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短暂而无常的夏夜

(2011-09-15 13:24:27)
标签:

立秋

夏夜

竹子

莎士比亚喜剧

分类: 日本报刊杂志摘译

短暂而无常的夏夜

 

和歌曰:

靠窗群竹风吹过

秋来惊讶夏之梦(藤原公継)

 

迟来的夏天,自从过了立秋,就正式登场了。人真是随心所欲的东西,前些日子在想着“为什么豁然放晴的夏天还不来?”现在却感到“夏天高峰快过去吧!”然而在这样的夏天,已开始感到夜风的清凉,秋天已经来了。

“生长在窗边的几根竹子被风吹过,感觉到了短暂的夏夜之梦,在这清凉中,为秋天已经到来而惊讶。”(新潮日本古典集成)

有古典的和歌而保留下来的和歌,有古典的和歌是《古今和歌集》秋歌上卷首收集的名歌“秋天若不来,眼睛也看不清,风声也不令人惊讶。”(藤原敏行)

京都府立大学的文学教授赤瀬信吾解说道:“公継前面的式子内亲王的歌也是咏叹了夜风的声音。听见风吹动竹子的声音,惊叹‘秋天已经来了吗?’眼睛已经觉察到,遂有‘为秋天而惊讶’之表现,这当然是公継的和歌的着眼点。”

在和歌的世界里,“夏夜的梦”是作为“短而无常”来咏叹的。“夏夜”,一方面的是“过于短暂而无常”的,另一方面在莎士比亚的喜剧中,描写了因妖精而引起的恋爱骚动。

“超过北纬51度的伦敦与35度上下的京都相比,伦敦之夏夜更短。夏夜的形象,捕捉的方式肯定不同。”赤瀬教授说。

夏夜的形象因国度不同而又很大的不同,度过了京都严酷的夏天的我,感觉酷热变得温和的夏夜,仍然是短暂而无常的。

 

(译自多年前的日本产经新闻,作者森山昌秀)

 

短く、はかない「夏の夜」

 

窓近きいささ群竹風吹けば

秋におどろく夏の夜の夢.藤原公継

 

遅い夏は立秋が過ぎてから本番を迎えている。人は身勝手なもので、先日まで「早くカラッと晴れた夏が来ないものか」と思っていたのに、今は「早くピークを過ぎてくれ」などと感じている。そんな夏も、夜風が涼しく感に始めたら秋の訪れた。

『窓辺の近くに生えているわずかな竹むらに風が吹くと、短い夏の夜の夢も覚えて、その涼しさにもう秋が来たのかと驚いてしまう』(新潮日本古典集成)

  本歌取りの歌で、本歌は『古今和歌集』秋歌上の巻頭に収められている名歌「秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる」(藤原敏行)

 京都府立大学の赤瀬信吾教授(国文学)は「公継の直前の式子内親王の歌も、夜の風の音を詠んでいる。竹を吹く風の音を聴いたら、『もう秋なのか』と驚いて目が覚めたのを『秋におどろく』と表現したのが、公継の歌の眼目でしょう」と解説する。

 和歌の世界で「夏の夜の夢」とは「短くはかないもの」として詠まれる。「夏の夜」が、あまりに「短いものだからだ。」一方、シエークスピアに「夏の夜の夢」という喜劇があるが、こちらは妖精が巻き起こす恋騒動を描いたもの。

 「北緯51度を越すロンドンと35度くらいの京都は、ロンドンの方が夏の夜は短いはず。夏の夜のイメージ、とらえ方が違うんでしょうね」と瀬教授

夏の夜のイメージも国が違えば随分違うものだか、京都の厳しい夏を過ごす身には、暑さが和らぐ「夏の夜」はやはり、短くはかない。

文 森山昌秀

 

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