三十岁坂口安吾
(2018-09-18 17:56:59)
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三十岁坂口安吾 |
分类: 日本随笔 |
三十岁
坂口安吾
翻译:王志镐
突然お手紙を差上げます。その前に、たゞ今不用意に突然と書きましたが、私に致しますと、あなたにお手紙差上げますのは、十年来の願いでありますので、その訳を一言のべさせていただきます。
突然送来一封信。那之前,只当是毫无准备突然写来的信,我如果去信,你就回信,十年来两情相愿,其原因一言难尽。
昭和十年ごろ(そのころ私は早稲田の第二学院の生徒でした)下落合の矢田津世子さんのお宅で雑誌「作品」の御作拝見しました。たしか、いくつも拝見させていたゞきましたが、その中で題名を記憶していますのは「淫者山に入る」という作品だけでございます。然し、題を忘れたと申しましても、その時の私の印象の強烈さは、とうてい今申し上げても御信じにならないほどでありました。少しキザな表現ですが、戸塚附近の散歩に、あなたのお名前をくりかえして歩いていたこともございます。
昭和十年(我那时候是早稻田第二学院的学生)在下落合的矢田津世子的家里,因杂志《作品》上的御作而拜见了你。也许因为经常的拜见,回忆起其中的题名为“入淫者山”之类的作品。然而,由于说是忘记题目了,那时候给我的印象非常深刻,如今却无论怎样提及也不能相信了。表现得有一点装模作样,在户塚附近散步,边走边重复着你的名字。
ちょうどそのころ、偶然あなたが私の同郷の知人の所有のアパートに棲んでいらっしゃることを知りました。私の知人とは、佐川という人で、アパートは大森堤方のみどり荘と十二天アパートで、その後者にあなたが居られることを知ったわけです。
正好那时候,偶尔之中你得知了我的同乡好友的所有公寓栖息处。我和好友佐川一起,住在大森堤方的绿色庄园以及十二天公寓,从后者那儿我知道了你住的地方。
管理人からあなたの御噂をきいたきり、当時の私は怖しくて、御逢いすることが出来ませんでした。その管理人は、あなたに就て、非常に私を怖れさせることを申しますので、いくども御部屋の前でたゝずみながら、断念して戻りました。(中略)
それから十年、終戦後の御作を読むうち、「戯作について」の日記の記事に、茫然と致したのです。
从管理员那里听到你的风言风语,使当时的我十分害怕,又不能出来迎接。那位管理员将关于你的事情对我说了,让我非常害怕,一直在屋子前面站着,绝望地回去了。(中略)
从那以后过了十年,读到你終战后的御作,其中有关于“关于戏作”的日记记事,便茫然地给你写信。
あのころの私は毎日のように矢田さんをお訪ね致しておりました。矢田さんの寛大な心に甘えて、私はダダッ子のように黙って坐って、あの方の放心とも物思いともつかぬ寂しい顔や、複雑な微笑の翳を目にとめて、私は泌しみるような澄んだ思いになるのでした。矢田さんは、寂しい人です。どうして、こんなに寂しい人なのだろう、美貌と才気にめぐまれたこの人の心をあたゝめる何物もないのだろうか、私はいつも自問自答していたのです。
あなたと矢田さんが、あのような関係にあったとは! 矢田さんにも幸福な時があったんだ、私は当時を追憶して、思いは切なく澄むばかりです。(下略)
那时候我每天都要去拜访矢田先生,承蒙矢田先生心胸宽阔,我像一个撒娇的孩子一样静静地坐着,他那茫然若失,忧心忡忡以及掩饰不住的寂寞的脸,还有那表情复杂的微笑,都留在我的眼里。矢田先生是一个孤单的人,为什么他会成为这样寂寞的人呢?富有美貌和才气的人,心里却什么东西也不能占据吧?我总是在自问自答。
你和矢田君曾经有那样的关系吧!矢田君也有幸福的时候,根据我对当时的回忆,无尽的思绪明朗起来。
(下略)
作者介绍:坂口安吾(1906年~1955年)日本作家,本名坂口炳五,新潟县出身,东洋大学文学部印度哲学科毕业。早年性格叛逆浪漫,嗜读讽刺喜剧及巴尔扎克,谷崎润一郎,爱伦坡(Allan
Poe),波特莱尔等名家作品。一九三一年以《风博士》一文跃上文坛,作品多呈戏谑及反叛色彩。
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