日中阅读 舞姬(二)
(2009-12-29 20:22:08)
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分类: 日本随笔 |
舞姬(二)
彼(かの)人々の嘲るはさることなり。されど嫉むはおろかならずや。この弱くふびんなる心を。
他们的嘲笑是应该的,不过对我这柔弱而笨拙的心来说,忌妒是否太傻了呢?
赤く白く面(おもて)を塗りて、赫然(かくぜん)たる色の衣を纏(まと)ひ、珈琲店(カツフエエ)に坐して客を延(ひ)く女(をみな)を見ては、往きてこれに就かん勇気なく、高き帽を戴き、眼鏡に鼻を挾ませて、普魯西(プロシヤ)にては貴族めきたる鼻音にて物言ふ「レエベマン」を見ては、往きてこれと遊ばん勇気なし。此等の勇気なければ、彼活溌なる同郷の人々と交らんやうもなし。この交際の疎(うと)きがために、彼人々は唯余を嘲り、余を嫉むのみならで、又余を猜疑することゝなりぬ。これぞ余が冤罪(ゑんざい)を身に負ひて、暫時の間に無量の艱難(かんなん)を閲(けみ)し尽す媒(なかだち)なりける。
看到脸上涂红抹白,身穿艳服坐在咖啡厅招呼客人的女性,我并没有前往搭讪的勇气;
看到戴着高帽子,鼻梁上架着眼镜,以普鲁士贵族惯用的鼻音说话的纨裤子弟,也没有前去和他们游玩的勇气。因为缺乏这些勇气,自然无法和活泼的同乡们交往,也因为疏于交往,他们不只嘲讽我、忌妒我,还对我猜疑。这是我身负冤罪,短时间历经无限艰难的原因。
或る日の夕暮なりしが、余は獣苑を漫歩して、ウンテル、デン、リンデンを過ぎ、我がモンビシユウ街の僑居(けうきよ)に帰らんと、クロステル巷(かう)の古寺の前に来ぬ。余は彼の燈火(ともしび)の海を渡り来て、この狭く薄暗き巷(こうぢ)に入り、楼上の木欄(おばしま)に干したる敷布、襦袢(はだぎ)などまだ取入れぬ人家、頬髭長き猶太(ユダヤ)教徒の翁(おきな)が戸前(こぜん)に佇(たゝず)みたる居酒屋、一つの梯(はしご)は直ちに楼(たかどの)に達し、他の梯は窖(あなぐら)住まひの鍛冶(かぢ)が家に通じたる貸家などに向ひて、凹字(あふじ)の形に引籠みて立てられたる、此三百年前の遺跡を望む毎に、心の恍惚となりて暫し佇みしこと幾度なるを知らず。
某日黄昏,我漫步兽苑,过菩提树下大街准备回蒙比修(Monbijou)的侨居地,来到库洛斯提尔(Kloster)巷的古教堂前。不知有多少次,我的目光经过灯海,进入这狭窄而昏暗的巷子。
巷子里有垫被、内衣裤晒在楼上栏杆尚未收进去的人家;长胡子的犹太教老翁伫立门前的小酒馆。望着呈凹字型竖立的这三百年前的遗迹,内心恍惚伫立良久。
今この処を過ぎんとするとき、鎖(とざ)したる寺門の扉に倚りて、声を呑みつゝ泣くひとりの少女(をとめ)あるを見たり。年は十六七なるべし。被(かむ)りし巾(きれ)を洩れたる髪の色は、薄きこがね色にて、着たる衣は垢つき汚れたりとも見えず。我足音に驚かされてかへりみたる面(おもて)、余に詩人の筆なければこれを写すべくもあらず。この青く清らにて物問ひたげに愁(うれひ)を含める目(まみ)の、半ば露を宿せる長き睫毛(まつげ)に掩(おほ)はれたるは、何故に一顧したるのみにて、用心深き我心の底までは徹したるか。
我正想经过这地方时,看到一位少女在深锁的教堂门前啜泣,年纪大约十六、七岁。露在头巾外的是金黄色的头发,所穿的淡金黄色衣服也满干净的,听到我的脚步声回过头来的脸,不是诗人的我无法描述。明亮中隐含忧郁的眼睛,在含泪的长长睫毛下,为何只一回眸就深入我心坎呢?
彼は料(はか)らぬ深き歎きに遭(あ)ひて、前後を顧みる遑(いとま)なく、こゝに立ちて泣くにや。わが臆病なる心は憐憫(れんびん)の情に打ち勝たれて、余は覚えず側(そば)に倚り、「何故に泣き玉ふか。ところに繋累(けいるゐ)なき外人(よそびと)は、却(かへ)りて力を借し易きこともあらん。」といひ掛けたるが、我ながらわが大胆なるに呆(あき)れたり。
她是遭到意外事件无法解决而站在这里哭泣吗?我懦弱的心被怜悯之情打败,自然地走近她身边问:「为什么哭泣呢?我这无家累的外国人,或许反而帮的上忙也说不定。」我对自己的大胆感到惊讶!
彼は驚きてわが黄なる面を打守りしが、我が真率なる心や色に形(あら)はれたりけん。「君は善き人なりと見ゆ。彼の如く酷(むご)くはあらじ。又(ま)た我母の如く。」暫し涸れたる涙の泉は又溢れて愛らしき頬(ほ)を流れ落つ。
她吃了一惊,盯着我这黄面孔看,或许是我真挚的心形于色,她说:「你看来是好人。不像他那么残酷,也不像我母亲那样。」才稍稍停下的泪泉又再度涌出,沿着可爱的脸颊留下。
「我を救ひ玉へ、君。わが恥なき人とならんを。母はわが彼の言葉に従はねばとて、我を打ちき。父は死にたり。明日(あす)は葬らでは(かな)はぬに、家に一銭の貯(たくはへ)だになし。」
跡は欷歔(ききよ)の声のみ。我眼(まなこ)はこのうつむきたる少女の顫(ふる)ふ項(うなじ)にのみ注がれたり。
之后,只是哭泣。我的眼光一直落在少女低着头而颤抖的颈子上。
「君が家(や)に送り行かんに、先(ま)づ心を鎮(しづ)め玉へ。声をな人に聞かせ玉ひそ。こゝは往来なるに。」彼は物語するうちに、覚えず我肩に倚りしが、この時ふと頭(かしら)を擡(もた)げ、又始てわれを見たるが如く、恥ぢて我側を飛びのきつ。
人の見るが厭はしさに、早足に行く少女の跡に附きて、寺の筋向ひなる大戸を入れば、欠け損じたる石の梯あり。これを上ぼりて、四階目に腰を折りて潜るべき程の戸あり。少女は(さ)びたる針金の先きを捩(ね)ぢ曲げたるに、手を掛けて強く引きしに、中には咳枯(しはが)れたる老媼(おうな)の声して、「誰(た)ぞ」と問ふ。エリス帰りぬと答ふる間もなく、戸をあらゝかに引開(ひきあ)けしは、半ば白(しら)みたる髪、悪(あ)しき相にはあらねど、貧苦の痕を額(ぬか)に印せし面の老媼にて、古き獣綿の衣を着、汚れたる上靴を穿(は)きたり。エリスの余に会釈して入るを、かれは待ち兼ねし如く、戸を劇(はげ)しくたて切りつ。
我跟在快步走怕被人看见的少女背后,一进入教堂斜对面的大门,是座有缺损的石梯。
登上石梯,在第四阶有一道弯腰可容身的门。少女旋转已生锈的钥匙,在门把上用力一拉,
里面传出老太婆嘶哑的声音「谁啊?」少女回答「艾丽斯」回来了!」很快地门碰地打开了,出来的是发已半白、长相并不难看的老婆婆;她的额头上深深铭刻着贫苦的痕迹,身上穿着旧棉衣和肮脏的拖鞋,对艾丽斯向我招呼后才进去的行为,她似乎等的不耐烦,用力地把门关上。
余は暫し茫然として立ちたりしが、ふと油燈(ラムプ)の光に透して戸を見れば、エルンスト、ワイゲルトと漆(うるし)もて書き、下に仕立物師と注したり。これすぎぬといふ少女が父の名なるべし。内には言ひ争ふごとき声聞えしが、又静になりて戸は再び明きぬ。さきの老媼は慇懃(いんぎん)におのが無礼の振舞せしを詫(わ)びて、余を迎へ入れつ。戸の内は厨(くりや)にて、右手(めて)の低きに、真白(ましろ)に洗ひたる麻布を懸けたり。左手(ゆんで)には粗末に積上げたる煉瓦の竈(かまど)あり。正面の一室の戸は半ば開きたるが、内には白布(しらぬの)を掩へる臥床(ふしど)あり。伏したるはなき人なるべし。竈の側なる戸を開きて余を導きつ。この処は所謂(いはゆる)「マンサルド」の街に面したる一間(ひとま)なれば、天井もなし。隅の屋根裏よりに向ひて斜に下れる梁(はり)を、紙にて張りたる下の、立たば頭(かしら)の支(つか)ふべき処に臥床あり。中央なる机には美しき氈(かも)を掛けて、上には書物一二巻と写真帖とを列(なら)べ、陶瓶(たうへい)にはこゝに似合はしからぬ価(あたひ)高き花束を生けたり。そが傍(かたはら)に少女は羞(はぢ)を帯びて立てり。
我茫然呆立片刻。突然有灯光透出,仔细一瞧,门上用漆写着「耶伦斯特瓦依格鲁特」,
下面注「裁缝师」——这该是少女那死去父亲的名字。门里传出争吵声,静下来后门又打开了,老婆婆诚恳的对刚才的无理举动向我道歉,欢迎我进屋。门内是间厨房,右手边矮窗上挂着洗得洁白的麻布,左手边有用砖杂乱砌成的灶。正面的房间门半掩着,里面有铺着白布的床铺,有人正伏在床边哭。打开灶边的门让我进去,里面是一间面街的小房间。由于是顶楼,没有天花板,屋顶便笔直地向窗边成一大斜角而床铺,便位于糊着纸的梁柱下边,只要一抬头,就会碰到屋顶。我看见房间中央的桌子,上面铺着美丽的鹿毛毡子,有一、二本书与相簿并列着,陶瓶里插着不相称的高贵花束。旁边少女含羞地站着。
彼は優(すぐ)れて美なり。乳(ち)の如き色の顔は燈火に映じて微紅(うすくれなゐ)を潮(さ)したり。手足の繊(かぼそ)く(たをやか)なるは、貧家の女(をみな)に似ず。老媼の室(へや)を出でし跡にて、少女は少し訛(なま)りたる言葉にて云ふ。「許し玉へ。君をこゝまで導きし心なさを。君は善き人なるべし。我をばよも憎み玉はじ。明日に迫るは父の葬(はふり)、たのみに思ひしシヤウムベルヒ、君は彼を知らでやおはさん。彼は「ヰクトリア」座の座頭(ざがしら)なり。彼が抱へとなりしより、早や二年(ふたとせ)なれば、事なく我等を助けんと思ひしに、人の憂に附けこみて、身勝手なるいひ掛けせんとは。我を救ひ玉へ、君。金をば薄き給金を析(さ)きて還し参らせん。縦令(よしや)我身は食(くら)はずとも。それもならずば母の言葉に。」彼は涙ぐみて身をふるはせたり。その見上げたる目(まみ)には、人に否(いな)とはいはせぬ媚態あり。この目の働きは知りてするにや、又自らは知らぬにや。
明天就是父亲的葬礼,原先认为薛姆贝尔比——我想你大概不认识他,他是维克特利亚舞团的团长,接管舞团已有二年——可以依靠,会帮助我们,谁知竟乘人之危做出损人利己的事。请你救救我,我会拿微薄的薪水来还你,纵使没饭吃也一定做到;如果这样还不行,我就只有听从母亲的话……」她眼中含泪身体颤抖,头抬起的眼神有一种无法使人抗拒的魅力。或许她知道自己这双眼睛的魅力?或许她自己也不知道?
我が隠しには二三「マルク」の銀貨あれど、それにて足るべくもあらねば、余は時計をはづして机の上に置きぬ。「これにて一時の急を凌(しの)ぎ玉へ。質屋の使のモンビシユウ街三番地にて太田と尋ね来(こ)ん折には価を取らすべきに。」
我虽藏有二、三马克的银币,但是这还不够,所以我解下手表放在桌上。「拿这手表应一时之急吧!拿到蒙比修街三号的当铺,说名叫太田的人会来赎回去。」
少女は驚き感ぜしさま見えて、余が辞別(わかれ)のために出(いだ)したる手を唇にあてたるが、はら/\と落つる熱き涙(なんだ)を我手の背(そびら)に濺(そゝ)ぎつ。
少女露出惊讶的神情,轻吻我伸出要道别的手,眼泪扑簌簌的洒在我的手背上。
嗚呼、何等の悪因ぞ。この恩を謝せんとて、自ら我僑居(けうきよ)に来(こ)し少女は、シヨオペンハウエルを右にし、シルレルを左にして、終日(ひねもす)兀坐(こつざ)する我読書の下(さうか)に、一輪の名花を咲かせてけり。この時を始として、余と少女との交(まじはり)漸く繁くなりもて行きて、同郷人にさへ知られぬれば、彼等は速了(そくれう)にも、余を以(も)て色を舞姫の群に漁(ぎよ)するものとしたり。われ等二人(ふたり)の間にはまだ痴(ちがい)なる歓楽のみ存したりしを。
呜呼!这是什么不祥之缘呢?少女为了向我道谢,亲自来到我寄寓处,在右边是叔本华,左边是席勒——我整天端坐读书的窗下,如一朵名花绽放。从那时候起,我和少女的交往逐渐频繁,同乡的人知道后,以为我是在舞姬群中猎色,我们两人之间存在着只是愚痴而天真的欢乐。
その名を斥(さ)さんは憚(はゞかり)あれど、同郷人の中に事を好む人ありて、余が屡(しば/\)芝居に出入して、女優と交るといふことを、官長の許(もと)に報じつ。さらぬだに余が頗(すこぶ)る学問の岐路(きろ)に走るを知りて憎み思ひし官長は、遂に旨を公使館に伝へて、我官を免じ、我職を解いたり。公使がこの命を伝ふる時余に謂(い)ひしは、御身(おんみ)若し即時に郷に帰らば、路用を給すべけれど、若し猶こゝに在らんには、公の助をば仰ぐべからずとのことなりき。余は一週日の猶予を請ひて、とやかうと思ひ煩ふうち、我生涯にて尤(もつと)も悲痛を覚えさせたる二通の書状に接しぬ。この二通は殆ど同時にいだしゝものなれど、一は母の自筆、一は親族なる某(なにがし)が、母の死を、我がまたなく慕ふ母の死を報じたる書(ふみ)なりき。余は母の書中の言をこゝに反覆するに堪へず、涙の迫り来て筆の運(はこび)を妨ぐればなり。
同乡中有好事者,把我屡次出入舞团与舞姬交往的事向长官报告。原已讨厌我步入学问歧途的长官,最后终于要公使馆转达免职的命令。公使对我说:「你即刻束装返国还可以给你旅费,要是仍然滞留不归,就别想得到公家的任何补助。」我请求宽限一星期,当我正为这件事烦恼的时候,接到了生平最感悲痛的两封信。这两封信几乎是同时寄出的,一封是母亲的亲笔函,另一封是亲戚寄来的,告知我日夜思慕的母亲逝世的噩耗。母亲信中的话恕我无法在此写出,因为泪水已使我无法下笔。
余とエリスとの交際は、この時までは余所目(よそめ)に見るより清白なりき。彼は父の貧きがために、充分なる教育を受けず、十五の時舞の師のつのりに応じて、この恥づかしき業(わざ)を教へられ、「クルズス」果てゝ後、「ヰクトリア」座に出でゝ、今は場中第二の地位を占めたり。されど詩人ハツクレンデルが当世の奴隷といひし如く、はかなきは舞姫の身の上なり。薄き給金にて繋がれ、昼の温習、夜の舞台と緊(きび)しく使はれ、芝居の化粧部屋に入りてこそ紅粉をも粧ひ、美しき衣をも纏へ、場外にてはひとり身の衣食も足らず勝なれば、親腹からを養ふものはその辛苦奈何(いかに)ぞや。されば彼等の仲間にて、賤(いや)しき限りなる業に堕(お)ちぬは稀(まれ)なりとぞいふなる。エリスがこれを(のが)れしは、おとなしき性質と、剛気ある父の守護とに依りてなり。彼は幼き時より物読むことをば流石(さすが)に好みしかど、手に入るは卑しき「コルポルタアジユ」と唱ふる貸本屋の小説のみなりしを、余と相識(あひし)る頃より、余が借しつる書を読みならひて、漸く趣味をも知り、言葉の訛(なまり)をも正し、いくほどもなく余に寄するふみにも誤字(あやまりじ)少なくなりぬ。かゝれば余等二人の間には先づ師弟の交りを生じたるなりき。我が不時の免官を聞きしときに、彼は色を失ひつ。余は彼が身の事に関りしを包み隠しぬれど、彼は余に向ひて母にはこれを秘め玉へと云ひぬ。こは母の余が学資を失ひしを知りて余を疎(うと)んぜんを恐れてなり。
到这时为止,我与艾丽斯的交往,比旁观者看到的清白。她因父贫无法接受良好的教育,十五岁应征为舞姬,接受训练后进入舞团,现为团里的第二把交椅。但正如诗人哈克连提尔所说:舞姬是社会的奴隶,无常常是舞姬的遭遇;舞姬们的薪水微薄而工作辛苦。她们白天反复排练,晚上表演场次频繁;进入化妆室擦红粉,着华丽衣裳;在场外却连自己都养不饱,何况还要养父母、兄弟!因此听说在同伴中鲜有不堕入操贱业者。艾丽斯能逃的掉主要是因为个性纯朴及正直父亲的看护。她自幼喜欢读书,但是能拿到手中的尽是出租店的低级小说;
和我认识之后,读我借她的书,也逐渐念出趣味来,不但口音改正了,连寄给我的信中错字也减少了。这么一来,我们两人之间首先有了师生的情谊。她听到我遽遭罢免官职,脸色大变。我没告诉她这件是和她有关,而他也央求我不要把免官之事告诉她母亲,她担心她母亲会因为我没了学费而冷淡我。
嗚呼、委(くはし)くこゝに写さんも要なけれど、余が彼を愛(め)づる心の俄(にはか)に強くなりて、遂に離れ難き中となりしは此折なりき。我一身の大事は前に横(よこたは)りて、洵(まこと)に危急存亡の秋(とき)なるに、この行(おこなひ)ありしをあやしみ、又た誹(そし)る人もあるべけれど、余がエリスを愛する情は、始めて相見し時よりあさくはあらぬに、いま我数奇(さくき)を憐み、又別離を悲みて伏し沈みたる面に、鬢(びん)の毛の解けてかゝりたる、その美しき、いぢらしき姿は、余が悲痛感慨の刺激によりて常ならずなりたる脳髄を射て、恍惚の間にこゝに及びしを奈何(いか)にせむ。
呜呼!详情不必写在这儿,但我喜欢她的心情遽然增加,最后离不开她就是这时候造成的。
关系我前途的大事就在眼前,诚属存亡危急之秋,或许有人对我的行为感到可疑而诽谤我;
但是我爱艾丽斯之情,比初次见面时还深。艾丽斯那因为同情我命运坎坷,也悲伤别离而低垂着的脸上,鬓毛散开、娇艳含羞的姿态,直冲我因悲痛、感慨而反常的脑髓─—恍惚之间,两人发生了关系,这又有什么办法呢?
公使に約せし日も近づき、我命(めい)はせまりぬ。このまゝにて郷にかへらば、学成らずして汚名を負ひたる身の浮ぶ瀬あらじ。さればとて留まらんには、学資を得べき手だてなし。
与公使约定的日子逐渐接近。如果就这样子回国,那么学业无成,徒负污名,天地将无可容身之处,但想留下却又筹不到学费。
此時余を助けしは今我同行の一人なる相沢謙吉なり。彼は東京に在りて、既に天方伯の秘書官たりしが、余が免官の官報に出でしを見て、某新聞紙の編輯長(へんしふちやう)に説きて、余を社の通信員となし、伯林(ベルリン)に留まりて政治学芸の事などを報道せしむることとなしつ。
这时候,同行之一的相泽谦吉对我伸出了援手。他是天方伯爵的秘书,人虽然在东京,但在官方报告上看到我被免官的消息后,就向某报的总编辑推荐,让我成为该报的通讯员,留在柏林作政治、文化方面的报导。
社の報酬はいふに足らぬほどなれど、棲家(すみか)をもうつし、午餐(ひるげ)に往く食店(たべものみせ)をもかへたらんには、微(かすか)なる暮しは立つべし。兎角(とかう)思案する程に、心の誠を顕(あら)はして、助の綱をわれに投げ掛けしはエリスなりき。かれはいかに母を説き動かしけん、余は彼等親子の家に寄寓することゝなり、エリスと余とはいつよりとはなしに、有るか無きかの収入を合せて、憂きがなかにも楽しき月日を送りぬ。
报社的酬劳微不足道,不过更换一下住所、午餐的地点或许还可勉强度日。当我正为此烦恼时,对我抛出救命绳索的是艾丽斯。她不知怎么说动她母亲,让我寄居在她们家中,艾丽斯和我很自然地以两人微薄的收入,再忧患中过着快乐的时日。

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