读书八境(一)
(2018-10-25 13:59:47)
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读书市岛春城 |
分类: 读书八境 |
[日]市岛春城 著 蒋家义
译
古语曰:“居移气,养移体”,居所不同使得心情相异,确实如此。读书因所处境界不同,其味也不同,这主要是心情相异的缘故,在白日繁忙时读书和在夜阑人静时读书有差异,在黄尘万丈中读书和在林泉幽邃之地读书也自有两样味道。忙乱中读毫无所感的,空闲时读便会觉着兴味盎然;得意时读感到愉悦的,失意时读却会觉着不快。人的心情不仅因其境遇而相异,随四季朝夕、节候时辰的变更难免也会有所异同。随之,读书的滋味也势必有异同。思量书味因境界而异,现选取八种,谓之读书八境。
古語に居は気を移すとあるが、居所に依つて気分の異なるは事実である。読書も境に依つて其味が異なるのは为として気分が違ふからで、白昼多忙の際に読むのと、深夜人定まる後に読むのとに相違があり、黄塵万丈の間に読むのと、林泉幽邃の地に読むのとではおのづから異なる味がある。忙中に読んで何等感興を覚えないものを間中に読んで感興を覚えることがあり、得意の時に読んで快とするものを失意の時読んで不快に感ずることもある。人の気分は其の境遇で異なるのみならず、四季朝夕其候其時を異にすれば亦同じきを得ない。随つて読書の味も亦異ならざるを得ないのである。今境に依り書味の異なるものを案じ、八目を選び、之を読書八境といふ。
一 羈旅
一
羈旅
二 醉后
二
酔後
三 丧中
三
喪中
四 幽囚
四
幽囚
五 阵营
亓
陣営
六 病褥
六
病蓐
七 僧院
七
僧院
八 林泉
八
林泉
(一)
羈旅包括舟车客馆种种,大致是指旅途中沉郁默然,百无聊赖的时候,有许多侣伴的场合,抑或相当近距离的旅行则另当别论。惟有此时才得以静静地亲近书籍。无须说,旅途中无法携带过多书籍。收入行李的仅只二三册。书斋内堆叠了多册书籍,心猿意马,难以专心于一册,然而作为旅途侣伴的书籍仅有一二册,因此能够精读,也可玩味。乘车十几时辰,泛舟十几日,滞留于旅舍几周,茕茕然,惟有书卷做伴,平日卒卒读完毫无所感的,于此种场合却大有所获,此时也可得到终身难忘的印象。
(一)羈旅は舟車客館其総べてを包羅するのであるが、多くの侶伴のある場合や極めて近距離の旅は別として、大体旅中は沈黙の続く時である。無聊遣る瀬のない時である。シンミリ書物に親しみ得るは此時であらねばならぬ。云ふまでもなく旅中には多くの書籍を携へ得ない。行李に収むるものは僅かに二三に過ぎぬ。書斎などでは多くの書冊が取巻いてゐるから、移り気がして一書に専らなることを得ないが、旅中侶伴となる書物は一二に過ぎないから精読が出来る。亦翫味も出来る。幾十時間に渉る汽車中、幾十日にわたる船中、滞留幾週間にわたる旅舎に於て、煢々孤独で唯友とするは書巻の外に無いから、通常躁急に卒読して何も感じないものを、此場合に於て大いに得る所がある、終生忘れ難い深い印象も此時に得るのである。
(二)
醉后精神激奋,沉着的人也可变得粗豪。自然,这不是细心阅读书籍的时候。然而读适意之作,有所感悟,却正是此时。据闻支那醉人以读《离骚》为乐,但即或不是《离骚》,大凡诗篇均是醉后的好侣伴。读史,寻古今之治乱也是一乐。闺房之作恐怕也适合醉卧时读。醉后精神活跃,思如涌泉,往往得到有益于自己思想的启迪。诗人酒后获得佳构也是此缘故。比平日更寄予著者同感在此时,然而对著者报以反感也是此时。
(二)酔後は精神が興奮してゐるから、沈着の人でも粗豪となる。勿論細心に書物を熟読するの時ではない。併し会心の書を読んで感興を覚えるのは此時である。支那の酔人は「離騒」を読んで興ずると云ふが、「離騒」にあらずとも詩篇は概ね酔後の好侶伴である。読史古今の治乱を辿るも亦一興であらう。閨房の書も恐らく酔臥の時に適するものであらう。酔後は精神活動し百思湧く時であるから、書を読んで己れの思想を助けるヒントを得ることもある。詩人が酒後に考案を得るのも此故である。亦常よりも著者に同感を寄することもあるが、著者に反感を抱くも亦此時である。
(三)
丧中忧愁悲哀,精神沉郁。很多人为排遣郁闷,选取振奋精神的书来读。也有人喜读处于同样境界的著者写的书。大凡宗教书籍适合此种场合。谨慎中会想读些艰涩难解的书籍。然而激起同情的则是悲戚的书。通常疏略的,此种场合不会疏略。平生读后无感觉的,此种场合也将感受深切。取出故人的遗稿,细细玩味的机会恐怕也是此时。缅怀故人,这是最佳时机。
(三)喪中は憂愁悲哀の時で、精神が沈んでゐる。排悶の為めに精神を引立てる書を選んで読むものが多い。亦好んで同じ境地の人の書いたものを読むものもある。概して宗教の書が此場合に適する。謹慎中であるから難解の書物も手に取る気もおこる。併し尤も同情を惹くものは悲哀の書である。通常看過することも此場合には看過することは無い。平生無感覚で読過することも此場合痛切を感ずる。故人の遺稿などを取り出して翫味する機会も此時であらう。故人を偲ぶにはこれ以上の好機は無い。
(四)
幽囚是指囹圄配所的生活。当然,常事犯被捕系狱的场合另当别论。狱中生活和谪居生活在某一点上与羈旅意趣相同。那便是远离眷属,倍感孤独。然而幽囚有羈旅所不具的激越的忧愤之情。和缓此种激越之情的是读书,使之愈发高扬的也是读书。无论怎样,除书籍之外没有友人,也无以慰藉。此时读古人之书得益匪浅。虽然也有过于愤慨而滥用书籍的例子,但若是善用,则能成为积修养、养人格的食粮。古来谪居期间成为卓越学者的为数不少。积修养、养人格的人也为数不少。忧愤之余写下的文章诗篇博得不朽赞誉的例子也不胜枚举。总而言之,幽囚中读书最益于身。
(四)幽囚は囹圄配所の生活を云ふのである。勿論常事犯で獄に繋がれた場合は例外とする。獄中生活、謫居生活は或る点に於て羈旅と其趣を同じうする。それは眷属と離れて孤独である点にある。羈旅に無くして此れにあるのは憂憤の情の激越であることだ。此の激越の情を和げるのも読書であり、之を一層高めるのも亦読書である。何といふても書物の外には友はない、無聊を慰するものとてはこれより外にはない。古人の書を読んで益を得るのは此時にある。憤慨の余り書物を悪用する例もあるけれども、善用すれば修養を積み人格を養ふ糧となる。古来謫居中に立派な学者になつた人が尐なくない。修養を積んで人格を高めた人も尐なくない。又憂憤の余りに書いた文章や詩篇で不朽の名誉を博した例も沢山ある。要するに幽囚中の読書ほど身に資するものが無いと言ひ得よう。
(五)
阵中读书是立于生死之境的读书。不言而喻立于枪林弹雨之间是无读书余地可言的。而长期坚守孤城,或卫戍边塞,凡属此种范围,虽有危险但却并非没有读书的余地。多数场合,可讲解兵书,读军机军略。身临实地,阅读研究此种书籍,最能痛感得失。然而并非只限于兵书军籍。鼓舞激发精忠报国思想的历史,豪杰传记,及《靖献遗言》式的文章,此等书籍在阵中读最有感悟,因而武人的修养由阵中读书而来或许并非诬言。
(五)陣中の読書は死活の境に立つての読書である。勿論弾丸雤射の間に立つては読書の余地はない。或は長期にわたる籠城、辺塞の衛戍、皆此の範囲に属し、危険はあるにしても読書の余地が無い訳ではない。多くの場合、兵書を講じ軍機軍略の書を読む。実境に臨んで此種の書を読み且つ研究するほど痛切に得失を感ずることは無い。併し必らずしも兵書軍籍には限らない。報囻忠君の思想を鼓舞作興するものには歴史あり、人豪伝あり、靖献遺言的の文篇もある。此等の図書は陣中に読んで最も感興を覚えるもので、步人的修養は多く陣中の読書から来るといふも敢て誣言であるまい。
(六)
病褥也是读书的一境。除非有痛苦的疾患或热病缠身,否则病人万不得已长期卧床不起,能成其安慰成其消烦解闷之物的惟有读书。平素繁剧之人若不是在此种场合,那便没有机会亲近书籍。因而此种人视病中为乐土。病中没有待客的烦扰,无人妨碍这般清闲,能比羈旅更专心于读书。多数场合精神沉静,思绪自然集中,可以静思熟虑,从而读书所得也多,因此读书人有时甚而愿意染些微恙。
(六)病蓐も亦読書の一境である。苦痛ある疾患若しくは熱に困しむ病は例外だが、否らざる病人で長く臥蓐に余儀なくさるゝ場合に於て、其の慰安となり其の消悶の具となるものは唯読書あるのみだ。平素繁劇の人は斯る場合で無ければ書物に親しむ機会が無い。さるが故に此種の人は病中を楽天地として喜ぶものもある。病中は接客の煩もなく、何等清閑を妨げるものもないから、羈旅以上に読書に耽けることが出来る。多くの場合精神が沈静して自然サブゼクテーヴになつてゐるから、静思熟考も出来、随つて読書に依つて受け入れることも多いので、読書人はたまさか微恙に罹りたいと思ふことすらある。
(七)
僧院是一清寂之境。在拜佛像,嗅线香,闻钟声之处自有超脱的意趣。殿宇高敞,树木苍郁,远离尘世,绝断俗音,此境尤为适合读书。古来僧院贤哲辈出绝非偶然。虽说此处最适于读圣典修禅学讲哲理,然而哲学研究未必成为擅场。此境地也适合阅读各种极其世俗的书籍。
(七)僧院は一種清寂の境である。仏像を拝し、弁香を嗅ぎ、梵鐘を聞く処におのづから超脱の趣がある。堂宇が高く広く、樹木は欝翠、市塵に遠かり、俗音を絶つてゐるから、読書には尤も此境が適する。古来多くの賢哲が僧院より輩出してゐるのは偶然でない。是の如き処に聖典を読み禅学を修め哲理を講ずるは最もふさはしいとされるが、必らずしも哲学研究の擅場とするにも及ぶまい。飛び離れた世俗の書を何くれとなく読むにも此境地が適してゐる。
(八)
林泉也是读书一境。在远离村庄的山林中,避开世间尘事,筑一闲静草庐,或建于风景胜地奢绮的别墅,皆属此种境地。若要心情舒畅地读书非此处不可。此境地最适合朝夕忙于待客却仍不暇应酬的繁剧之人静心亲近书籍。或选温泉为读书之地,暂居山间海滨的旅馆避夏日暑气,专心读书,也同样如此。有连续阅读书籍的必要时,为著述而读书时,大多喜爱林泉之境。因为此境除清闲之外,还具备颐养精神的自然美景。与僧院生活相似,类则不同。
(八)林泉も亦読書の一境である。人里遠き山や林に市塵を避け、侘びた草庵を結んだり、或は贅沢を極めた風景地の別荘など皆此の境地に属する。寛いだ気分で読書を為すはかゝる処であらねばならぬ。日夕接客に忙殺され、交際に日も亦足らぬ繁劇の人が静かに読書に親しみ得るは此境が最も適してゐる。或は温泉場を読書の処に選ぶのも、山海の旅館を仮りの住居として夏時暑を避けつゝ読書三昧に入るのも亦同日の談である。連続的に書物を読む必要がある時、著述の為めに書を読む時には、何人も林泉の境を喜ぶ。清閑である外に精神を養ふ自然美の環境が備つてゐるからである。僧院生活に似て、類は乃ち異なつてゐる。
除以上八境之外还有许多境界。有囊萤照读,有映雪读书,也有凿壁偷光。甚或有人习惯在厕屋里读书。患有一种疾病而不得已长时间待在厕屋里的人常常备置阅书架。西洋有身体浸在浴盆中读书的习惯,为此还发明了一种名为巴思•博库的书。此外还有垂钓时读书,古时碾茶时读书。或为人仆从,伴随主人在待客室读书,或骑着骆驼牛马读书,数来不胜枚举。而且其境不同读书之味也自不相同。读书视寸阴如金的是勤勉者所为,此种苦学可用萤雪二字形容,意外的是,穷困潦倒时读书会有许多饱食暖衣时读书所不知的收获。因而此等读书境地决不可等闲视之,然而相比之下均属特例,故置于八境之外。
以上八境の外にまだいろ/\の境地がある。月明りで書を読んだり、蛍や雪の光りで書を読んだりすることもあれば、隣りの燈光を壁を穿つて拝借しての読書もある。或は厠で書物を読む慣習の人もある。一種の病に罹つて厠に長い時間居ることを余儀なくさるゝ人々などは、特に書物を載せる見台を構へる例もある。西洋ではバス?ブックといふ一種の本も出来てゐて、浴槽に体を浸しつゝ読書する慣習もある。或は釣を垂れつゝの読書、昔は茶臼を碾きながらの読書もあつた。或は人の僕となり为人に随伴し、供待の間に読書をしたり、或は駱駝や牛馬に跨りながらの読書もあつて、数へ来ればいろ/\ある。そして其境が異なれば読書の味もおのづから異なつてゐる。取り分け寸陰を惜む上から来る読書は勉強家の為す所で、斯る苦学を蛍雪の二字を形容してゐるが、案外窮苦の読書は暖飽の人の知らない収穫の多いものである。随つて斯る境地の読書は決して閑却すべきでないが、併し較々異例であるから、これらは八境の外に置くことにした。
搁笔前摘记支那人颂扬读书的诗一首。
富家不用买良田,书中自有千钟粟。安居不用架高堂,书中自有黄金屋。出门无车毋须恨,书中有马多如簇。娶妻无媒毋须恨,书中有女颜如玉。(下略)
正如诗中所言,靠读书无所不可得。妻子珍宝富贵荣达,皆在书中,即读书万能。将此诗意牢记于心,读书可谓是乐之极致。
富レ家不レ用レ買二良田一。書中自在二千鍾粟一。安レ居不レ用レ架二高堂一。書中自在二黄金屋一。出レ門莫レ恨レ無二人随一。書中車馬多如レ簇。娶レ妻莫レ恨レ無二良媒一。書中有二女顔如一レ玉。(下略)
此詩の如くなれば、読書に拠つて得られないものとては無い。妻子珍宝富貴利達、皆書中に在り、即ち読書は万能である。此の詩意を以て心とすれば、読書ほど楽しいものは無いとも謂へる。
「日本の名随筆36?読」作品社