薄田泣堇 木樨之香
(2010-12-15 19:06:10)
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薄田泣堇木犀日本随笔 |
分类: 日本随笔 |
木犀の香
薄田泣菫
翻译:王志镐
「いい匂だ。木犀だな。」
私は縁端にちよつと爪立ちをして、地境の板塀越しに一わたり見えるかぎりの近処の植込を覗いてみた。だが、木犀らしい硬い常緑の葉の繁みはどこにも見られなかつた。この木の花が白く黄いろく咲き盛つた頃には、一二丁離れたところからでもよくその匂が嗅ぎつけられるのを知つてゐる私は、それを別にいぶかしくも、また物足りなくも思はなかつた。
名高い江西詩社の盟主黄山谷が、初秋のある日晦堂老師を山寺に訪ねたことがあつた。久濶(きゆうかつ)を叙しをはると、山谷は待ちかねたもののやうに、
「時につかぬことをお訊ね申すやうですが……」
と言つて、
吾無隠乎爾
といふ語句の解釈について老師の意見を仰いだものだ。この語こそは、山谷がその真義に徹しようとして、工夫に工夫を重ねたが、どこかにまだはつきりしないところがあるので、もて扱つてゐたものだつた。
“闻到木樨花的香味了吗?”
“是,闻到了。”
“那么,这就是——吾无隐乎尔吧。”
晦堂は客の言が耳に入らなかつたもののやうに何とも答えなかつた。寺の境内はひつそりとしてゐて、あたりの木立を透してそよそよと吹き入る秋風の動きにつれて、冷々とした物の匂が、あけ放つた室々を腹這ふやうに流れて行つた。
晦堂は静かに口を開いた。
「木犀の匂をお聴きかの。」
山谷は答へた。
「はい、聴いてをります。」
「すれば、それがその――」晦堂の口もとに微笑の影がちよつと動いた。「吾無隠乎爾といふものぢやて。」
山谷はそれを聞いて、老師が即答のあざやかさに心から感歎したといふことだ。
秋がだんだん闌(た)けてゆくにつれて、紺碧の空は日ましにその深さを増し、大気はいよいよその明澄さを加へてくる。月の光は宵々ごとにその憂愁と冷徹さを深め、虫の音もだんだんとその音律が磨かれてくる。かうした風物の動きを強く深く樹心に感じた木犀が、その老いて若い生命と縹渺(ひようびよう)たる想とをみづからの高い匂にこめて、十月末の静かな日の午過ぎ、そのしろがね色の、またこがね色の小さな数々の香炉によつて燃焼し、燻蒸しようとするのだ。匂は木犀の枝葉にたゆたひ、匂は木犀の東にたゆたひ、匂は木犀の西にたゆたひ、匂は木犀の南にたゆたひ、匂はまた木犀の北にたゆたひ、はては靡(なび)き流れて、そことしもなく漂ふうちに、あたりの大気は薫化せられ、土は浄化せられようといふものだ。
そして草の片葉も。土にまみれた石ころも。やがてまた私の心も……
されています。

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