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寺田寅彦水池

(2011-10-05 10:52:03)
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青空文库

水池

寺田寅彦

日本散文

分类: 寺田寅彦专辑

寺田寅彦

 翻译:王志镐


  大学的水池附近,由于去年的火灾,样子有了很大的改变。建筑物什么的,怎么也能恢复吧,而那棵古树要回复原貌,却是急不来的,真是令人遗憾。尽管如此,幸运的是那大树没有完全被烧尽,比如在水池的北侧,巨大的黝黑而茂密的树枝贴着水面伸展着,那棵树是使水池的景色变得特别的一个重要的因素,可是它因水而得救也真是幸运。对每年来到这棵树下用测斜仪进行观察练习的对象,我都特别留意。

 

大学の池のまわりも、去年の火事で、だいぶ様子が変わってしまった。建物などは、どうでもなるだろうが、あの古い樹木の復旧は急にはできそうもない。惜しいものである。それでも、あの大きな木が、全部は焼けなくてしあわせであった。たとえば池の北側に、大きなまっ黒く茂った枝を水面近くまでのばしている、あの木などもこの池の景色をスペシファイする一つのだいじな要素になっているのだが、あれなどの助かったのはしあわせである。毎年この木の下で、ディップサークルをすえては、観測の稽古(けいこ)のお相手をして来た私には、特にそんな気がする。

 

那棵大树底下的水面上有睡莲,不用说它一定是不在乎什么火灾的。今年夏天,不知从哪儿来的学生对着它进行写生。这不是著名的莫奈系列写生,那样的构图,作为西洋画也许是创新的,如今似乎并不特别罕见。对象无论有多么古老,假如目光和技能有创新,无论如何也可以有新的“发现”,

 

あの木の下の水面に睡蓮(すいれん)がある。これはもちろん火事にはなんともなかったに相違ない。ことしの夏、どこかの画学生が来てあれを写生していた。モネーの有名なシリーズがなかったら、ああいう構図は、洋画としてはオリジナルかもしれないが、今では別に珍しくはなさそうである。もっとも対象はいくら古くても、目と腕とが新しければ、いくらでも新しい「発見」はできるはずだろうが、私の見たできばえでは、そうでもなさそうであった。

 

那睡莲还是近来的东西,记忆中原来是像萍蓬草之类的东西,以及另外一种浮草一样的东西。今年睡莲异常繁殖起来,我想在红白两种之中,白色的繁殖力更强。实际上是否如此,必须向专家打听。不管实际如何,假如真是如此,这似乎成了一个有趣的问题。那就是从那时起,睡莲在其他水草的逐渐压迫之下蔓延起来的,还是如何,这就是问题所在。如果有好奇的人,每年对其照相,之后加以研究,该是很有趣的。

 

あの睡蓮は近ごろのものである。もとは河骨(こうほね)のようなものと、もう一種の浮き草のようなものがあったのだと記憶している。ことしは睡蓮が著しく繁殖して来た。紅白二種のうちで、白いほうが繁殖力が大きいように思われる。実際そうであるか、どうか、専門家に聞いてみなければわからない。事実はどうだか知らないが、もしそうだとすると、これは一つのおもしろい問題になりそうである。それから、もし、睡蓮が他の水草を次第に圧迫して蔓延(まんえん)するか、しないか、これも問題である。物好きな人があったら、年々写真でもとっておいて、あとで研究したらおもしろそうである。

 

顺便说一下,水池里多的是大鲤鱼。天气暖和的时候,时常会见到它们的身影,天气寒冷的时候,却完全看不见。还有巨大的甲鱼,我却一回也未见过。那次火灾对鲤鱼和甲鱼来说,都是相当震惊的事情吧。事后我想,那时测一下池水的温度就好了,可是当时却并没有那样做。

 

ついでながら、池には大きな鯉(こい)がかなりたくさんいる。あたたかい時候には時々姿を見せるが、寒中には、どうしているかさっぱり見えない。大きなすっぽんもいるそうだが、私はまだ見た事がない。あの火事では鯉やすっぽんもずいぶん驚いた事だろう。あの時に一度池の水の温度でも測ってみたらよかったと、あとで思いついたが、当時はそれどころではなかった。事によると薄いスプルングシヒトぐらいはできていたかもしれなかった。

 

关于鲤鱼,有一段关于某教授的小故事。教授一边向下看水池,一边与校工某君说话。教授说了一句:“那家伙味道一定很好!”作为回答,校工说味道似乎不佳,还有点苦。对此教授如电光般的回答是“啊,你小子吃过啦?”事情就传了开来,却不能保证事实如此。

 

鯉については、某教授に関する一插話(いっそうわ)がある。教授が池を見おろしながら、小使いの某君と話していた。教授が「あいつを食ったらうまいだろうな」とひとり言のように言ったのに答えて、小使いが、あまりうまくないとか、苦(にが)いとか言ったそうである。これに対する教授の電光のようなリマークは「ヤ、貴様食ったな」というのであった、と伝えられている。事実は保証しない。

 

记得除了鲤鱼和甲鱼,据说还要养殖了牛蛙,结果却未见到。如果真的在那里繁殖了大大的牛蛙,就会发出巨大的蛙鸣声,我想就不会那样若无其事了。正因为这地方遭火烧,也许更成了少数报纸上的黄口孺子和漫画家的材料了。

 

鯉(こい)やすっぽんのほかに、ブルフログを養殖しようという話もあったと記憶しているが、結局おやめになったと見える。もしほんとうに、あすこに、大きなブルフログが繁殖して、大きな声でも上げているのだと、少なくも何事かを考えさせられそうである。場所がらだけに、少なくも新聞の青鉛筆子や漫画子の材料にはなっていたかもしれない。

 

水池边还可以看见蝌蚪的队列。那队列的路线有什么规则,与水流有什么关系吧。我曾经与人讨论过这事,不用说未得出什么结论。

 

池のみぎわでおたまじゃくしの行列を見る事もある。あの行列の道筋に何か方則があるだろうか、水流と何か関係があるだろうか。そんな事をだれかと議論した事があった。もちろんなんの結論も得られなかった。

 

且不说这是开玩笑,这个水池过去曾提供过认真研究的材料,如果数起来,不在少数。

 

冗談はさておいて、この池が、これまでに、いろいろのまじめな研究の材料を供給している事も、数え上げれば、少なくないようである。

 

对水池中栖息着的生物进行研究,以此为学术论文的题目的先辈,最少也有两人。

 

池中に棲息(せいそく)するある生物の研究を、学位論文の題目とした先輩が、少なくも二人はあるそうである。

 

田中馆先生在做有关电流与自来水铁管的腐蚀的研究时,听说同样在这个水池中做了许许多多的实验。他那时使用过的铁管标本应该还保存着。

 

田中館(たなかだて)先生が電流による水道鉄管の腐蝕(ふしょく)に関する研究をされた時、やはりこの池の水中でいろいろの実験をやられたように聞いている。その時に使われた鉄管の標本が、まだ保存されているはずである。

 在月岛丸沉没后,对它的搜索却成为问题的时候,中村先生提出许多考虑方案,而还是学生的我们帮助他做了预备实验。好像是做了一个大喇叭那样的东西,把它沉入水池中,又从别处找来小锅炉沉入水底,用锤子敲打,觉得似乎听到了那声音。第二次实验,把它带到隅田川的船库前面去做,那时伙伴中的一人将锅炉扛着从栈桥坠落进水中的场面,成为难以忘怀的记忆的根源。



月島丸(つきしままる)が沈没して、その捜索が問題となった時に、中村(なかむら)先生がいろいろの考案をされて、当時学生であったわれわれがお手伝いをして予備実験をやった。なんでも大きなラッパのようなものをこしらえて、それをあの池の水中に沈め、別の所へ、小さなボイラーを沈めたのを鎚(つち)でたたいて、その音を聞くような事をやったように覚えている。第二次の実験は隅田川(すみだがわ)の艇庫前へ持って行ってやったのだが、その時に仲間の一人が、ボイラーをかついで桟橋(さんばし)から水中に墜落する場面もあって、忘れ難い思い出の種になっている。


关于坠落还有一种回忆。与三年级的某某两位一起测绘水池的水温分布。在水池的中岛放置测绘器,在小船上拉拽水温记录器,或者不时地测量水温的水平排列的垂直分布。在冬季的某一天的观测中,某君失误坠落水中,为此得了病。水温分布并不是很稀奇的事情,而测量深泥中的水温分布也许才是稀奇的事情。


墜落では一つの思い出がある。三年生の某々二君と、池の水温分布を測った事がある。池の中島にガルバをすえて、小船でサーモジャンクションを引っぱりあるいては、時々の水温の水平ならびに垂直分布を測った。冬の最中のある日に観測中に某君が誤って水中に落ち、そのために病気を起こした事もあった。水温の分布はあまり珍しい事もなかったが、深い泥(どろ)の中の分布を測ったのは、いくらか珍しいほうかもしれない。


这次观测使用的小船,如今靠在理学部的北玄关那里,处于干燥状态。过去是用大盆浮在水上代替小船,由于许多的观测所需要,委托水产讲习所造的。大概被工匠或小工拴在池塘边,因经常被人摆弄而困惑,所以就那样被拽起来放着。荷包锁也换了好几次了,马上又被毁坏了,这就无能为力了。不用说这一定是土木工程工人捣的鬼。


この観測に使った小船は、今は理学部の北玄関の壁に立てかけて乾燥状態にある。もとは大きな盥(たらい)を浮かべて船の代わりにしたものであるが、いろいろの観測に必要だというので、水産講習所へ頼んで造ってもらったものである。池につないでおくと、た,

ぶん職人か土方だろうが、よくいたずらをして困るので、ああして引き上げておくのである。ナンキン錠をいくらつけ換えても、すぐ打ちこわされるので、根気負けがしたのである。無論土方か職人のしわざに相違ない。


在水池的周围进行的磁力测量,只要有磁角就没有白费,数年来持续地做,可是材料却难以为继。根据地形说明的偏差相当显著地出现,这非常有趣,一边想着总有一天解决了就放下,一边就这样做下去。水池的断面的形状为铁板片放在电磁石之间,并且有震动铁屑,将那磁力线分布和实地进行比较的学生。


池の周囲の磁力測量、もっとも伏角だけではあるが、数年来つづけてやって来て、材料はかなりたまっている。地形によって説明されるような偏差がかなり著しく出ていておもしろいから、いつかまとめておきたいと思いながらそのままになっている。池の断面の形をした鉄板の片を電磁石の間において、それに鉄くずを振りかけて、その磁力線の分布を、実地と比較した学生もあった。


如果水池里冻上了冰,积了雪,表面出现了有趣的花纹的模样。托伊斯将其称为Dampflcher吧,其成因还未明确。田中阿歌麿氏所著《諏訪湖研究》上编七一六页有关于它的记事和照片。数年前的《罗马字世界》上也有田丸先生关于这个水池变成陆地的文章发表。在先生的请求帮助下,像往常一样,乘小船巡回调查了一番,确实是有趣的现象。


池の氷が張りつめた上に、雪が積もると、その表面におもしろい紋のような模様ができる。これはドイツで Dampflcher と称するものだそうで、この成因はあまり明らかでないらしい。田中阿歌麿(たなかあかまろ)氏著、「諏訪湖(すわこ)の研究」上編七一六ページにこれに関する記事と、写真がある。数年前の「ローマ字世界」にも田丸(たまる)先生が、この池のものについておかきになったのが出ている。先生がたのお手伝いをして、例の小船で調べて回ったこともあったが、とにかくおもしろい現象である。


前几年测量水温时的目标,水池中到处竖立的竹竿,在积了一层薄薄的雪的冰上冒出了头的情况下,竹竿在北侧呈奇妙的扇形模样。这也是很有趣的事情。关于这件事,气象集志中反而只有简单的记载。


先年水温を測る時の目じるしに、池の中のところどころに立てておいた竹ざおが雪の薄くつもった氷の上に頭を出している場合に、さおの北側へ妙な扇形の模様ができる事があった。これもおもしろいものである。これに関してはかつて気象集誌に簡単な記事を載せておいた。


水池中水的震动,即关于所谓的领主,本多先生们的调查结果来自于大学纪要的二十八卷之五。普里科应该还做过小型模型。如果要根据这个水池的水的运动作调查的话,还留下几件需要调查的事情。根据纪要,水池的测深在那时已有了结果。是一个出乎意料的很深的水池。


池の水の振動、いわゆるセイシについては、本多(ほんだ)さんたちの調べた結果が、大学紀要の二十八巻の五に出ている。ブリキで作った小さな模型もあったはずである。この池の水の運動についてもまだ調べれば調べる事がいくらでも残っている。池の測深もその時やった結果が紀要に出ている。案外深い池である。


列举自己所了解的文献来看,只有这些了,如果将关于我所不了解的学科方面举例的话,也许会特别有分量。不过以后会有多少可能性却不知道了。


自分の知っているだけの文献を数えてみても、これだけあるのだから、私などの知らない他の方面の学科に関するものをあげたら、ずいぶんな分量になるかもしれない。これから後にもまだどれだけの可能性があるかわからない。


从对这件事的反省来看,那个水池始终不想被毁了。大学的地皮不足,如果当所有的庭院和树木毁坏了的时候到来时,那个水池也许会得到保存。如果没有景色和雅致,那么作为学术上的研究资料的供给所,或者只是想保存一个试验用的水槽罢了。


こんな事を考えてみると、あの池は、いつまでもつぶしてしまいたくない。大学の地面が足りなくなって、あらゆる庭園や木立ちがつぶされる時が来ても、あの池は保存しておいてもらいたい。景色や風致がどうであるというのではなくて、何かしら学術上の研究資料の供給所として、あるいは一つの実験用水槽(すいそう)として保存してほしいのである。


顺便说一下关于那个水池构成问题。如果照某人的话,原来那儿有的泉水,由前田家的先祖挖掘,就像如今的形状那样。如此说来,水似乎是从水池的西北一隅冒出的。只有那边底下没有泥,只有碎石露出,在竹竿那里可以看见圆井就可以理解了。从那水池开始,一道狭窄的山沟向北延伸,从现在的动物地质教室底下通到弥生镇的大门,土木工程的边际好像还很明显。关于这个水池的地质学意义,如果按照区域内的钻孔结果来综合考虑的话,所有的事情都会明白了。这只能是根据空想描绘出来的事情。


 ついでながら、あの池の成り立ちについても問題がある。ある人の話では、元来あすこに泉があったのを、前田家(まえだけ)の先祖が掘り下げて、今の形にしたのだそうである。そう言えば池の西北隅(せいほくぐう)から水がわいているらしい。そのへんだけ底に泥(どろ)がなくて、砂利(じゃり)が露出している事は、さおでつついてみるとわかる。あの池から、一つの狭い谷が北のほうへ延びて、今の動物地質教室の下から弥生町(やよいちょう)の門のほうへ続いていた事が、土工の際に明らかになったそうである。この池の地学的の意味についても、構内のボーリングの結果などを総合して考えてみたら、あるいは何事かわかりはしまいか。こんな空想を描いてみる事もできる。


  文科某教授所拍的以水池为中心的照片,有几张在今天的棚屋,当年的御殿间挂着,至今还作为历史文物看待。我一直在想,如果以大学百景作一套系列版画,那该有多有趣。如果那样的事情能够成功,其中至少有十景十五景之中,一定有这个水池的一部分放入其中而截然不同。从这个程度上来说,这个水池从雅致上来看,在大学中是特别奇异的。只是经过那一夜的火灾,一切都改变了。这样的变化不用说是不可逆的变化。从此之前无论如何美丽也改变不了了,大正十二年之前,走过大学大门的人们中间曾有过的“水池”的影像,一定是火灾以前的影像。


 文科の某教授がとった、池を中心とした写真が、何枚か今のバラック御殿の間(びかん)にかかっている。今ではもう歴史的のものになってしまった。私はいつか、大学百景といったような版画のシリーズを作ったらおもしろいだろうと思った事があった。もしそんなものができるとしたら、その内の少なくも十景か十五景かの中には、きっと、この池の一部がはいっていたに相違ない。それほどに、この池は、風致の上から見た大学にとって特異なものである。それが一夜の火事でだいぶんに変わった。こういう変化は無論不可逆的変化である。これからさきどんなに美しく変わるかしれないが、大正十二年以前に、大学の門をくぐった人々の中にある「池」の影像はやはり火災以前のそれでなければならない。


  我们的水池,许多小说和感想文章所使用过的例子似乎相当少,我想这样的文献似乎是这方面的专家所想要的,所以写下了这些无人提到的事情。


(大正十三年十一月、理学部会志)


 われわれの池が、いろんな小説や感想文の場面に使われた例もなかなか少なくなさそうであるが、このほうの文献はそのほうの専門家にお願いしたほうがよいと思うから、ここではいっさい触れない事とする。


(大正十三年十一月、理学部会誌)


 

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