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日语综合教程第五册紅山桜

(2009-06-21 08:45:48)
标签:

樱树

辰野和男

日语综合教程

日本散文

分类: 综合日语第五册

日语综合教程第五册第七课  红山樱

翻译:王志镐

 

关于作者:辰野和男,1939年出生于东京都,原为新闻记者。主要著作有《反文明的岛屿》,《文章的写法》。

课文注释:

1.  红山樱:蔷薇科的山樱的一种,比普通山樱色色彩更红,所以称红山樱,花稍微大,又称大山樱。叶子的萌芽的同时花即开放。分布在日本本州中部到北海道广大地区,北海道人称为虾夷山樱。

2.  樱前线:染井吉野樱(日本樱树的一种)开花的前线。

3.  弹誓上人(1551—1613)室町时代末期到江户前期的净土宗的僧人。

4.  游行圣:在各地行脚修业的僧人。

5.  新泻:(1)位于日本中部地方的东北部,靠近日本海的一个县,属越后,佐渡两地管辖。面积1.2581平方公里,人口249.1万。

2)新泻县中部的市,县厅所在地。位于信浓川河口的港湾都市,成为根据1858年日美修好通商条约日本海沿岸唯一的开港阜。

6.  东北:日本的福岛,宫城,岩手,青森,山形,秋田六县的总称。如东北地方。

7.  红垂枝樱树:“垂枝”是江户彼岸樱花园艺中的一种,枝长,红色的花朵特别浓艳。

8.  瀑布樱树:树龄达数百年的国家指定之天然纪念物。

9.  山毛榉:山毛榉科落叶乔木,生长于山地,五月开淡绿色的花。

10.旌节花:旌节花科落叶乔木,生长于山地,春天先于叶子开黄色的花,呈穗状下垂。

11.襟裳岬:位于北海道日高山脉南端,突出在太平洋的海岬。附近海域由于是寒流与暖流的汇合点,容易发生海雾。

12.大花朵的延龄草,蜀葵:百合科多年生草,分布在日本本州中部以北及北海道,四五月份,草茎之上开一朵大型白花。

13.蝦夷大桜草:桜草科多年生草,分别于日本本州中部以北及北海道,六七月份,开深红色的4-8个轮状花朵。

14.辛夷:木莲科落叶乔木,春天先于叶子开带芳香的白色花朵。

15.枫树:枫科落叶乔木,叶子呈手掌状。

16.鸭跖草:又称露草,夏天开青色花朵,是露草科一年生草。

17.箱根:神奈川县西部的风景胜地。

18.阿弥陀寺:位于神奈川县足柄下郡的净土宗寺。

 

 

课文内容:

有这么一个传说:从前,有一位名叫弹誓上人的云游高僧砍了一棵樱树,并着手在上面刻自己的形象,正在这时,突然从树上流出了热血。上人马上停止了雕刻,并将袈裟盖在上面,放入箱子。

在樱花之中,尤其是看见了深红色的红山樱后,我感到从樱树上流出热血的传说,是活生生发生在眼前的事情。

这次探寻北方樱花之旅,是与家住新泻的摄影家高波重春一起去的。

所到之处,我睡在旅店热乎乎的榻榻米上,而高波先生却睡在停在河边或公园旁的他所喜欢的乘用车里。不管怎么劝,他也不改在车内睡觉的习惯。每年一到春天,他就追随着樱花前线在全国到处跑,大概有二十年了,他就这样坚持拍摄樱花。

与高波先生一起旅行非常愉快。在摄影的空档儿,他用方言自嘲自己,真是妙语连珠。什么“不管怎么拍,也拍不出像样的。”什么“每当看到这样的景色,觉得把它收到这样四四方方的照片里真是太傻了。不过只好下跪了。”当他说这话时,显得非常起劲的样子。其实岂止下跪,在那样的时候,高波先生还得扛着三脚架左右来回跑动。

看了东北地方和北海道的樱花,我在许多时候为它们的坚韧顽强所震惊。

福岛县的三春镇,那里有巨大的红垂枝樱树和树龄达几百年的泷樱树,虽然离樱花盛开的日子稍稍晚了一点,可是当樱花的瀑布拍打着我的身体,它们那怪物般的强壮的树干和树枝,让我看得简直入迷了。比我先到并一直在拍照的高波先生惋惜地说:“三天前的景色最好,多么想让你在最美好的时候看到它们呀!”他还说:“要拍到樱花最好状态,一年之中只有一天,而在那一天之中只有一瞬间。”而作为我来说,无论什么时候看到的花都是花,初绽花蕾的樱花也好,沾满泥土的花瓣也好,不过如果要给它们拍照的话,“一年中的一瞬间之说”也许能成立吧。

夜间吸收了充分水分的花,被清晨柔和的阳光笼罩和映照着,那一瞬间据说真是美妙无比。相反,听说如果被干燥的风持续吹过,花的表面会变得很粗燥。正如摄像师所说的:“所以嘛,我的取景就是反复的祈祷。”

我们从福岛到青森,为探寻樱花而徘徊彷徨,南下一直来到汤濑。沿着汤濑的山谷观赏到了满开的樱花,决定在这里静下心来住几天。高波先生花了半天时间寻找第二天清晨的拍摄地点,他站在那里,长时间地凝视着樱花,自言自语地说:“与樱花对话之类的事情,也许是我考虑过度了吧。”

“作为樱花一方,因为它自己喜欢才开花。归根结底我是单相思吧。清晨一个人与山中的樱花相对,我不由自主地想到:此时此刻只有我和樱花两者共享时间和空间。这么一想,我不禁有一种恐惧感。樱花有一种超越美的恐惧,虽然感到恐惧,但还是那么吸引人。我就是想要把这一瞬间用映像记录下来。”

尽管马上要到五月份了,半夜三更却下起雪来。第二天清晨六点,醒来时雪还一直在下着,樱花被白纱似的世界衬托着。我找到了停在河边的乘用车,原以为同伴会很沮丧,可是他却说:“在多雪的地方总是这样,将雪和樱花同时拍摄在一起,真是绝妙的巧合。”可见他的情绪很好,似乎在抑制自己激动的心情。

我一个人进入了漫天飞雪的汤濑山,作为对同伴“单相思”的同情,我自己也想体验一下一个人面对樱花的心情。

雪变成了雨夹雪,雨夹雪又转雪。虽然遭受了雪害,樱花却几乎没有散落。它们紧紧抓住树枝,此刻正士气高昂,似乎在说:这点雪怎么能把我们打落呢?雪霁云散,又见阳光。在冰冷刺骨的透明空气中,山毛榉的新芽在发光,旌节花的黄花在闪耀。

山间小溪边有一棵离群的樱树,这是一棵大得出奇的樱树,如果叫一声“喂”,它好像会回一声“喂”。它断然离开树群,地点选得很好,树干又粘又滑,黑黝黝的。

沐浴在阳光中的一朵朵樱花,一片片花瓣散发着芳香,怎么形容它呢?它正放射出一种舒畅的情感。

“静心”花的散落样子,古人曾歌颂过。可是现在这棵红山樱才是真正地不断地开着“静心”花。它不为持续的雨雪所动,也不想匆匆凋谢。

这棵离群樱树发出的情感,不就是“静心”吗?在长时间与它相对期间,这种“静心”正在悄悄进入我这一边,似乎正在将潜藏在我的心灵深处的骚动消解,我体会到了这种感觉。

午后晚些时候,我与高波先生见面了。我边吃拉面边问,拍到好照片了吗?

同伴摆出自嘲的姿态,说:“即使觉得拍到了好照片,但是一洗出来便觉得很空虚。”听他的口气,情况似乎还不错。

他还说,通过取景器观察景物时,那种感动在照片上无法表现出来,真是令人着急。这可能是真心话吧。

因为着急,就用“来年再来吧”这样的话来激励自己。“来年再来吧”这句话也就成了反复来这里拍照的动力源泉。刚开始拍摄樱花的时候,他还是个二十岁的青年,而现在已经过了四十了。

冬天期间,他在新泻干一些开除雪车之类的工作,以筹集摄影的资金。也干过一些农活,从种子开始培育过几种樱树。“东京的街道,不管怎么说,让人感到是一种无机质的世界,于是来到新泻,继续这种贴近土壤,豁出命去感受大地的生活。对我来说,除了这种生活,就没有其他的生存道路了,我坚信这一点。”

在秋田分手时,我问:

“还继续对樱花单相思吗?”

“我会继续拍照直到死为止。樱花赋予我生命力,我这一生,也许要依靠樱花过一辈子了吧。”说完这话,腼腆的摄影师又加了一句:“话是这么说,能走到哪一步还不知道呢。”

高波先生回新泻去了,我回了一次东京,五月中旬,又向北海道的襟裳岬出发了。这一次想看樱花凋落的样子,是一次没有同伴的旅行。

到了襟裳镇的庶野,我在海边一家小旅馆住下。耳畔伴着海浪的喧嚣和雨声睡了。第二天雨还在下,雨变小之后,吹过海峡的风刮得更猛烈了。

旅店老板娘说:“这里总是这样,雨停了就刮风,刚开始刮风又下雨。”第三天雨还在下。

这么一来,我就不能静心地等下去了。我说要去欣赏散落在雨雪之中的樱花,老板娘屡次端详着我那异想天开的脸,对我说:刚下了切面,至少也要吃点东西,暖暖身子再动身吧。我说谢谢,便吃了面。老板娘又说:一个人走路危险,要是碰上了狗熊就不得了了,边说边借给我一个哨子。

穿过镇上引以为荣的樱花公园,进入了树林小道的深处,果然不见人影。雨中的蜀葵开着白色花朵,看上去很显眼。侧面的风吹来,将虾夷大樱草花吹得剧烈摇摆。有被风吹落的樱花,也有未凋谢的樱花。本来是打算来看凋谢的樱花的,然而我看到的北国樱花,迎着风雪继续傲然开放,其风采使我的情趣倍增。

我的手冻僵了,浑身都湿透了,在这样行走的时候,突然视野一下子开阔了。

远景是连绵的雪山,近处的山峦上开着木兰花,落叶松看上去泛出淡淡的绿色。赤褐色的一带可能是枫树和山毛榉树的新芽吧。在那赤褐色的火焰之中点缀着红山樱的身影。我站住了,在这么站着的时候,看见了淡蓝色的天空。风中的水珠闪着银色的光芒。

我走近了仰望樱花。花瓣上有好像被爪子挠伤的痕迹,有红色褪去的部分,这是与风雨搏斗的痕迹。从这伤痕,我看见了樱花的生命力。

在樱花上时常可以看见令人不快的阴郁,看见变化无常,看见死亡的相貌。然而也时常可以看见生命的喜悦表情,看见坚韧顽强,看见丰收的预兆。我们去探寻从未见过的樱树的秘密之一,不就是想看看这棵樱树是否有两面性吗?

事后,我去了箱根,见到了阿弥陀寺收藏的《弹誓上人绘词传》。确实,从眼光锐利的上人雕刻过的樱树上,正流着鲜红的血。

相信樱树热血传说的古人,看见了樱花的灵性,还一定在这灵性中看到了令人畏惧的,旺盛的生命力,恕我专断地做了这样的解释。

                     (根据朝日新闻的《世界花之旅一》)

 

 

 

 

 

紅山桜

――辰野和男

昔、弾誓上人という遊行聖が桜の木を切って自分の姿を刻みはじめたところ、たちまちその木から熱血が流れでたという。上人は直ちに刻むのをやめて、袈裟で覆い、箱に入れた、という伝説がある。

桜のなかでもとりわけ、紅山桜をみていると、熱血が流れでというこの伝説がなまなましく、身近な物に思えてくる。

北の桜を尋ねる今回の旅は、新潟に住む写真家、高波重春さんと一緒にだった。

私は行く先々の旅館でぬくぬくと畳の上に寝たが、高波さんは川辺や公園内で寝る習慣を変えなかった。毎年、春になると、桜前線を追って全国を走り回る。

ほぼ二十年、そうやって桜を取り続けている人だ。

高波さんとの旅はたのしかった。撮影の合間に「いっくら撮ってもろくなもんできねえけど」「こんげな景色見てんと、写真というちんけえ四角の枠にあさめんのがばからしくなっちゃう。ただもう、ひざまずくしかないなあ」と自嘲のお国ことはが飛び出す時間は、結構調子に乗っている様子だった。ひざまずくどころか、そんな時の高波さんは三脚をかついで右に左にかけ回った。

東北や北海道の桜をて、そのしぶとさに驚かされることが多かった。福島県社三春町にある紅枝垂の巨木、滝桜はわずかに盛りをすぎていたが、私は花の滝に打たれながら、その幹や枝の怪物しめたたくましさに見とれた。私よりも先に着いて撮影を続けていた高波さんは「三日前が最高でした。最高のとき見てもらいたかったなあ」と残念がった。「最高の状態の桜の花が撮れるのは一年の内の一日、一日の内の一時ですね」とも言った。私としては、花はいつ見ても花だと思いたい。つぼみの桜もいいし、泥にまみれた花びらもいい。だが写真を撮るとなると、「一年、いっとき説」も成り立つのだろう。

夜の内に十分に水分を吸った花が早朝の柔らかな光に包まれて照りはえる。その一瞬がすばらしという。逆に乾いた風にさらされ続けると、花の表情はおおざっぱなものになってしまう、のだそうだ。「ですからおらの取材は祈りの繰り返しです。」と写真家はいった。

私たちは福島から青森へと桜を求めてさまよい、南に下って秋田の湯瀬に着いた。湯瀬の山や沢ぞいに咲く紅山桜を見て、二、三日腰をすえることをきめた。高波さんは翌朝の撮影地点をさぐるのに半日を費やした。立ち止って、長い間、桜を見詰め、桜を見詰め、「桜と対話するなんていうのは、こちらの思い過しだろうな」とつぶやいた。

「桜のほうは、好きで咲いているわけですし、しょせんは片思いなのでしょうが、早朝ひとりで山の中の桜と相対していると、ああ今おらはこの桜と二人きりで時間と空間をと共にしているという思いがあって、相思いながらも怖くなることがあるんです。桜には美しさを超えた恐ろしさがあり、恐ろしいと思いながらもひきこまれます。その瞬間を映像にしたいと思いますね」

もうすぐ五月だというのに、夜ふけて雪になった。翌朝六時、目覚めると雪はまだ降り続き、桜は白い紗のむこうにあった。川辺に停車中のワゴンを探し当てた。肩を落としているだろうと思った愛棒は「雪国はいつもこうです。はやる心を抑えている様子だった。

私は雪の降りしきる湯瀬の山へひとりで入った。わが相棒の「片思い」に同情したこともあったし、私自身もまた、ひとりで桜にむかいたいという気分になっていた。

雪はみぞれになり、みぞれがまた雪になった。雪に打たれながらも、花はほとんど散らない。これしきのことで、散かってたまるかという調子でしがめついている。雪がやんだ。雲が割れて、日がさす。切り裂くような透明な空気の中で、ぶなの新芽が光る。キブシの黄の花が輝く。

谷川のそばに一本のはぐれ桜があった。やあと呼びかければ、やあと答えてくれそうな、ほどほどの大きさの紅山桜だった。ぐれからきっぱりとはなれているところがいい。幹がぬれぬれと黒い。

 

光を浴びて、桜の花の一つ一つ、花びらの一枚一枚がにおいたち、なんというか、すっきりとした情念を放っている。

「しず心なく」花の散かる様を、古人は歌った。だが、今、この紅山桜はまさに「しず心」で咲き続けている。降り続いた雪や雨に動ずることもなく、散り急ぐこともない。

はぐれ桜が発している情念とは、しず心そのものではないか。長い間向き合っているうちに、そのしず心がこちら側に忍び込み、心の奥底に潜むしこりのような物を溶かし去ってくれるような、そんな感じを味わった。

午後遅く、私は高波さんと落ち合った。ラーメンを食べながら、いい写真が取れただろうかとたずねた。

「いいのが撮れたと思ってても、現像があがってくるとむなしくなります」と相棒は自嘲の姿勢である。調子はまずまずだったらしい。

ファインダーをのぞいている時の感動が写真にするとでてこない、それがもどかしい、ともいった。これは本音だろう。

もどかしいから「来年こそは」と自分を追い立てる。「来年こそは」が撮影を繰り返す力の源になる。桜を撮り始めた時、はたちだった青年が今は四十歳を超えている。

冬は、新潟にで除雪車を走らせる仕事をして撮影の資金をかせぐ。百姓の仕事もする。何種類もの桜を種から育てている。「東京という町はなんといってて無機質な感じとる暮らしを続けること、おらにはそれしか生きる道がないんじゃないか。そいいきかせています」

秋田で別れる時に、尋ねた。「桜への片思いはまだ続きますか。」

「死ぬまで撮り続けます。桜は私に生命力を与えれくれいるわけですし、生涯、桜にすがって生きてゆくでしょうね」。そういってから、照れ屋の写真家はつけ加えた。「といってもどこまでゆけるかわかんねえけど」

 

高波さんは新潟に戻り、私はいちど帰京し、五月中旬、北海道の襟裳岬をめざした。今度は桜の散かるさまを見たかった。相棒なしの旅だ。

えりも町の庶野で、海辺の小さな旅館に泊まった、海鳴りと雨の音を耳にしながら寝た。翌日も雨だった。雨が小降りになると、岬を吹き渡る風が激しくなった。

「いつもこうなんですよ、ここは。雨がやむと風、風かと思うと雨で」と旅館の女将さんが言った。翌日も雨だった。

こうなってはしず心で待っているわけにはいかない。雨と雪の中に散る桜を見物に行くというと、女将さんは酔狂な客の顔をしげしげと見て、今なあ、うどんをゆでたところだから、せめて体を温めてからゆきなさい、といってくれた。ありがたく、いただいた。ひとり歩きは危ない。クマがでるといけないから、といって呼び子を貸してくれた。

町が自慢する桜公園を抜けて、林道を奥に入る。さすがに人はない。雨の中で、大花延齢草の白さがきわだってみえる。横殴りの風が吹き、蝦夷大桜草もあり、散らない桜もあった。桜の散る様を見に来たつもりではあったが、ここで見た北の桜はやはり、風雪に耐えて咲き続ける姿に風情があった。

手がかじかみ、ぬらそばって歩いているうちに、いきなり眺望が開けた。

遠景に雪の山々があり、手前の山々には辛夷が咲き、落ち葉松があわあわとした緑をみせている。赤茶色のひろがりは、楓やぶなの新芽だろう。その赤茶色の炎の中に紅山桜が点在している。私は立ちつくした。立ちつくしているうちに露草色の空が見えてきた。風の中のしぶきが銀色に光っている。

近づいて桜をあおぐ。花びらに、ツメでひっかいたような後がある。紅色がはげている部分がある。風や雨との闘いのあとだ。その傷跡に、私は桜の生命力を見た。

桜は時には不気味な暗さを見せ、移ろいはかなさを見せ、死の相を見せる。そして時には生の歓喜の表情を見せ、しぶとさを見せ、豊かな実りの予兆となる。私たちが桜たずねずにはいられない秘密の一つは、この桜の両面性にあるのではないか。

後日、箱根へ行き、阿弥陀寺所蔵の「弾誓上人絵詞伝」をみせていただいた。確かに、眼光釣る土井上人が刻む桜の木からは赤い血が流れていた。

桜木の熱血伝説を信じた古人は、桜に霊性を見、その霊性の中にぶきみさと、あふれる生命力を見たに違いない、と私は勝手に解釈している。

(『世界花の旅 1』朝日新聞社より)

 

 

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