洗热水澡坂口安吾
(2018-09-18 12:42:23)
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洗热水澡坂口安吾 |
分类: 日本随笔 |
洗热水澡
坂口安吾
翻译:王志镐
私は東京にいたころから、一日に三度四度ずつ入浴する習慣だった。しかし、うすい木でつくられた普通の沸し風呂では、冷めるのが早く、たけば熱く、こんな忘我の状態を経験することはできなかった。
自从我住在东京起,有每天要入浴三四次的习惯。不过,那些用薄木板造就的,普通的热水澡堂,水冷却得快,如果你想要热水,却又不能体验那样忘我的状态。
例年の冬は仕事ができない習慣であったが、伊東へきて、仕事ができるようになった。伊東は南国だといっても、ちょッと南へ下ったというだけのことで、東京からくる人には暖かさが感じられても、住む身には分らない。仕事ができるのは温泉のせいだ。ぬるい温泉のせいである。つかっていて汗ばんでくる温度だと、温度に同化することはできないものだ。
由于有一到冬天就不能工作的习惯,去了伊东,似乎就能够工作了。伊东虽说是属于南方,却相当的往南,尽管从东京来的人感到暖和,我却没有体会。能工作是因为有温泉的缘故,有不凉不热的温泉的缘故。比起泡在澡堂里汗水直流的温度,这里的温度并不能被吸收。
私は時間を忘れているが、ひょッとすると、一二分、又、一二分というように、ねむっているのかも知れない。頭のシンが疲れている時には、頭をシャボンの泡だらけにして、湯につかりながら、後頭部からコメカミへかけて十分も十五分も静かにもむこともある。両耳を抑えて、湯の中へ頭をもぐしこんでシャボンを落して、又、湯の温度に同化してしまう。
我忘了时间,或许有一二分钟,又一二分钟,也许打瞌睡了。脑袋深处疲劳的时候,将脑袋泡在肥皂泡里,一边浸泡在热水中,一边把后脑部到鬓角架起来,按摩十到十五分钟。掩住两耳,将脑袋潜入热水中,投进肥皂泡中,又与洗澡水的温度同化了。
人間の頭の廻転などというものは、その人の性質に応じて方法を講じることができるものだ。絶対のものではないし、神秘的なものでもない。苦しかったら、まず、方法を考えることだ。精神などといって、非物質的な張本にまつりあげるのは、精神を増長させるばかりで、物質的に加工しうる限度をひろげるように工夫すると、相当に細工のきくシロモノだということが分ってくる。
人旋转脑袋等动作,能够寻求适应这个人的脾气的方法。没有绝对的东西,还没有神秘的东西。如果感到痛苦,差不多就找到考虑问题的方法了。如果说到精神方面,推崇非物质的样本,只是因为使精神得到增长,如果扩展物质加工限度的工夫,就能分辨相当于工艺品的精细活之类的事情
。
そして、徹夜の仕事を連続していると、視神経の疲れが何よりの悪刺戟になることがのみこめてくる。もっとも、私は強度の近視のところへ、遠視が加わったから、メガネをかけても外してもグアイが悪いのである。それがメガネのツルを支えている鼻梁の疲れを代表者として頭の廻転に鈍痛を加えてくるのである。
然而,彻夜连续工作,使视觉神经疲劳,就像吞下了最坏不过的刺矛。原来,我的近视强度和远视加在一起,戴上眼镜就不合适。将眼镜支撑在鼻梁上,是代表了疲劳,旋转脑袋更加剧了疼痛。
その苦痛を天城先生に訴えたら、洗眼器をかして下さった。入浴しながら、これを用いて、冷水で目を洗う。これを三分ぐらいやって、目をとじて、三十分、四十分、湯につかって、茫々去来するままにまかせておくのである。眼の疲れは急速に去った。目に水をそそいでから、ヌル湯にながく、ながく、ひたるということは、目の疲れとは別に、頭の疲れを払うためにもキキメがあるようだ。また入浴前に歯をみがいておくことも、いくらか入浴の頭に及ぼす効果を助けるようだ。
天城先生诉说着那苦楚,结果借了洗眼器下去了,一边入浴,一边用,将冷水洗眼。做了大约三分钟,闭上了眼,三十分钟,四十分钟,泡在澡堂里,茫茫之中去来自如,一切都听凭处置。眼睛的疲劳很快去除了,眼睛由于注入了水,但愿在澡堂里永远,永远地浸泡着,眼睛并不特别疲劳了,消除脑袋疲劳似乎也很灵验。还有在入浴前除了磨牙外,入浴给脑袋带来的效果似乎很有帮助。
人間というものは、これ以上の快適をむさぼる必要はないということを考えたりする。人生はこれぐらいのものだという嘲笑的なものではない。もっと充足し、ひたりきった楽天気分だ。なんのために生きるか、なんのために仕事をするか、なんのために入浴するか、そんなセンサクを失った充足感において、こうしていることのあたたかさ、なつかしさを感じることがある。ここに宇宙あり、と大袈裟に云っても、とりわけ変とも思わないだろう。別に詐術ではない。種と仕掛はハッキリしている。一定の温度とその持続だけのことなのである。
人们实在是没有必要考虑去贪图超出以上所说的舒适。也并非在嘲笑人生只不过如此,而
应该是一种更充裕的,来陶醉的乐观主义。工作究竟是为了什么?为什么要去入浴?由于失去了探索那样的充足感,也会感到工作中的温情与眷恋。在这个包容万物的世界中,即使夸大地说也不会让人觉得太奇怪吧。并没有什么欺诈,原因和手法都是一清二楚的,只不过是一定的温度和持续的坚持而已。
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