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日语综合教程第五册第十一课从岛上所见说起

(2018-10-13 14:10:40)
标签:

高田宏

海岛

大海

分类: 综合日语第五册

日语综合教程第五册第十一课  从岛上所见说起

 

作者:高田宏(たかだ ひろし1932­­—昭和后期——平成时代的作家。生于昭和7824日。昭和39年入エッソ石油公司。担任广报志《エナジー》《エナジー対話》的编辑长。昭和53年以大槻文彦的评论《言葉の海へ》获大佛次郎奖,龟井胜一郎奖。昭58年入文笔生活社。平成2年获《木に会う》读卖文学奖。多有关于自然的随笔和纪行文。京都府出身,京大毕业。

 

课文翻译:

 

北海道の天売島で、船外機つきのちいさなボートで島の海を回ったことがある。島の道を一回り散歩そて民宿に帰ったとき、ちょうど宿の主人が四歳と一歳半の孫を遊ばせるのにボートを出すところで、乗るかい、と誘われ乗ったのだ。おじいさんといってまだ五十代の若さなのだが、彼は毎日のように孫たちにせがまれてボートで海へ出る。妻野嫁たちが夕食の支度に忙しい時間、彼が子守りを引き受けるわけで、うみが荒れていなかったら海上の子守りに出かけるのである。

 

在北海道的天卖岛,我曾经乘着带有发动机的小船小围着岛四周的海面巡游。我在小岛上的道路上散步一圈回到民宿的时候,正好碰到民宿老板正要搬出小船,带着四岁和一岁半的孙子去游玩,“坐船吗?”在老板的邀请下我乘上了小船。虽说是爷爷,但也只是五十多岁左右那样年纪,他几乎每天都会被孙子们缠着乘小船出海,在妻子和媳妇们准备晚餐忙碌的时候,他承担了照顾孩子的任务,如果海上风平浪静,他就到海上去照顾孩子。

 

ボートは磯伝うに走る。小船だから観光船では近付けない島沿いの浅瀬を波に揺られて行く。数百羽のうみねこが飛び立つ。岩礁のあいだをうみうが一列になって海面すれすれに飛ぶ。子供達はボートから乗り出して海の水を突っ込み、きやっきやっと騒ぐ。子どもたちが同じ舷側から身を乗り出すものだから、ボートがぐっと傾く。私ははらはらする。海に落ちたらへんだ。それに、自身がこわいのだ。ボートがびっくり返ったら、うねる波で岩に叩きつけられるだろう。そううもって二人のこの背中をつかんでいたのだが、子供たちは少しもじっとしていてくれない。私はすっかり疲れてしまった。

 

小船沿着海岸岩石边飞驶。因为是小船,只有在观光船不能靠近的沿岛浅滩中随波行走着。数百只黑尾鸥飞起,在岩礁之间排成一列的海鱼鹰贴近海面飞翔,孩子们将手伸入乘着小船出海的海水中,并吱吱嘎嘎的喧闹着。因为孩子们身体靠着同一边的船舷上,小船一下子倾斜着,我心里捏了把汗,如要是入海中就麻烦了,而且我自己也很害怕,要是小船翻了的话,就会被翻卷的波浪甩到岩石上,想到这儿我从两个孩子的背后抓住他们,不过孩子们却一刻也不想静下来,我真是累坏了。

 

だが、子供たちの元気なこと。暮れかかる海を帰るときにも、もっとボートに乗っていたいとせがんでいる。海の子である。この子達はこうやってうみというものをからだ全体にしみこませてゆくのだろう。祖父につれられたうみの散歩で、いつか天売島のまわりの海を隅々まで知ってゆくに違いない。島をまわっている途中で四歳の子が、あそこの水おいしいよ、と言って、私たちのボートを海蝕崖の下につけさせ、洞穴の奥の湧水を飲んだことがあった。大昔、先住人住んでいたと言われる洞穴の湧水を、その子は近くの草の葉をとってきて器用にまるめ、水をすくって飲んだ。私も真似をして飲んだのだが、たしかに味のあるおいしい水だった。そういう水のあり場所も、水の飲み方も、四歳の子がすでにい祖父から教えって知っているのだった。

 

但是,孩子们精力充沛,天快变黑要从海上回去的时候,还央求再多乘会儿船。他们是大海的孩子啊,这些孩子就是这样全身心地将大海铭刻于心的吧,由祖父带着去海上散步,总有一天他们一定会将天卖鸟四周的大海的每个角落都了解的一清二楚。在环岛游的途中,那个四岁的孩子说那边的水很好喝,我们将小船停在海蚀岩下面,去喝洞穴里涌出来的水,小孩将附近的草叶摘下来巧妙的卷起来,去滔起据说是很久以前土著人住过的洞底而涌出的水,然后立马喝掉。我也学着他的样子喝了一口,果然是很好喝的水,这样的水所在之处,这种喝法,都是这个四岁的小孩子从祖父那里学到的。

 

あの子たいてゃ海というものを、とりわけ天売島の海を、肉体化してしまったている。海という自然のなかで、ちちと同じものを、祖父と同じものを、曽祖父と同じものを、からだに刻み込んでゆく。海の肉体化という点では私は四歳の子にも一歳半の子にも及ばない。私は雪国育ちので雪という自然ならばかなり肉体化していると思うけれども、海となると海辺の散策程度の体験でしかない。海は私のからだの外にある。海は好きだが、からだの内にあるものにはなっていない。

 

这些孩子将大海,尤其是天卖岛的大海人格化了。在大海这样的自然中,和父亲一样,和祖父一样,和曾祖父一样的东西铭刻在身体里。将大海人格化这一点,我连这个四岁甚至是这

一岁半的小孩都不如。我出生在雪国,所以我想雪在自然中是相当人格化的,但是我对于大海只有洗海水浴、在海边散步这样的体验而已。大海在我身体之外,虽然我喜欢大海,但是我还没有将它与身体合为一体。

 

或る土地の自然が変わることなく続くとき、いや、自然が自然みずからのリズムでゆくりと動いてそこに生きる人間の目には今年も去年も十年前も百年前も変わることなっくつづいていると見えるとき、その土地に今れ死ぬ人びとは親からこへ、子から孫へと同じものを伝えて逝くのであろう。去年の春とおなじ春が今年も巡ってきて、去年の春とおなじに花が咲く。今年は去年に比べて花の咲くのがすこし遅れたけれどもそのぶん色がいいといった微細な違いを含んで、自然は昔からの自然で有り続け、そのなかで人は世代を越えて同じ感覚を共有してゆく。同じ喜びを分け持ってゆく。

 

某个地方的自然没有化地持下去,不,自然按照自己的缓慢地流动,而在那里的人的眼中,是今年、去年、十年前一百年前都持续不变候,在那片土地上生存,死亡的人会从父母到孩子、孩子到子那将同西承下去吧。和去年春天一,今年的春天也会到来,和去年的春天一,花要开放。即使今年的春天比去年的春天开花的时间稍微了一点,但相的花的漂亮一些些微小的差中,自然只是前的自然延续,在那个过程之中,人会有超越代共同的感会分享共同的喜悦。

 

だが、もしも突然、島とりまく海がなくなったり、海はあっても魚も住めないくらいに汚れたりしたら、それまでの世代とそれからの世代とのあいだの感覚の共有はなくなる。私が天売島で見たような祖父と孫との海遊びは不可能になって、祖父の中にある海は名護には伝えられない。からだの底に海を抱く祖父はそういうふうには海を持たない孫にむかって、ひょっとしたら海は嫌悪の対象でしかなくなっている孫にむかって、あるいはうみを経済効果でしか見なくなった孫にむかって、あるいはまた海を見たことのない孫とのあいだに共通であっても、その言葉で呼び起こされる感覚はまるで違うものになっているだろう。海を生きる場とする生き方が、祖父と孫とでは別のものになってしまう。言葉はただの記号でしかなくなって、祖父と孫との会話はすれちがい、やがて互いに黙るしかなくなるのではないか。

 

 

但是,如果突然包围小岛的大海没有了,或是即使大海还在,但被污染得连鱼都不能生存的程度的话,至今为止的这一代人和接下来的一代人之间的共同感觉就会消失。我在天卖岛上看到的祖父和孙子一起去海上游玩这样的事就会变成不可能,祖父心中的大海就无法传递给孙子,在内心深处拥抱大海的祖父,面对不是那样拥抱大海的孙子,或者面对可能对大海只是厌恶的孙子,或是面对只看得到产生经济效益的大海的孙子,要说什么才好呢?虽然“大海”这个词在祖父和孙子间是共通的,但这个词所唤起的感觉完全变了吧。把大海作为生存的地方这样的生存方式,在祖父和孙子之间就截然不同了吧!言语仅仅只是记号,在祖父和孙子间的对话开始岔道而行,最终难道不会变成互相之间只有沉默了吗?

 

海は一つの例に過ぎない。山に生きる人々なら、森が消えたり森が姿を替えてしまったとき、おなじことが起こるだろう。東北の山村で、かつてマタギであった老人が、若いころに仕止めた大熊のべっこう色に透きとおる熊の胆を見せてくれて山の今昔を話してくれたことがあるが、老人はこの頃はもう山へいる気がしなくなったという。そこらじゅう杉の植林になってしまって、森は昔の森ではないというのだ。杉ばっかりの森には生き物がいない。島も啼かなければ獣も走らない。あんな淋しい森に入っても楽しいことなんかないと言って、老人は昔の森の楽しかった話しを続けた。

 

大海只不过是一个例子,对于生存在上里的人们来说,当森林消失或森林的样子改变的时候,也会引起同样的感觉。在东北的某个上村里,曾经有一个山间捕猎的老人,将年轻的时候捕杀的大熊玳瑁色的透明的熊胆给我们看,并把以前的事讲给我们听,老人说最近越来越不想进山打猎了,那一带全部变成了杉树的人工林,并不是以前森林的样子了。满是杉林的树林中没有任何生物,鸟不鸣兽不吼,进入那样孤寂的森林是不会有任何快乐的,老人继续着以前森林开心的话题。

 

つい先日テレビでたばかりだが九州の市房山を空から映すと、山には無数の引っかき傷があった。山の上までそれまであった森を切り倒してそのあとに杉の植林をしたために、森による土の保持力が弱くなって崩壊が無数に起こっているのだという。同じようなことは日本野山のあちこちで起っている。そういうところではすでに、祖父のなかの森と孫のなかの森とは、言葉では同じ(森)でも、実はべつのものなのだ。そしてたぶん、森に何を感じるかが変えってしまい、森を生きる場とする生き方が祖父と孫とでは変えってしまっているだろう。

 

前不久在电视才看到的是从九州市房山半空中照的照片,在山上有无数条抓过的伤痕,据说是因为砍伐了一直到山顶的迄今为止存在的森林,然后种上杉树,森林原有的土壤保护力变弱,引起无数次滑坡。类似的事情在日本的各地发生着,这样的事情已经变成了在祖父心中和在孙子心中的森林。即使在言语上都是“森林”,实际上已经变成了其他的东西,从森林中感受到的东西也发生了变化,把森林作为生存的地方的这种生存方式在祖父和孙子间也变样了吧。

 

町もまた例外ではない。街はたしかに人工のもんぼではあるけれども、それが自然と対立すると考えるのは早計であり。町もまたその土地の自然のなかで営まれる暮らしである。事前を排除するわけではない。どうしても自然を追い出したいなら屋根つきの野球場のように町全部をすっぽりドームに囲めば良いのだが、そんな必要があるとしたら町をとりまく自然が核戦争で壊され変えられたときぐらいだろう。

 

城镇也不例外。城镇的确是人工的东西,但是将它与自然对立而视的话未免太过轻率,城镇也是在这片土地的自然中经营生存下来的,是不能将自然排出在外的,无论如何也想要把自然驱赶出去的话,像带有屋顶的棒球场那样也可以建造把整个城镇包围起来套上圆形屋顶,如果有那样的必要的话,在城镇四周的自然被核战争破坏地面无全非的时候吧。

 

私は前から東京の町の坂道と緑に親しみを感じている。起伏する武蔵野台地に育てってきたこの町は、巨大都市の中でも自然との共存の度合が大きいほうなのではないかと思っている。公園や寺社地など公けの緑の量は統計を見ても少ないことが明らかだけれども、家々の庭の木や草花や生垣など、あるいは街角の木や道ばたの草花など、統計にあらわれない緑はたいへん多いのである。広い公園にだけ緑を集めるという計画都市よりも、そこらしゅう雑然と緑がはびこるこういう街のほうが、私には街の本来のありかただと思える。ブレドーザーでならした土地にコンクリートを貼り付けコンクリートの箱を並べるのが街ではない。その一部にだけ公園と称する緑地を配するのが街ではない。町は昔からの地形の土地の上にゆっくり育てってゆく生き物だと思う。東京という街はその点、複雑な台地の上に育てってきたという幸運があって、今のようになっているのだ。さきに島の呉市ト比べて都市の暮らしが失ったものの大きさを書いたけれども、高速道路ができ高層ビルが建って東京の変貌は激しいように見えながらも、幕末の江戸の町を見た外国人が緑の町とおどろいたその基本性格は変えっていない。私の住んでいる東京の一画でも野鳥の数も種類も豊かである。夏になれば蝉しぐれがうるさいほどである。町は人間だけびものではなく、鳥も虫も木も草も、そしていくらかは小動物も住んでいる。多くの生命の共存体なのである。

 

我从以前就感受到东京街道中的下坡路和绿化十分亲切。这个在起伏的武藏野台地上孕育出来的城镇,在大都市中与自然共存的程度是不是算大的呢?虽然从公园、寺庙等公共绿化数量的统计来看就清楚这些绿化很少,但是,每家每户的庭院里的树、花草、篱笆等,或者街角的树和路边的花草等,没有统计的绿化还是很多的。比起仅将宽广的公园作为绿化的城市规划来说,这些杂乱无章、绿草丛生的城镇,我认为是城镇本来难道的东西,并不是用推土机弄平土地铺上混凝土然后摆上混凝土箱子的就是城镇,也不是将一部分土地布置成公园将它作为绿化地的就是城镇,我认为城镇是在原有的地形的土地上慢慢成长起来的活的东西。东京这个城市在这一点上,因为有在这种复杂的山地上成长起来的幸运,才变成现在这个样子的。比起刚才说的小岛生活,城市生活失去的更多,虽然建起了高速公路和高层大厦使得东京的样子发生了极大的变化,但是看到幕府末期的江户时代的城镇的外国人对这里的绿化感到十分惊讶这点的基本性格没有改变,即便是我所住的东京的一个角落里,野鸟的数量和种类都很繁多,一到夏天就会听到阵雨般涌来的聒噪的蝉声,城镇不仅是人间居住的地方,也是鸟、虫、树、草还有许多小动物们居住的地方,是许多生命的共存体。

 

もちろん今の東京のままでいいのではない。経済効率優先の愚行が町そのものの生命を傷つけていると思われることは多い。だが、それでも変らない骨格がこの町にはあると私は思い、そこに期待しているにである。この町の祖父と孫とが共有できる自然とその自然のなかで共有できる生き方は、まだあると思うし、ずいぶん失われているちしても回復の可能性はあると思っている。楽観にすぎると見えるだろうけれどもそう思っている。

 

当然,任凭现在的东京这样发展是不行的。经济效益优先的这种愚蠢的行为伤害着城市本身的生命这样的事情比比皆是。但是,即使这样,我认为这个城市还是拥有着永久不变的骨架,我对这点是抱有希望的。在这座城市里的祖父和孙子所共有的自然以及在这个自然中共有的人生观还是存在的。即使失去了相当一部分,但还是有恢复的可能性。虽然想法过于乐观,但我还是那么认为。

 

 

 

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