[转载]冈本鹿子 新茶
(2017-04-20 16:08:33)
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分类: 日本随笔 |
冈本鹿子
说不上喜欢喝茶,只是被新茶所吸引。
那属于老人食品,并无强烈的苦涩,只有令人轻松的香味儿;与其说是茶,不如说是在啜饮新叶的甘露。
色泽晶莹。白瓷茶杯盛了半满的摇曳的青湖水。
“细微的水声,像是宁芙在邀请
从摇曳的水汽间隙,似乎见到了茶碗彼岸遮挡着的美丽。
将茶碗放在中,一口,两口,用嘴唇啜饮着,眺望着庭院。挂着种荚的小枫树的枝头底下,有一汪小池,阳光射透水底的水中,竹刀鲫鱼被四尾小鲫鱼跟随着,在鱼鳍下休息,它们是去年孵出来的,只有一寸长。这时候,如能在合身的夹衣服上,将狭窄的博多带不软不硬地系在胸前的话,更有何求?对生长在日本土地上的日本女子,自己有深切的体会。
即使是西洋人中,喜欢喝日本绿茶的美国人,也必定要放入砂糖饮用。对此无话可说,我想是他们不懂新茶的风味。
除了喜欢所嗜好的饮料的香料之外,有一种客观性的心境在起作用。世态炎凉,如过于热腾的话,易倾向于消沉;如不沉湎于此,就能保持客观性的平衡,对我们来说是大有必要的。如此说来,摄入不经济,不健康的嗜好饮料是过度了。现在,乘天地爽利的季节,饮一碗新茶纳凉,百忙之中,应允许自然的馈赠吧?
煎茶道的复兴之祖上田秋成写道:“并无任何缘故,煎茶而饮,只是达到极限而死而已。”然而,这无论如何是走到尽头的七十五岁年龄的秋成的话,茶在任何地方,都可以分享其从容不迫。
新茶
岡本かの子
それほど茶好きでなくとも、新茶には心ひかれる。
あの年寄りじみた、きつい苦みがないし、晴々しい匂ひがするし、茶といふよりも、若葉の雫を啜るといふ感じである。
色がいゝ。白磁の茶ママ(ママい)の半を満してゆらめく青湖の水。
さなりき、誘ふニンフも
誘はるゝ男妖精も共に髪ぞ青かりし
揺曳とした湯気の隙間から、茶椀の岸にさういふ美麗が見えるやうな気がする。
その茶椀を掌に享けて一口、二口、唇に触れては庭を眺める。実を付けた若楓の枝の下に池が在つて、底に透く陽光の水の宙に篦鮒が、昨年孵つた一寸ばかりの子鮒を四つほど従へて鰭を休めてゐる。このとき、身に合つた袷の上に、やゝ幅狭の博多帯が硬からず緩からず胸に締つてゐて呉れれば、他に何を望まう。しみ/″\日本の土に生れて日本の女であることが自分で味はれる。
西洋人の中で好んで日本の緑茶を飲むのはアメリカ人だが、必ず砂糖を入れて飲む。お話にならない。まして新茶の風味などは思ひもよらない。
およそ嗜好飲料は香料の悦びの外に、一種の客観性の心境を作らせる作用がある。世相が、まま、熱騰でなければ消沈に傾き易いときに、それに釣り込まれないやう、客観性を平衡に保つことは私たちに必要なことである。さればといつて、不経済、不健康ほどに嗜好飲料を摂るのも行き過ぎである。今や、天地爽麗の季に仱袱啤⑿虏枰粭丹畏訾稀⒚χ袃Hに許さるべき自然の贈りものではあるまいか。
煎茶道の中興の祖、上田秋成が書いてゐる「もう何も出来ぬ故、煎茶を飲んで死をきはめてゐるばかりだ」と。而も、それが何もかも、し尽した年齢七十五のときの秋成の言だから、茶には何処か余悠のあることが判る。
底本:「日本の名随筆24 茶」作品社
1984(昭和59)年10月25日第1刷発行
1999(平成11)年7月10日第22刷発行
底本の親本:「岡本かの子全集 第十二巻」冬樹社
1976(昭和51)年9月第1刷発行
入力:門田裕志
校正:林 幸雄
2002年12月4日作成
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