生远道而来看望我,实在不敢当。我得住在医院里一直到四月中旬,我的书五月初旬出版吧。自己写字手还颤抖,有些勉强。 
致久保谦先生 三月十八日夜。于中村医院 
2003年7月17日

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